シュターゼン公爵家4
王都からゼイン辺境伯の邸までは馬車で一週間、その移動に同行したアーノルドはアランフォード殿下の変化について考えていた。
殿下は大人になろうとあがいている。学院にいる間に知識を得て人を使うことを覚えなければならない。魔法学園の頃はまだ頭の良さは感じられても頭脳明晰や冷静沈着とは思えない、従順なだけの王子だった。学院に移り、あからさまに取り入ろうとする者が増えて来ても幼なじみのランベルトを筆頭に与えられた側近候補に満足していたようだったが、クラウディアとの婚約破棄から雰囲気が変わり始めた。この変化を王太子として吉とするのがアーノルドの役目だ。
宰相補佐から王太子側近筆頭に変わり、改めて挨拶に向かったのは学院の長期休暇直前だった。
「久しぶりだなアーノルド レイデア伯爵。」
一年前、国王陛下からクラウディアとの婚約破棄を告げられ、取り乱していた少年はいなかった。背丈や声だけでなく、顔つきが明らかにちがう。婚約破棄はこれほど彼を傷つけることだったのかあるいは他の理由があるのか。こちらを真っ直ぐに見つめる瞳に強い意思が込められていた。堂々とした態度は王太子にふさわしく、従順なだけの王子はどこにもいない。
最近のアランフォード殿下の様子は知っていたから驚きはない。ただこの変化の目的は何か、ただ王太子の自覚に目覚めたなどではないことは確かだ。
「アランフォード殿下にはご機嫌麗しく恐悦至極に存じます。
またこの度は殿下の側近を承りました。なんなりとお申し付けください。」
礼をとりながらありきたりな挨拶をする。
「アーノルド。今更だ。そんな型どおりの挨拶はお前らしくない。お前が来るのを待っていた。ランベルトでは破目がはずせない。」
そう言って殿下は笑顔を見せるが眼には何か企んでいるような輝きがある。
「ランベルトでは役不足でしたか?」
頭を下げて詫びの意を伝えるが、殿下は手を振りそれを遮る。
「あぁ。あれとでは止めるものがいない。お前なら私を止められるし、タイミングも分かるだろう?羽目を外せるのは今だけだしな。」
これは信頼ではないだろう。そんな関係を築けるほど近くにいなかった。婚約者クラウディアの兄であった頃は純粋な信頼があっただろう。破棄が前提の婚約だったことがわかった時点でエベルバッハへの好意も薄れたはずだ。私を利用しようというなら上出来だ。どこまでの器になったか見せてもらおう。
影への指示、父への報告などするべきことを組み立てながら頭を下げた。
「私は殿下の尻拭いをしに来たわけではありません。王太子の補佐に参ったのです。ご自分の言動にはご自分で責任をお持ち下さい。」
言うがままになるわけではない、私もエベルバッハも。言外にそう匂わせて牽制する。
「あと二年。いや三年は好きに動けるだろう?私達の関係を築くにはいい長さと思わないか?」
私の牽制など鼻にも掛けないのは気にしていないのかあるいはそうみせているのか。
「あぁ一つ言っておく。私は誰も信じてはいない。それでもおまえは私を信じろ。」
頭を下げて是の意を告げて長期休暇の予定を報告する。確認のあと退席しようと扉に手を掛けたところで声が掛かった。
「アーノルド。ゼイン辺境伯のところでクラウディアと対面する。調整しろ。もちろん内密に。エベルバッハ公爵には特にな。」
ゼイン辺境伯爵領にクラウディアがいることをどこで知ったのか、未だにクラウディアにこだわっているのか考えることが駆け巡るが一瞬の躊躇が弱みに繋がる。
「承知しました。時期はお任せください。」
もうすぐゼイン辺境伯領に着くらしい。
アランフォード殿下がクラウディアとの対面を希望していることは誰にも伝えていない。殿下に内密と言われたからではない。会わせるかどうかまだ決めかねているからだ。エリザベートからクラウディアの様子は聞いているが、直に話さないと判断しきれない。会わせるとなるとエリザベートは怒り狂うだろう。父はともかく、弟はどう反応するか。
それにルアーン皇国のこともある。亡きグレンハインツ殿下から託された殿下を死に至らしめた黒幕を白日の元に曝すことはできなかった。その上、ルアーンに調査から後始末までさせることになり、借りができたことはさらに気を重くする。
シュターゼン公爵との面談も煩わしい。今回のルアーン皇国と件はギムタレムに知らせない。だがあの公爵はこういう時は相手にしたくない厄介な人だ。
アランフォード殿下とクラウディアの婚約破棄が決まった時、エリザベート姉に内密にクラウディアを公爵の領地の別荘にしばらく匿ってもらったが、なぜ内密なのかは説明していない。もちろんあの公爵は問い質すことはしない。しないが納得したわけではないだろう。今頃、理由はきっと知られているはずだ。
一人で考えるため、適当な口実をつけ、アランフォード殿下と別の馬車に乗った。それほどナーバスになっていた己に思わず苦笑がもれる。今回の目的をもう一度頭に浮かべ、優先順位を確認していると馬車のスピードが落ち、やがて止まった。
ゼイン辺境伯領の聖堂にある刺繍室でおよそ3ヶ月ぶりに私はクラウディアに会った。
「クラウディア、戻ったか」
にっこり笑って挨拶する妹は半年前の憔悴も人形のような生気のなさもなく、明るくなっていた。眼に強さが戻っている。
「ごきげんよう。お兄様。ご心配をお掛けしました。」
私の言った"戻った"がなにを指しているか、きちんと理解して返事をしてくる。本来の妹らしさに安堵しつつ、疑問がよぎる。エリザベートからの報告では一月ほど前にまるで夢から覚めたように自分を取り戻し、明るくなってきたとあったが、何があったのか。殿下に会わせるか判断の材料は多いほうがいい。
だがしばらく話していても理由は何もわからない。ただ、対面している様子から会わせることに決める。
「クラウディア。アランフォード殿下が会いたがっていらっしゃる。日時はまた伝えるからそのつもりで。」
目を見開いて、すぐに苦笑に表情を替えた妹は首を傾げながらきいてくる。
「殿下が?なんのために?」
「別れの挨拶もなかったろう?いいたいことがおありなんだ。」
小さな笑い声と共に返してくる。
「必要ありませんわ。なんのメリットが?でも会わないわけにはいきませんわね。お兄様とエベルバッハの株は上げておかないとそれに殿下も大人になっていただきませんとね」
一人で納得しているクラウディアに頷いて本題に入る。
「対面がすめば、ツーレンに戻れ。刺繍はもういいのだろう?」
菫の娘の責務はときとして足枷になる。そのためだけにサマナにあるゼイン辺境伯のところに行かなくてはならなかった。
ツーレンの地名を聞いてクラウディアの顔が固くなった。グレンハインツ殿下の逝去の一連を思い出したのか。
「セオドア殿下に会えるぞ。」
「お兄様、お気遣いは有難いですが、必要ありませんわ。それよりどうなりまして?誰が確保されたとも聞いておりません。」
私の軽口をさらりと流してクラウディアは言外に早く教えろと問い質してきた。
「表立って処罰はしない。できなかった。証拠を揃えられなかった。」
クラウディアの顔がみるみるうちに曇っていく。「だが、命をもって報わせた。」
さっと顔を上げたクラウディアに頷いて言う。
「すぐにトヒル伯爵当主と3人の息子の死亡が発表される。ルアーン側の関わった者はあちらの問題だからな。」
それ以上お互いに言うことはなかった。無念さをどうしようもなく、だからこそやりきれない。
三日後、クラウディアと対面したアランフォード殿下は特に感情を乱すことなくその後、ゼイン辺境伯とともに視察の名の元に騎士団に交じって訓練を受けている。シュザリンナとも時折お茶を楽しんでいる。アランフォード殿下については想定内で全ての用件が終わりそうだ。あとはシュターゼン公爵とエリザベートだ。
いつから姉上ではなくエリザベートと呼ぶようになったかなどとふと思った。グレンハインツ殿下が亡くなってからはそうだった。姉であることより手駒の一つとして見るようになったのは当然のことだ。エリザベートもシュターゼン公爵家が第一であるように。グレンハインツ殿下の件でルアーン皇国に対しアドバンテージが明確に取れなかったせいでシュターゼン公爵に延いてはギムタレム公国にどこまで教えるか、できれば全て言わずに済めばいいが、と虫のいいことを考える。甘いことを考えるなと自分自身に叱咤してシュターゼン公爵に会うため立ち上がった。