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時をかけるアラフォー 〜あの子には性別がない〜  作者: 双子相
第3幕 (ep37〜45)決着(卒業式・告白)
41/50

第41話 6曲目


 朝、目が覚めた瞬間から妙に胸が軽かった。


 昨日チョコをもらった。

 義理かどうかはリュウが決めて、と言われた。

 AO合格は去年の12月に出た。

 明日6曲目を受け取ると決めた。


 その四つが、眠るときと同じ順番でよみがえってきた。


 (落ち着けアラフォー。)

 (今日は2007年2月15日だ。ただの木曜日だ。)


---


 電車の中でキョンを探すのはいつものことだが、今日は少し早めにホームに出た。


 清峰駅でドアが開いた。

 乗り込んでくる人の中に、キョンがいた。スクールバッグのほかに、小さなエコバッグを持っていた。


 (あれだ)


 落ち着けアラフォー。


 乗り込んで、いつもの場所に立った。キョンが隣に来たのは発車してすぐだった。


「おはよ」

「おはよう」


 短い挨拶だけが最初に来て、あとはしばらく窓の外を見ていた。


 (昨日、あの一言が出た後、電車に乗り込んで、二人ともなんとなく黙っていた。)

 (「義理かどうかはリュウが決めて」。)

 (あの言葉が今朝もまだ、耳の奥に残っている。)


 川を渡る前の直線で、キョンがエコバッグをごそごそした。


「はい」


 MDケースだった。

 きのう渡しそびれてた、とキョンが小さく言った。


「昨日でよかったんじゃないか」


「バレンタインに渡すのはちょっと違う気がして」


 (なるほど。)

 (キョンの中に、そういう区別がある。)

 (チョコとMDは別の話だ——キョンにとって。)


「ありがとう。聴く」


「うん」


 キョンはそれ以上何も言わなかった。川を渡って、車窓が田んぼに変わって、また戻って。中丸駅でミナミたちと合流するまでの区間、ふたりとも別のことを考えているようなふりをしていた。


---


 授業中、ずっとエコバッグのことが頭の端にあった。


 3時間目の現代文。4時間目の数学。昼休み。5時間目の倫理。


 (落ち着けアラフォー。)

 (MDをもらっただけだ。)

 (いや、もらっただけじゃない。)

 (「AO終わったら」と言った俺に、キョンは待っていた。)

 (10月からずっと、キョンは持っていた。)


 6時間目の英語で、ユースケが後ろから紙を投げてきた。


 「放課後スタビ行かない?」


 断った。ガラケーで「今日は無理」と返した。


 ユースケからすぐ返信が来た。「なんかあった?」


 (なんかある。6曲目がある。)


 「別に何も」と打って送った。


---


 帰り道。


 ホームで電車を待ちながら、MDウォークマンを出した。


 キョンからもらったケースを開けた。ディスクが一枚入っていた。手書きの文字でタイトルが書いてあった。


 「ずっとここにいる」


 (——。)


 ケースの裏に、また手書きで同じ文字が書いてあった。


 曲名なのか、歌詞の一節なのか、それともキョンが自分で書いた言葉なのか、まだわからなかった。


 電車が来た。乗り込んだ。

 立ったまま、イヤホンを両耳に入れた。


 (今日は片耳じゃない。全部聴く。)


 再生ボタンを押した。


---


 最初に来たのはギター1本だった。


 細い音。チューニングが少し甘い感じがした。それが逆に妙に生々しかった。スタジオで録ったものじゃないかもしれない。部屋の、どこかの空気が入っている感じ。


 ベースが入った。

 ドラムが入った。

 でもどちらも小さい。ギターより前に出てこない。


 ボーカルが入った。


 男でも女でもない声だった。

 NOIR EDGEの曲はいつもそうだが、今回は特にそう感じた。どちらでもない場所から歌っている。


 「探していた

   言葉が見つからなくて

   代わりに

   ここに来た」


 (——。)


 「ここにいれば

   いつか届くかもしれない

   そう思って

   ずっといた」


 (落ち着けアラフォー。)


 「名前を呼べなくても

   ここにいる

   ここにいる

   ずっとここにいる」


 (落ち着けアラフォー。)

 (落ち着けアラフォー。)

 (電車だ。人がいる。立ってる。)


 「言葉より先に

   体が知っていた

   ここが

   居場所だって」


 (——。)


 (「言葉より先に、体が知っていた」。)


 (38年分の俺に、これが刺さる。)

 (言葉にできないまま、でもここにいたくて、ずっとここにいた。)

 (それがこの曲の話だ。)


 (キョンが、これを俺に渡してきた。)


 窓の外が川になった。また田んぼになった。

 電車が揺れた。


 (落ち着けアラフォー。)

 (電車の中で泣くな。38歳でも17歳でも、立ったまま泣くな。)


---


 曲が終わった。


 4分12秒だった。


 ウォークマンの画面に時間が表示されたままになっていた。


 もう一度再生した。


 「探していた

   言葉が見つからなくて」


 (キョンは「言葉が見つからない」と言い続けていた。)

 (「なんか変なんだよね、私」。)

 (この曲がキョンに刺さるのは——キョン自身の話だからだ。)


 「名前を呼べなくても

   ここにいる」


 (「名前を呼べなくても」。)

 (名前がない感覚を、この曲は持っている。)

 (キョンが「好きかどうかわからない」と言うとき、それは嘘じゃなくて——感覚に名前がついていないだけだ。)


 (2007年には、その名前がまだない。)

 (でもNOIR EDGEは、名前のない感覚のために曲を作っている。)

 (だからキョンは、この曲を聴き続けた。)


 電車が小手川に着いた。


 降りた。


---


 ホームで、もう一度「ずっとここにいる」を聴いた。


 3回目だった。


 今度は全部入ってきた。

 「探していた、言葉が見つからなくて」から「ずっとここにいる」まで、全部。


 (俺はまだ言ってない。)

 (言えていない。でも——「ここにいる」だけは、伝わっていると思う。)

 (ずっとここにいる。それだけは、本当のことだ。)


 3月まであと2週間。

 卒業まで3週間。

 ホワイトデーまで4週間。


 (返す側になったのは、初めてだ。)


第41話。2007年2月15日、6曲目の日。「ずっとここにいる」——名前のない感覚のために作られた曲が、名前を言えないでいるリュウに刺さる。NOIR EDGEがキョンとリュウを繋ぐ糸だとしたら、6曲目はその糸が一番短くなった瞬間だと思います。次回、ホワイトデーへ向けて動き始める。


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