第二話:泥に咲く、血の轍
第二話:泥に咲く、血の轍
昭和三十年、六月。
尾張の夜は、重油の混じった雨がしとしとと降り注いでいた。
源造は、泥を跳ね飛ばしながらトラックの助手席に揺られていた。隣でハンドルを握るのは、長男の鉄男だ。
「……なぁ、親父。本当に大丈夫なんだろうな。こんな時間に、軍の倉庫へ呼び出されるなんて」
鉄男の不安げな問いに、源造は古びた手拭いで顔を拭い、笑い飛ばした。
「馬鹿野郎、織田重工の社長直々の指名だぞ。この仕事が終われば、進に新しいランドセルを買ってやれる。ハナにも、綺麗な着物の一枚でも着せてやりたいだろ」
源造の手には、一枚の書状が握られていた。
『夜間、指定の倉庫にて重量物の積み込み作業。報酬は通常の三倍。』
貧しい土木作業員にとって、それは神の救いのように見えた。だが、その背後に潜む「死神」の鎌には気づいていなかった。
熱田、第四秘密倉庫
トラックが到着したのは、熱田の海沿いに建つ巨大なコンクリート倉庫だった。
周囲は不気味なほど静まり返り、軍の歩哨が数人、雨の中に立っている。
「尾張建設の源造です。荷運びの件で参りました」
源造がトラックから降りると、暗闇から軍服を着た男たちが現れた。
その中心にいたのは、冷徹な目をした荒木中将の部下、佐々木大尉だった。
「ご苦労。荷物は奥にある。動力甲冑を動かすための高純度燃料と、鉄箱だ。慎重に運べ」
倉庫の奥には、鈍い銀色に輝く**動力甲冑『零式改』**が数体、鎮座していた。織田重工が開発した、人型の作業用、あるいは戦闘用の外骨格だ。
源造は目を見張った。
「こいつを動かすのか……? 俺たちは土木用の操縦資格しかねぇぞ」
「構わん。積み込むだけだ」
しかし、作業が始まって数分後。
倉庫の裏手で、予期せぬ事態が起きた。
裏切りの銃声
「動くな! 憲兵隊だ!」
突如、倉庫の扉が蹴り破られ、サーチライトの強烈な光が源造たちを射抜いた。
荒木中将の計画を嗅ぎつけた、軍内部の反対派(憲兵隊)が突入してきたのだ。
「貴様ら、軍の物資を横流しするつもりか!」
「黙れ! 排除せよ!」
佐々木大尉が叫ぶと同時に、織田重工から派遣されていた傭兵たちが、隠し持っていた自動小銃を乱射し始めた。
静寂だった倉庫は、一瞬にして地獄の戦場へと変貌した。
「親父! 逃げろ!」
鉄男が叫び、源造を遮蔽物の陰へ突き飛ばす。
銃弾がコンクリートを削り、火花が散る。源造はパニックに陥りながらも、叫んだ。
「待て! 俺たちはただの作業員だ! 撃たないでくれ!」
源造は、混乱の中で両手を挙げ、光の方へ走り出た。
自分たちが無実であることを証明したかった。子供たちの待つ家に帰りたかった。ただ、それだけだった。
「止まれ! 止まらんと撃つぞ!」
憲兵の叫び声が響く。
だが、その時、佐々木大尉の冷酷な声が重なった。
「証拠は残さん。作業員もろとも、片付けろ」
泥の中の終焉
乾いた銃声が三発。
源造の胸に、紅い花が咲いた。
「……あ……」
力が抜け、源造の膝が折れる。
泥水の中に崩れ落ちる父の姿を見て、鉄男の絶叫が倉庫に響き渡った。
「親父ーーーーーーっ!!」
鉄男が駆け寄ろうとしたが、佐々木大尉の銃口が今度は彼に向けられた。
「次は貴様だ」
その絶体絶命の瞬間。
倉庫の天井が轟音と共に崩落した。
巨大な鉄の腕が、憲兵隊のトラックを紙屑のように握りつぶす。
現れたのは、漆黒のプロトタイプ動力甲冑。
そのコックピットに座っていたのは、葉巻をくゆらせた織田信長だった。
「軍の犬どもが、騒がしいな。……源造といったか。惜しい男を亡くした」
信長は冷徹に眼下の惨状を見下ろす。彼にとって、源造の死は計画の些細なエラーに過ぎなかった。
信長は動力甲冑の火力を解放し、憲兵隊を蹂躙し始めた。混乱に乗じて金塊を積み込んだトラックが、雨の夜へと消えていく。
悲しき帰還
翌朝。
進とハナは、家の前で立ち尽くしていた。
遠くから、泥だらけのトラックがゆっくりと近づいてくる。
運転席には、幽霊のように青ざめた鉄男が座っていた。
そして、荷台には。
「……父ちゃん?」
進が駆け寄る。
そこには、昨日の朝「土産を買ってきてやる」と笑っていた父が、冷たい莚に覆われて横たわっていた。
雨に打たれ、泥に汚れ、その指先にはまだ、家族のために働いた労働の跡が深く刻まれていた。
進の慟哭が、尾張のどんよりとした空に吸い込まれていった。
昭和三十年。
少年は、この理不尽な世界を呪い、復讐の火を胸に灯すことになる。




