第46話 布が完成した日
連絡が来たのは、4月の第2週だった。
入学式から4日後。
南浜大の構内地図をまだ完全に覚えていない朝、ガラケーのメール着信音が鳴った。
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できた。
見せてもいい?
─ キョン
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3文字と8文字と句読点ひとつ。
俺は学食の前の石段に座ったまま、画面を2回見た。
(落ち着けアラフォー。)
(「できた」は、布のことだ。)
(「見せてもいい」は、お前が先に動いてる。)
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待ち合わせは清峰駅の改札前、13時。
俺は11時に着いた。
理由はない。いや、ある。38年分の習慣で「待ち合わせには早く着く」という癖がついている。しかも今回は相手がキョンだ。2時間前に着いて、暇だった。
近くのコンビニで缶コーヒーを買って、改札前のベンチに座った。
平日の昼間、清峰は静かだった。スーパーへ向かう主婦が数人。制服の中学生が自転車で通り過ぎていく。
(キョンは、今ここから何分くらいのところに住んでるんだろう。)
考えてから、俺は自分に呆れた。
(3年間、同じ電車に乗り続けて、その程度しか知らないのか、俺は。)
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13時2分、キョンが来た。
髪が少し切れていた。前より短く、耳の下くらいで揃えてある。制服じゃなくて私服で、くすんだ青いカーディガンと、白いシャツ。
俺を見つけて、少し歩幅が大きくなった。
「……待った?」
「11時から」
キョンが目を細めた。
「なんで?」
「暇だった」
「嘘だ」
(バレてる。)
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公園に向かった。清峰駅から歩いて7分。俺は3年間知らなかったが、キョンが「近くに静かな公園がある」と言ったので黙ってついていった。
桜がまだ少し残っていた。満開は過ぎた後の、散り際のやつ。ベンチのそばに白い花びらが落ちている。
キョンはトートバッグからそれを出した。
小さかった。
手のひらより少し大きいくらいの、布で作った何か。
長方形の、薄い、くすんだ白と生成りが混じった色。端がかがり縫いで処理されていて、真ん中に細い糸で何かが縫い付けてある。
針と糸で作った、線。
よく見ると、それは音符だった。
(……。)
一小節分だけ、4分音符と8分音符が並んでいる。高さは分からないけど、リズムは分かる。
(「ずっとここにいる」の、最初の小節。)
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キョンは俺の手のひらにそれを置いた。
軽かった。
「去年のロッカーに入ってた端切れ、もらっていた」
小さい声で、キョンは言った。
「何になるか決めてなかった。でも捨てられなかった」
俺は布を見ていた。
(知ってる。)
(俺はずっとそれを知ってた。お前がロッカーに残した布片を、毎日見てた。)
(お前がいつかこれをやることも、もしかしたらわかっていたかもしれない。)
「音符は」とキョンが続けた。「あの曲の最初だけ。全部刺繍したら時間かかるから」
「うん」
「嫌いだったら言っていい」
「嫌いじゃない」
短すぎる返答だったか。
俺はもう一度布を見た。
手のひらの上で、それはちゃんと重さを持っていた。軽いのに、重さがある。
「もらえるか」
キョンが少し黙った。
「渡しに来たんだけど」
「そうだな」
(落ち着けアラフォー。受け取れ。ちゃんと受け取れ。)
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ベンチに並んで座った。桜が1枚、2枚落ちた。
「大学、どう?」とキョンが聞いた。
「まだ地図が頭に入ってない」
「似合わない」
「何が?」
「迷ってるの」
(お前に言われたくない。)
「キョンは?」
「4月から裁縫部みたいなの入った」
「服飾系の?」
「サークルっていうより勉強会みたいな感じ。卒業後に服作りたい人が集まってる」
声が少し明るかった。制服の制約がなくなった声。
「似合いそう」と俺は言った。
「見てから言って」
「今日の服で分かる」
キョンが俺の横顔をちらっと見た。
「……何それ」
「本当のことだ」
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帰りは清峰駅まで一緒に戻った。
改札の前で止まった。
西都線の改札は左。キョンの自宅は右。
「また連絡する」とキョンが言った。
「うん」
「……リュウ」
「何?」
キョンは一瞬、口を開いてから閉じた。
「ちゃんと受け取った?」
俺はポケットの中の布を、指で一度押さえた。
「受け取った」
キョンが小さく息を吐いた。それは笑いに近かった。
「じゃあ、またね」
「またな」
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西都線のホームに降りて、電車を待ちながら、俺はポケットから布を出した。
一小節分の音符。
縫い目が細かい。手間がかかっている。
(卒業式から3週間と少し。)
(お前はこの3週間で、これを作った。)
(俺は南浜大の構内地図を3日かけても覚えられなかった。)
電車が来た。
俺は布をポケットに戻して、乗り込んだ。
「名前のない何か」のまま、俺たちの4月は始まっている。
それで今は、十分だった。
第46話。第4幕の幕開け。制服がない2人で初めて会った日。キョンが「先に動いた」という事実だけが、ずっと胸の中に残っている。




