第40話 2月14日。義理と本命のあいだ
2月14日。
(来た。)
(バレンタインデーだ。)
(38歳にはもう関係のない日だったのに、16歳に戻ったら完全に関係ある日になった。)
AO入試の最終合格通知が来たのは去年の12月だった。
南浜国立大学経営学部。合格。
それ以来、受験という重石が消えて、3学期が不思議なくらい軽い。
朝のホームに着いた瞬間、空気が違うのがわかった。
女子がそわそわしている。
男子がそわそわしている。
全員そわそわしている。
(落ち着けアラフォー。)
(これが青春というやつだ。)
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1時間目が終わった休み時間。
最初に来たのはミナミだった。
「柳くん!」
廊下からの声が大きい。
いつもより大きい。
「はい。」
「はい、義理! キョンの分も!」
二個のチョコを両手で差し出してきた。
包み紙がピンクとピンクで、リボンがついている。
(明らかに手作りだ。)
(2007年のバレンタインにここまでする女子高生の熱量、忘れていた。)
「ありがとう。キョンの分も?」
「キョン不器用だから。渡すの恥ずかしいって言うから。」
「……そうか。」
「もう! 本人に言わないでよ!」
ミナミが顔を赤くして去っていった。
(キョンの分も。)
(代理人制度。)
(落ち着けアラフォー。)
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2時間目が終わった。
今度はサナだった。
「柳くん、はい。義理。」
サナのはコンビニのチョコだった。
包みも何もない。
袋のまま。
(サナらしい。)
「ありがとう。」
「ミナミが手作りで張り切ってたから釣られて買ってきた。いや待って、それ言わなくてよかった。」
「いや言ってくれた方がいい。」
「柳くんってたまに面白いよね。」
サナが行った。
(面白いって何だ。)
(38歳だから面白いんだよ。)
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昼休み。
フミが生徒会室に来た。
弁当を持って。
いつも通り。
席に着いて、弁当を開けて、チョコを一個だした。
黙って俺の前に置いた。
「……義理か。」
「義理だ。」
「ありがとう。」
「礼はいい。経済の問題、今日はあるか。」
(フミ。)
(お前の義理チョコは一番フミらしい。)
(イベントを完全にルーティンとして処理している。)
「ある。」と言って問題を出した。
フミが式を書き始めた。
(ちなみにリサはどうした。)
(と思った瞬間。)
廊下からドアがあいた。
「柳くーん! チョコ! 義理だよ! 手作りじゃないよ! でもおいしいよ!」
リサだった。
入口からチョコを投げてきた。
受け取った。
「ありがとう。」
「じゃあね!」
去った。
(3秒だった。)
(リサのバレンタインは3秒だった。)
フミが何も言わずに式を書き続けた。
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放課後。
廊下でバータとユースケに捕まった。
「リュウ! お前今日何個もらった!」
バータが開口一番そう言った。
「数えてない。」
「嘘つけ! 俺は今日まだゼロだ! ゼロ! 生きてる意味!」
「大袈裟すぎる。」
「ゼロだぞ! 俺の愛嬌は何のためにあったんだ!」
ユースケが横から口をはさんだ。
「俺も一個。クラスの女子から。」
「一個か。」
「一個は一個だろ。充分だろ。」
「いや俺はゼロだ! ゼロと一個の差は無限だ!」
(バータ。)
(お前の語彙が今日は感情に引っ張られている。)
「バータ、去年は?」
「去年は……三個。」
「去年三個もらえたなら今年もどこかから来る。」
「ほんとか!?」
「しらん。」
「リュウ!?」
(俺は占い師じゃない。)
そのとき。
廊下の向こうからミナミが走ってきた。
「馬場くん! はい! 義理!」
チョコを差し出した。
バータが固まった。
「……え。」
「サナとキョンの分もまとめて! ほら!」
三個出てきた。
バータが受け取った。
まだ固まっていた。
「……サンキュ。」
「どういたしまして! じゃあね!」
ミナミがまた走っていった。
バータがユースケを見た。
ユースケがバータを見た。
「……三個来た。」
「来たな。」
「ゼロから三個!」
「一気に来すぎだろ。」
(ミナミ。)
(お前、配達員か。)
(38歳が思わずツッコんだ。)
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図書室。
9稿目は去年の10月に完成した。
今日は特に目的もなく座っていたが、手が動いた。
(AO合格が出てから、机に向かう理由が変わった気がする。)
(「合格のため」じゃなくて、「次のため」になった。)
そのとき。
向かいの席に人が来た。
顔を上げた。
キョンだった。
「ここ、いい?」
「どうぞ。」
キョンが座った。
リュックを置いた。
教科書を出した。
(いつも通りだ。)
(今日がバレンタインであることを、キョンは意識していないように見える。)
(……意識していないのか?)
(落ち着けアラフォー。)
(集中しろ。)
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19時。閉館放送が入った。
片付けて、廊下に出た。
二人で並んで歩いた。
下駄箱。
外。
冷気。
いつも通りの帰り道だった。
駅の改札を抜けて、ホームへの階段を上がったとき。
キョンが少し歩みを遅らせた。
「あのさ。」
「うん。」
キョンがリュックの前ポケットに手を入れた。
小さい紙袋を出した。
「……今日、これ。」
俺に向けて差し出した。
受け取った。
(……なんだ。)
(チョコだ。)
(形からして、手作りじゃない。ちゃんとした店の包みだ。)
(ミナミのリボンつきとも、サナのコンビニ袋とも、違う。)
「……義理、か。」
言ってから、少し後悔した。
なんでそう聞いた。
キョンが少し間を置いた。
「……義理かどうかは、リュウが決めて。」
(——。)
電車が入ってきた。
(落ち着けアラフォー。)
(落ち着けアラフォー。)
(「リュウが決めて」。)
(今、なんて言った。)
「……ありがとう。」
それしか言えなかった。
キョンが前を向いた。
ドアが開いた。
二人で乗り込んだ。
電車が動き始めた。
(俺はまだ言ってない。)
(でも今日——キョンが何かを言った。)
(言葉にしない言葉で、何かを言った。)
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家に帰った。
机に座った。
紙袋を開けた。
チョコレートが一個入っていた。
小さい。
でもちゃんとした洋菓子屋の包み紙だった。
リボンもない。
ただ、丁寧に包まれていた。
(義理かどうかは、リュウが決めて。)
(……どっちだ。)
(38歳の経験値をフル動員しても、わからない。)
(いや、わかっている。)
(わかっているから怖い。)
(お前はまだ「好き」という感覚がわからないと言っていた。)
(「みんなが言う好きと同じかどうかわからない」と言っていた。)
(お前が感じていることには、ちゃんと名前がある。)
(でも2007年には、その言葉がまだ社会に広まっていない。)
(だから「リュウが決めて」という言い方になった。)
(それが——お前の今の精一杯だったんだと思う。)
(俺はまだ言ってない。)
(でも今夜。)
(ちょっとだけ近くなった気がした。)
机の端のチョコを、もう一度見た。
(——キョン。)
(「9稿目終わったら」、って言った。)
(もう終わった。合格も出た。)
(じゃあ次の曲を受け取る番だ。)
(明日。)
(6曲目を、受け取る。)
第40話。バレンタイン回です。ミナミの代理人制度、バータのゼロ→三個逆転劇、リサの3秒納品、フミの完全ルーティン処理——脇役4人がそれぞれの流儀でバレンタインをやりました。そしてキョンの「義理かどうかは、リュウが決めて。」。AO合格の重石が消えた3学期、リュウの頭に残るのはこの一言だけです。次話——6曲目、受け取る。




