第43話 ホワイトデーの布
3月に入った。
ミナミからメールが来たのは3月の2日だった。
「柳くん聞いて。キョンがよく行く手芸屋わかった。清峰の南口から徒歩5分のところ。前に一緒に行ったことある。」
「わかった。ありがとう。」
「でね、お店の人に聞いたら、キョンが前に気にしてた布の話、わかったかも!店員さんの話だと、冬に来た女の子が一回手に取ってたけど値段見て棚に戻した、ってやつがあったって。白に近いベージュで、ちょっと透ける素材のやつだって。」
(ミナミ。)
(さりげなくと頼んだが、店員に直接聞いていた。)
(でもよく聞き出せた。)
「それ、まだ在庫あるか。」
「あるって! だから早く行った方がいいよ!」
放課後、清峰まで向かった。
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南口を出て、5分歩いた。
「手芸の松島」という看板の、細長い店だった。
入口に毛糸の見本が並んでいて、奥に布地のコーナーがある。
(こういう店に来たのは38年生きて初めてだ。)
(いや、母親に連れられてきた記憶が薄くある。)
(でも自分の意志で入るのは初めてだ。)
布地のコーナーに向かった。
(白に近いベージュ、少し透ける素材。)
端から順に見ていくと、すぐわかった。
引っ張り出して手に取った。
軽かった。透かすと光を通した。触るとひんやりした。
(これか。)
値札を見た。
(……なるほど、高い。)
(30センチ単位で売っているが、服を作るなら最低1メートルは要るだろう。)
(でもキョンが必要とした分だけ買ってもしかたない。)
俺には何メートル必要かがわからない。
店員に声をかけた。
「すみません。この布、服を作りたい人に贈ろうとしてるんですが。シャツかブラウスを1着作れる分、もらうとしたら何メートルですか。」
店員が少し考えた。
「シャツだと1.5メートルくらいあれば十分ですよ。ゆとりを持たせるなら2メートル。どんな体格の方ですか。」
「普通の女子高生くらいです。小柄です。」
「じゃあ1.5メートルで充分ですね。」
1.5メートルを買った。
丁寧に畳んで、薄紙に包んでもらった。
(これだ。)
(「決めるのはお前だ」を、形にして渡せる。)
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翌日。
廊下でミナミに会った。
「柳くん、買えた!?」
「買えた。」
「えーーーどんなの!?見せて!」
「プレゼントだから今は見せない。」
「ケチ。でも良かった!!」
ミナミが廊下で小さくガッツポーズした。
「私の誕生日もホワイトデーと同じ日だから、今日が楽しみすぎる。」
(そうだな。3月14日。ミナミの誕生日だ。)
(お前が一番賑やかな日になる。)
「おめでとう、先に。」
「えっ早い!でもありがとう!!」
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3月14日の朝。
ホームで電車を待った。
3月の空気はまだ冷たいが、光の角度が変わっていた。
(今日だ。)
(落ち着けアラフォー。)
今朝、薄紙に包んだ布をリュックに入れた。
入れるとき、少し迷った。
リボンをつけた方がいいか、と思ったが、やめた。
キョンへの贈り物にリボンは似合わない気がした。
薄紙だけ、にした。
きちんと包んだ。それだけ。
電車が来た。
乗り込んだ。
清峰でキョンが乗ってきた。
「今日、ミナミの誕生日!」とミナミが言ったのは、中丸駅で合流したときだった。
「誕生日おめでとう。」と俺が言った。
「ありがとう!!」
(落ち着けアラフォー。今日は長い。)
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1時間目が始まる前の教室で、ミナミが誕生日ムードを全力で作っていた。
「今日14日だよ! ホワイトデーだよ! 私の誕生日だよ!! うれしい!!!」
サナが「自分でいうな。」と言った。
リサが「おめでとうございます。」と言った。
キョンが「おめでとう。」と言って、ミナミに小さい包みを渡した。
ミナミが包みを開けた。
ヘアゴムだった。
白いリボンのついた、シンプルなやつ。
「キョンが選んだの!? かわいい!!!」
「……使いやすそうだったから。」
「最高!! 今日からずっとつける!!」
(キョンが誕生日プレゼントを用意していた。)
(ちゃんと考えていた。)
(シンプルで、使いやすくて、押しつけがましくない。)
(それがキョンのプレゼントの選び方だ。)
(俺もそうしたいと思っていた。)
(今日、それができるかどうか。)
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昼休み。
バータとユースケが教室に来た。
「今日ホワイトデーじゃないか! 何かするのか!」
ユースケが廊下から顔を出した。
「する。」
「マジか!! 何渡すの!」
「内緒だ。」
「えっ教えてよ。でしょ?バータも気になるでしょ?」
バータが「まあ」と言った。
それから少し考えて言った。
「リュウが動くとき、変な動き方しないから。大丈夫だと思う。」
(バータ。)
(お前のそういう一言が、なぜか一番効く。)
「ありがとう。」
「まあ。でも——うまくいくといいな。」
バータが珍しく少しだけ柔らかい声で言った。
ユースケが「俺も応援してる!!」と言った。
(声がでかい。)
(でも今日は、それでいいか。)
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放課後。
生徒会室に誰かが来る前に、片付けて帰ろうとしていた。
「柳くん。」
フミだった。
「わかってる。ちゃんとやる。」
「まだ何も言ってない。」
「言わなくてもわかる。」
フミが少し間を置いた。
「……まあ、それならいい。」
フミが生徒会室のドアを開けて入ってきた。
書類を机に置いた。
「来週から3月後半になる。卒業式の前後で生徒会の仕事がある。今週中に引き継ぎのスケジュールを後任に送っておけ。」
「わかった。今夜やる。」
「こういうときに仕事を片付けておくのが、お前のいいところだ。」
(フミが「いいところ」と言った。)
(珍しい。)
「お前に言われると重みがある。」
「礼はいい。」
フミが椅子を引いた。座った。
「受験、どうなった。」
「法学部、行ける。」
「合格が出たのか。」
「今日来た。一般入試の結果。」
(落ち着けアラフォー。)
(フミの合格通知が来た。今日。)
「おめでとう。」
「……ありがとう。」
フミの声が、少しだけ低くなった。
それだけだった。
でも「ありがとう」を静かに言えるとき、フミは本当に嬉しいんだ、ということを俺は知っている。
「弁護士になれ。絶対なれる。」
フミが俺を見た。
2秒。
「……わかった。」
それだけ言って、書類に目を落とした。
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17時。
廊下を歩いていたら、キョンが美術室から出てきた。
布のロールを持っていた。
春休みも学校に来て服を作っているらしい。
「リュウ。」
「おう。」
「帰る?」
「帰るところ。」
並んで歩き始めた。
廊下の窓から、3月の夕方の光が入ってきていた。
(今日だ。)
(落ち着けアラフォー。)
下駄箱で靴を履き替えた。
外に出た。
風が冷たいが、光に温かさが混じっていた。
「キョン。」
「うん。」
「これ。」
リュックから薄紙の包みを出した。
キョンが受け取った。
手の中で重さを確かめるように持った。
「……なに?」
「開けてみろ。」
立ち止まって、薄紙を開けた。
中から、あの布が出てきた。
白に近いベージュ。光を通す。
夕方の光の中で、少し輝いた。
キョンが動きを止めた。
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3秒。
4秒。
「……これ、松島の布だ。」
「そうだ。」
「なんで知ってるの?」
「ミナミから聞いた。」
「……ミナミが。」
「ミナミがさりげなく調べてくれた。」
(「さりげなく」とは言えないが、結果として情報は入ってきた。)
キョンが布をもう一度見た。
指先でそっと触れた。
俺が手に取ったときと同じ、ひんやりとした感触のはずだった。
「……前に、見たやつだ。」
「高くて戻した、と聞いた。」
「……そっか。」
少し間があった。
「1.5メートルある。」
「え、」
「シャツ1枚作れる分。」
キョンが俺を見た。
「なんでそんな詳しいの?」
「お店の人に聞いた。」
「……お店の人に。」
(落ち着けアラフォー。)
(表情を管理しろ。38歳だ。)
「何を作るかは、お前が決めていい。シャツでもなくていい。何でも。」
キョンがまた布を見た。
(「決めるのはお前だ」を、形にして返した。)
(キョンが「義理かどうかはリュウが決めて」と言ったのと、同じ返し方で。)
(気づいているかどうかはわからない。でも、そういうつもりで渡した。)
「……ありがとう。」
キョンの声が、少しだけ低かった。
「どういたしまして。」
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駅まで2人で歩いた。
布はキョンのリュックに入った。
ロールの布と一緒に入れた。
「なんか、バレンタインのチョコと、真逆だね。」
「どういう意味だ。」
「私がリュウにあげたのは、形があって、完成してるものだったから。」
「そうだな。」
「リュウがくれたのは、まだ何もなくて、これから形になるやつだから。」
(落ち着けアラフォー。)
(キョンが気づいていた。)
「……そういうつもりだった。」
キョンが前を向いたまま、少しだけ歩みを遅らせた。
「……何を作るか、考える。」
「楽しみにしてる。」
「うん。」
また少し間があった。
「……できたら、最初に見せる。」
(——。)
(落ち着けアラフォー。)
(落ち着けアラフォー。)
(「最初に見せる」とキョンが言った。)
「待ってる。」
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清峰駅に近づいた。
キョンが降りる準備をした。
「リュウは、柳くんって言われてたときから思ってたんだけど。」
電車の揺れの中で、キョンが急に言った。
「リュウって呼び始めてから、なんか全然違う感じがして。」
「……どう違う。」
「柳くんは、誰にでも言える感じ。リュウは、私だけが言う感じがして。ずっとそう思ってた。」
(——。)
(落ち着けアラフォー。)
(落ち着けアラフォー。)
清峰駅のアナウンスが入った。
キョンが立ち止まった。
「明日の式——終わったら、少し待てる?」
「待てる。」
キョンが「また明日。」と言って、ドアへ向かった。
降りた。
1回だけ振り返った。
ドアが閉まった。
電車が動き出した。
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小手川まで、一人で乗り続けた。
窓の外が夜になっていた。
(「リュウは、私だけが言う感じがして。ずっとそう思ってた。」)
(落ち着けアラフォー。)
(落ち着けアラフォー。)
(ずっとそう思ってた、と言った。)
(俺も同じだった。「キョン」と呼ぶのは俺だけで、それが最初から少し特別だった。)
(俺はまだ言ってない。)
(でも——「ずっとそう思ってた」のは、俺も同じだ。)
(「待てる?」と聞いてきた。)
(俺は「待てる」と答えた。)
卒業式まで、あと1日。
(言う。)
(明日、ちゃんと言う。)
(38年分の準備を使い切って、ちゃんと言う。)
(それだけだ。)
(それだけ、決めた。)
小手川駅に着いた。
電車の揺れが、止まった。
第43話。ホワイトデーに布を渡した日。「決めるのはお前だ」を形にした返し方に、キョンが気づいていた。フミの合格通知も来た日。そして「リュウは、私だけが言う感じがして」——キョンが言った。そして「待てる?」とも。次回、前夜。あと1日。




