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時をかけるアラフォー 〜あの子には性別がない〜  作者: 双子相
第3幕 (ep37〜45)決着(卒業式・告白)
39/50

ep39「9稿目」


 イヤホンを返した。


 指先が触れるかどうかの距離で、キョンの手のひらがそれを受け取った。窓の外を流れる景色は橙色で、10月の夕方は日が落ちるのが早い。


「……いい曲だった」


 俺が言うと、キョンは小さく前を向いたまま「うん」と言った。それだけだった。


 (落ち着けアラフォー。普通の夕方だ。電車だ。)


 でも耳の奥にまだピアノの残響があって、俺は少しだけ困った。


---


 AO入試の一次書類の結果が出たのは、その翌週の月曜だった。


 朝、担任に呼ばれて職員室に行った。


「柳。一次、通過。」


 それだけだった。


 「おめでとう」もなかった。うちの担任はそういう人間だ。結果だけを紙に書いて、机の上に置く。感情は自分で用意しろというスタンス。


 (……通過した。)


 廊下に出てから、少し立ち止まった。


 (通過した。)


 達成感ではなく、確認だった。38歳の俺は「まあそうだろう」と思っている。でも17歳の体は、ほんの少し震えていた。


 (体、素直すぎる。)


---


 昼休み、生徒会室に戻ったら、なぜかバータがいた。


「なんでここにいる」


「お前に用がある。」


 バータが言った。珍しく声が低い。用があるときだけ声が下がるやつだ。


「何だ。」


「AO、どうだった。」


 (聞いてたのか。)


「一次、通過。」


「……そうか。」


 バータが少し間を置いた。


「俺、外部受験やめようか迷ってる。」


 (来た。)

 (バータのやつ、こういう話をするために来た。)


「なんで急に。」


「急じゃない。ずっと迷ってた。附属にそのまま上がれる。でもそれでいいのかって。」


「何が不安だ。」


「外に出てみないと、俺がどのくらいのもんか、わからないじゃないか。」


 (バータ。)

 (お前、そういうことを考えていたのか。)


 (38歳の俺が言えるのは——こいつが外に出ないと後悔する、ということだ。附属に残った元の歴史のバータは、2浪して鬱になった。でもそれは言えない。)


「外に出たいなら出ろ。」


「でも——」


「「でも」の後に続く理由が、自分のためのものか、誰かのためのものか、どっちだ。」


 バータが黙った。


「……自分のためか、たぶん。」


「なら出ろ。失敗しても、お前は立て直せる。」


「なんでわかる。」


「見てたから。」


 (お前が倒れても立ち上がる未来を、俺は知っている。だから今はその前に曲げてやりたい。)


 バータが俺を見た。

 3秒くらい見た。


「……お前って、なんかたまに急に怖いな。」


「怖くはない。」


「いや怖い。普通じゃない確信を持って言う。」


 (38年分の確信だ。そりゃ普通じゃない。)


「まあ、考えてみろ。締め切りまでまだある。」


「……そうする。」


 バータが立ち上がった。


「サンキュな、リュウ。」


「礼はいい。」


「いや言わせろ。お前に言いたかったんだから。」


 バータが出ていった。


 (バータ。)

 (お前は外に出ろ。出た先で転んで、またでかくなれ。)


---


 放課後、図書室の端の席に座った。


 志望動機の9稿目。印刷した8稿目に赤を入れたものが手元にある。先生から返ってきたときに「もう少し具体性が欲しい」と書いてあった。


 (具体性、か。)


 8稿目でフミの言葉を借りて「生徒会長として学校という仕組みを動かした」と書いた。それは本当のことだ。でも先生は「どう動かしたか」が見えないと言った。


 (わかった。エピソードを入れる。)


 ペンを動かし始めた。


 文化祭の予算配分の話を入れた。2年のとき、吹奏楽部への配分が慣例で決まっていたのを、実績と参加者数で見直した。当時は揉めた。でも結果として4つの部活の予算が増えた。


 「仕組みを動かした」の後ろに、その一件を100字で書いた。


 読み直した。


 (……具体性が出た。)


 ペンを置いた。


 (これで9稿目ができる。)


 「わかった。エピソードを入れる」と思ってから20分だった。8稿書いて、ここで詰まって、なのに解けたのは20分だった。


 (38歳でSEをやってた俺でも、これだけかかった。)

 (いや、38歳だから時間がかかったのかもしれない。)

 (知識があると「もっとうまく書けるはず」という欲が出る。それが邪魔をしていた。)


---


 そのとき向かいの席に人が来た。


 顔を上げた。


 キョンだった。


「ここ、いい?」


「どうぞ。」


 キョンはリュックからA4の封筒を取り出して、机に置いた。


「もう出したんじゃないか。」


「これは二次の追加資料。面接前に出す。」


 そう言って、キョンは封筒をぼんやり見た。決めた顔で、でも少しだけ緊張している。そのふたつが同時にある顔だった。


 (そうか。キョンもまだ終わっていない。)


 (二次面接か。専門学校の服飾科——キョンが自分で選んで、自分で動いた。)


 (怖くて当然だ。俺も今日、一次通過の紙をもらって少し震えた。)


 俺は何も言わなかった。

 キョンも何も言わなかった。


 2人で、それぞれの紙に向かった。


 (同じ時間に、同じ図書室で、それぞれの答えを書いている。)

 (こういうのが——なんか、好きだ。)

 (落ち着けアラフォー。)


---


 19時。図書室の閉館放送が入った。


 片付けて、廊下に出た。

 二人で並んで下駄箱まで歩いた。外に出ると冷気が顔に当たって、キョンが少し首をすくめた。


 駅まで歩く間、お互いあまり喋らなかった。


 ホームで電車を待っていると、キョンがリュックの内ポケットに手を入れた。


「あのさ」


「うん」


「次の曲、決まってるんだけど」


 (来た。6曲目だ。)


「聴く?」


 俺は頷こうとして、少し止まった。なんとなく、今じゃない気がした。理由はうまく言えない。ただ——9稿目が終わったら、という気持ちがあった。


「……もうちょっと待って」


 キョンが俺を見た。


「AO、終わったら」


 少し間があった。


「わかった」


 キョンはポケットに手を戻して、また前を向いた。電車が入ってきた。


 (答えを出す前に次の曲を受け取ったら、なんか負ける気がした。)

 (理屈じゃない。順番の話だ。)


 俺たちは並んで乗り込んだ。


---


 家に帰って、机に座った。


 9稿目を書いた。


 8稿目に入れた「動かしたいものがある」という核心はそのまま使った。そこに、文化祭予算の件を100字で足した。先生が「具体性が欲しい」と言ったのに対する、俺の答えだ。


 書き終えたのは23時を過ぎていた。


 読み直した。

 また読み直した。

 3回読んで、ペンを置いた。


 (……これだ。)


 嘘がない。具体性もある。16歳の言葉になっている。

 9稿書いた。それだけかかった。


 (落ち着けアラフォー。)

 (38年生きてきて、自分の志望動機を9回書き直した。)

 (なかなかない経験だ。)


 (——よし。)

 (終わった。)


 (キョン。)

 (「AO、終わったら」って言った。)

 (終わった。)

 (次は、6曲目の番だ。)


第39話。AO一次通過、バータとの会話、9稿目完成——今回はリュウにとって「決まっていく」回でした。バータの「外に出たい」はまだ迷いの段階。図書室でキョンと並んで各自の紙に向かう場面が今回一番好きです。次回、二次面接を終えたキョンとリュウのAO結果が出る前後の話へ。

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