第9話 キョンが「やってみる」と言いに来た
10月の末。
生徒会の仕事で職員室に行った帰り、廊下でキョンに会った。
「リュウ。」
呼んだのはキョンの方からだった。
(珍しい。)
(俺から声をかけることが多いのに。)
「どうした?」
「ストレートパーマ、やってみようかと思って。」
(来た。)
(落ち着けアラフォー。)
「そうか。」
(平静を保て。)
「そういうパーマをやってもらえる美容院、どこに行けばいいかわからなくて。」
(なるほど。)
(2005年はSNSで口コミが簡単に調べられる時代でもない。)
(普通の髪切りはともかく、ストレートパーマとなると、どこに頼めばいいかわからない。)
「友達に聞いたのか。」
「南さんは知らないって。」
「早川さんは?」
「早川さんが行きつけのところがあるって言ってたけど、どこだろうってなってて。」
(なるほど。)
(情報が散らばっていてまとまっていない。)
(これはコーディネートの問題だ。)
「早川さんの行きつけに一緒に行けばいい。初めてなら、既存の客と行くのが一番確実だ。」
「早川さんに頼んでいいかな。」
「いいと思う。」
「……そっか。」
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キョンが少し考えた。
「コンタクトは?」
「眼鏡屋で作れる。処方箋が要るから眼科に先に行って——って、これも親に言えばわかる話だと思う。」
「お母さんに言ったら喜ぶかな。」
「喜ぶと思う。」
「……なんで?」
「娘が外見に気を遣い始めたら、ほとんどの親は嬉しいから。」
「……リュウ、なんか色々知ってるな。」
(知っている。38年分。)
「まあ。」
「なんで?」
「なんとなく。」
キョンが「またなんとなく」という顔をした。
「……今回は教えてもらったから、ありがとう。」
「別に。」
「別に、じゃなくて。ちゃんとありがとう。」
(ちゃんとありがとう。)
(落ち着けアラフォー。)
「……どういたしまして。」
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キョンが歩き始めた。
少し行ったところで止まった。
「あのバンド、名前教えてなかったな。」
「教えてくれるのか。」
「…………今度。」
(また今度だ。)
「いつ頃の今度だ。」
「今度は今度。」
(答えになっていない。)
でもキョンがかすかに笑って歩き始めたので、追いかけなかった。
(落ち着けアラフォー。)
(「今度」と言って笑った。)
(昨日は笑わなかった。)
(骨格診断を言ったときも、面白そうな顔はしたが笑わなかった。)
(今度は笑った。)
(「今度」と言われただけで、笑われた。)
(38歳がこれに足が止まるな。)
(でも——はっきり足が止まった。)
(俺はまだ言ってない。)
(でも、「ちゃんとありがとう」と言われた。)
(「今度」と言って笑われた。)
(それだけで十分だ。今は。)
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翌日の昼休み。
早川さんがミニモニグループの輪の中で言った。
「橘さん、美容院一緒に行こって話、しましたよ。柳くん。」
(なぜ俺に報告してくる。)
「そうか。」
「なんか、ちゃんと考えてるんだね、橘さん。」
「そうだな。」
「……柳くんって、橘さんのこと——」
「行き方の話をしただけだ。」
「うん。そうなんだけど。」
早川さんが少し間を置いた。
「なんかその、ちゃんと考えてあげてる感じがして。いい友達じゃん、と思った。」
(友達。)
(まあ、そうだな。今はそうだ。)
「……ありがとう。」
「なんで「ありがとう」なの?」
(確かに。)
(早川さんに言われた話だ。俺が「ありがとう」を言う場面ではない。)
「……反射で出た。」
「反射で出るんだ。ふうん。」
早川さんが面白そうな顔をした。
(早川さん。お前もフミに似た目を持ってる。)
(こっちの事情を全部見透かす目だ。)
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帰りの電車。
ユースケが隣に来た。
「リュウ、最近楽しそうじゃない?」
「そうか。」
「なんかさ、前と違う。なんか回ってる感じ。」
(回っているか。)
「ユースケ、英語の勉強、続いてるか。」
「続いてる!でしょ、やっとペースがつかめてきた!」
「それはいい。」
(ユースケ。)
(お前は元の未来で体を壊して地方に隠居した。)
(英語ができなかったことが、可能性を狭めた要因のひとつだった。)
(今回は変える。)
「リュウが一緒に勉強してくれるから続くんだよ。」
「それはお前の力だ。」
「でしょ?でもリュウのおかげでもある!」
電車が動き始めた。
(俺はまだ言ってない。)
(でも、動き始めたことはたくさんある。)
(キョンへのことも。ユースケへのことも。)
(少しずつ、少しずつ。)
窓の外を見た。
(年末が近い。)
(やらなければならないことがある。)
(父に、渡すものがある。)
「また今度」がずっと続くキョン。少し笑って歩き始めた。「ありがとう」が反射で出たリュウ。
次回——競馬チート発動。おじさんへの電話。「メリークリスマス」5文字が届きます。




