第49話 パートナーになる日
2018年2月。
カフェを開けようとしたら、入口の前にキョンがいた。
黒いダウンコート。手に紙袋。朝の冷気の中で立っていた。息が白かった。
「……早い?」
「お前が早い。開店前だけど」
「知ってる」
俺は鍵を開けた。
「どうぞ」
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暖房をつけた。コーヒーを淹れた。
キョンはカウンターの端に座って、紙袋を膝に乗せていた。
コーヒーを2つ出した。
しばらく2人で飲んだ。
10年以上かけて作った間合いがある。黙っていることが苦じゃない。
窓の外に、2月の朝の商店街が見えた。シャッターが開き始めたばかり。豆腐屋のおじさんが準備をしている。キョンはそれをぼんやり見ていた。
キョンが紙袋をカウンターに置いた。
「これ」
小さい箱だった。包装紙が丁寧に折られている。リボンはない。
「何?」
「バレンタイン、もう終わったけど」
(落ち着けアラフォー。)
「ありがとう」
「開けて」
包装紙を外した。チョコレートだった。小さな箱に4粒。有名な店のやつじゃないが、知っている店だった。清峰の南口から少し歩いたところにある、小さいショコラティエ。
「うまそう」
「食べてから言って」
(食べる前からわかる。)
(お前が選んだものは、外れない。)
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また少し黙った。
キョンがカップを両手で持った。
「ねえ」
「何?」
「10年くらい経つじゃん、卒業から」
「そうだな」
「私たち、何なんだろうって、たまに思う」
俺はコーヒーを置いた。
(来た。)
(落ち着けアラフォー。)
「何、というのは?」
「卒業式で、リュウ「好きだ」って言ったじゃん」
「言った」
「私も、そばにいたいって言った」
「言った」
「それから10年、会い続けてて」キョンが少し止まった。「でも何て呼んだらいいかわからないまま、ずっと来てる」
(知ってる。)
(お前が「みんなみたいに好きって言えないかもしれない」と言ったのを、俺は覚えている。)
(卒業式の校庭。10年前。あの言葉を、俺はずっと持っていた。)
俺は黙って聞いていた。
「気持ちがないわけじゃないの。ただ、「彼女」とか「恋人」とか、そういう言葉が自分にしっくりこなくて。ずっとそこで止まってた」
「うん」
「リュウはどうだったの。その10年」
「待ってた」
「何を?」
「お前が言葉を見つけるのを」
キョンが俺を見た。
「……ずっと待ってたの?」
「ずっと」
「なんで?」
「お前のペースで来ると思ってたから」
またしばらく黙った。
窓の外で、商店街に朝の光が入ってきた。
「……ずるい」とキョンが言った。
「何が?」
「そんなふうに待ってたなら、もっと早く言ってくれれば」
「お前が言うまで待つのが正しいと思ってた」
「……性格悪い」
「そうか」
「そうだよ」
でもキョンは少し笑っていた。
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キョンがカップを置いた。
少し間があった。今まで話してきた中で、一番長い間だった。俺は待った。急かさなかった。
「パートナー、って言葉があるじゃん」
「うん」
「恋人でも友達でもない。でもずっとそこにいる。私もそこにいる。そういう言葉として、パートナーが一番近い気がして」
(——。)
(「パートナー」。)
(38年分の語彙の中で、今お前が選んだ言葉より正確なものが見当たらない。)
(「恋人」は違う。「友達」も違う。「好きな人」も何か足りない。)
(「パートナー」は——お前が見つけた言葉だ。)
(俺じゃなくて、お前が。)
(また、お前が先に動いた。)
俺はキョンを見た。
「それを私たちの名前にしたい。嫌?」
「嫌じゃない」
「本当に?」
「本当に。俺もずっと、同じ言葉を探してた」
キョンが息を吐いた。笑いに近かった。
「なんで先に言わなかったの?」
「お前が先に動くと思ってた」
「それが性格悪いって言ってる」
「受け取る」
「受け取るな」
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開店時間になった。
キョンは帰らなかった。「もう少しいる」と言った。俺は「いてくれ」と言った。
最初の客が来るまで、2人でカウンターにいた。
2月の朝の光が、店の奥まで差し込んでいた。
帰り際、キョンがコートを着ながら言った。
「今日から、パートナー」
「今日から」
「よろしく」
「よろしく」
ドアが閉まった。
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カウンターを拭きながら、チョコレートの箱を見た。
4粒。
(落ち着けアラフォー。)
(卒業式の校庭から、10年かかった。)
(お前は今日、言葉を持ってきた。)
(「名前のない感情」のための曲があった。)
(その曲の名前を、今日お前がつけた。)
(お前が「先に動いた」回数を、俺は全部覚えている。)
(電車の中で。ロッカーの前で。公園のベンチで。定食屋で。このカフェで。そして今日。)
(全部、お前が先だった。)
(ありがとう。)
(それは、声に出さなかった。)
第49話。卒業式から10年。「好き」は言えた。「そばにいたい」も言えた。ただ名前だけが、ずっとなかった。キョンが持ってきた言葉は「パートナー」だった。リュウにはその言葉しかなかった。「名前のない感情のための曲」に、今日名前がついた。




