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時をかけるアラフォー 〜あの子には性別がない〜  作者: 双子相
第4幕(ep46〜50)卒業後・パートナーへ
46/50

第46話 布が完成した日


 連絡が来たのは、4月の第2週だった。


 入学式から4日後。


 南浜大の構内地図をまだ完全に覚えていない朝、ガラケーのメール着信音が鳴った。


```

できた。

見せてもいい?

 ─ キョン

```


 3文字と8文字と句読点ひとつ。


 俺は学食の前の石段に座ったまま、画面を2回見た。


(落ち着けアラフォー。)


(「できた」は、布のことだ。)


(「見せてもいい」は、お前が先に動いてる。)


---


 待ち合わせは清峰駅の改札前、13時。


 俺は11時に着いた。


 理由はない。いや、ある。38年分の習慣で「待ち合わせには早く着く」という癖がついている。しかも今回は相手がキョンだ。2時間前に着いて、暇だった。


 近くのコンビニで缶コーヒーを買って、改札前のベンチに座った。


 平日の昼間、清峰は静かだった。スーパーへ向かう主婦が数人。制服の中学生が自転車で通り過ぎていく。


(キョンは、今ここから何分くらいのところに住んでるんだろう。)


 考えてから、俺は自分に呆れた。


(3年間、同じ電車に乗り続けて、その程度しか知らないのか、俺は。)


---


 13時2分、キョンが来た。


 髪が少し切れていた。前より短く、耳の下くらいで揃えてある。制服じゃなくて私服で、くすんだ青いカーディガンと、白いシャツ。


 俺を見つけて、少し歩幅が大きくなった。


「……待った?」


「11時から」


 キョンが目を細めた。


「なんで?」


「暇だった」


「嘘だ」


(バレてる。)


---


 公園に向かった。清峰駅から歩いて7分。俺は3年間知らなかったが、キョンが「近くに静かな公園がある」と言ったので黙ってついていった。


 桜がまだ少し残っていた。満開は過ぎた後の、散り際のやつ。ベンチのそばに白い花びらが落ちている。


 キョンはトートバッグからそれを出した。


 小さかった。


 手のひらより少し大きいくらいの、布で作った何か。


 長方形の、薄い、くすんだ白と生成りが混じった色。端がかがり縫いで処理されていて、真ん中に細い糸で何かが縫い付けてある。


 針と糸で作った、線。


 よく見ると、それは音符だった。


(……。)


 一小節分だけ、4分音符と8分音符が並んでいる。高さは分からないけど、リズムは分かる。


(「ずっとここにいる」の、最初の小節。)


---


 キョンは俺の手のひらにそれを置いた。


 軽かった。


「去年のロッカーに入ってた端切れ、もらっていた」


 小さい声で、キョンは言った。


「何になるか決めてなかった。でも捨てられなかった」


 俺は布を見ていた。


(知ってる。)


(俺はずっとそれを知ってた。お前がロッカーに残した布片を、毎日見てた。)


(お前がいつかこれをやることも、もしかしたらわかっていたかもしれない。)


「音符は」とキョンが続けた。「あの曲の最初だけ。全部刺繍したら時間かかるから」


「うん」


「嫌いだったら言っていい」


「嫌いじゃない」


 短すぎる返答だったか。


 俺はもう一度布を見た。


 手のひらの上で、それはちゃんと重さを持っていた。軽いのに、重さがある。


「もらえるか」


 キョンが少し黙った。


「渡しに来たんだけど」


「そうだな」


(落ち着けアラフォー。受け取れ。ちゃんと受け取れ。)


---


 ベンチに並んで座った。桜が1枚、2枚落ちた。


「大学、どう?」とキョンが聞いた。


「まだ地図が頭に入ってない」


「似合わない」


「何が?」


「迷ってるの」


(お前に言われたくない。)


「キョンは?」


「4月から裁縫部みたいなの入った」


「服飾系の?」


「サークルっていうより勉強会みたいな感じ。卒業後に服作りたい人が集まってる」


 声が少し明るかった。制服の制約がなくなった声。


「似合いそう」と俺は言った。


「見てから言って」


「今日の服で分かる」


 キョンが俺の横顔をちらっと見た。


「……何それ」


「本当のことだ」


---


 帰りは清峰駅まで一緒に戻った。


 改札の前で止まった。


 西都線の改札は左。キョンの自宅は右。


「また連絡する」とキョンが言った。


「うん」


「……リュウ」


「何?」


 キョンは一瞬、口を開いてから閉じた。


「ちゃんと受け取った?」


 俺はポケットの中の布を、指で一度押さえた。


「受け取った」


 キョンが小さく息を吐いた。それは笑いに近かった。


「じゃあ、またね」


「またな」


---


 西都線のホームに降りて、電車を待ちながら、俺はポケットから布を出した。


 一小節分の音符。


 縫い目が細かい。手間がかかっている。


(卒業式から3週間と少し。)


(お前はこの3週間で、これを作った。)


(俺は南浜大の構内地図を3日かけても覚えられなかった。)


 電車が来た。


 俺は布をポケットに戻して、乗り込んだ。


 「名前のない何か」のまま、俺たちの4月は始まっている。


 それで今は、十分だった。


第46話。第4幕の幕開け。制服がない2人で初めて会った日。キョンが「先に動いた」という事実だけが、ずっと胸の中に残っている。

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