第33話 夏休み最後の日のメール。「どっちが刺さった?」
8月14日の夜から、何かが変わった。
(変わった、というのは正確じゃないかもしれない。)
(もとからそこにあったものが、少しだけ表に出てきた感じだ。)
それからの10日間、NOIR EDGEを4回聴いた。
ユースケが貸してくれたCDじゃない。
右のイヤホンで聴いた、あの2曲だけを、頭の中で何度も再生した。
「名前のない感情」。
「居場所を探してる 地図もないのに」。
(MDウォークマンも持ってないのに、なぜこんなに覚えているんだ。)
(怖いな。)
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8月25日。
夏休みは残り一週間を切っていた。
ファミレスに4人で集まったのはユースケの声がけだった。
「最後にみんなで勉強会しようぜ」とガラケーに着信が来て、フミとバータも来ることになった。
(4人で勉強会。わかってる。半分は勉強、半分はダラダラするやつだ。)
最寄りのファミレスは「ロイヤルサイド」といって、西都線沿いにあった。
夏休み終盤のファミレスはほどよく学生でうまっていた。
教科書・ノート・問題集が机の上に広がった。
「夏期講習どうだったよ、ユースケ。」
「英語は手応えあった。物理はまじでやばい。」
「何がやばいんだ。」
「波動。波動だけが俺のことを嫌ってる。」
「波動に嫌われてどうする。」
(宇宙に行く男が波動で詰まっている。)
(でも、こういうのでいいんだ。これが高校生だ。)
バータがシャープペンシルを回しながら言った。
「俺さ、夏休みの事業計画書の草案できたんだけど。」
「え、マジ。」とユースケが顔を上げた。
「校内のビジネスアイデアコンテスト、出そうかと思って。」
「あったっけそんなの。」
「生徒会が毎年やってる。賞金はないけど副校長名義の推薦状がもらえる。」
(それは知っている。去年もあった。)
(推薦状があると推薦入試の書類に使える。バータはちゃんと考えてる。)
「出せ。絶対出せ。」と俺は言った。
バータが少し驚いた顔をした。「リュウが言うと、出なきゃいけない気がしてくる。」
「出なきゃいけない。出ろ。」
「わかった。」
(わかった、と即答した。)
(こういうときのバータは迷わない。)
(大柄で豪快で、でも一番真剣なのがバータだ。)
フミが問題集を閉じないまま言った。
「コンテストの締め切り、9月の1週目だぞ。夏休み明けすぐだ。」
「あー……」とバータが唸った。
「草案あるなら形にしろ。今日中に見せろ。」
「お前、人の課題まで背負うな。」
「俺の模試が先にある。どっちも終わらせる。」
(フミ。)
(こいつは全部やる気で言っている。)
(「どっちも終わらせる」って顔が、完全に弁護士の顔だった。)
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1時間くらい各自で手を動かして、注文のタイミングにユースケが急に言った。
「そういえば展示会どうだったよ。」
(来た。)
「楽しかった。」と俺は言った。
「山岸いたって聞いたけど。」
「いた。途中で帰った。」
「喧嘩した?」
「してない。」
フミが問題集に目を落としたまま言った。
「ちゃんと帰り道、キョンと電車乗ったか。」
(さらっと言った。)
(でも「ちゃんと」がついてる。)
「乗った。」
「そうか。」
フミはまた問題集に戻った。
(全部わかってる顔をしている。)
(でも目が「それで、どうだった」と言っていた。)
「NOIR EDGE、聴いた。」と俺は言った。
フミがちらっとこちらを向いた。
ユースケが「なんだそれ」という顔をした。
「キョンが好きなバンド。帰りの電車で聴かせてもらった。」
「へー。どうだった。」とユースケ。
「よかった。」
「リュウがバンドをよかったって言うの珍しくない?」とバータ。
「そうか。」
「普段、音楽の話しないじゃん。」
「聴かないわけじゃない。好みが変わった。」
フミが何も言わなかった。
でも少しの間、俺を見ていた。
(「バンド名まで出てきた」ということが何を意味するか、わかってる顔だった。)
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勉強会が終わったのは18時を過ぎていた。
フミと2人になった。
歩きながら、しばらく黙った。
「ちゃんとやれてるか。」
フミが正面を向いたまま言った。
「何が。」
「全部。」
「やれてる。」
「そうか。」
「焦んなよ。」
「焦ってない。」
「ならいい。」
フミは小手川の反対方向の改札に向かった。
振り返りもしない。
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8月30日。
夏休み最後の日だった。
ガラケーを開いた。
```
夏休み最後の日。
帰りの電車で聴いてから、NOIR EDGEが頭から離れない。
曲名、教えてもらっていいか。
```
送信した。
返信が来たのは夕方だった。
```
「見えない地図」と「夜の縁」。
どっちが刺さった?
```
(聞き返してきた。)
俺は打った。
```
両方。
でも「夜の縁」の方が先に来た。
```
```
わかる。
あれは一発で来る人と、何回か聴いてから来る人に分かれる。
リュウは一発か。
```
```
一発だった。
最初の「名前のない感情」で来た。
```
```
そっか。
いいな、それ。
```
(いいな、それ。)
(それだけだった。)
(でも「いいな」だった。)
(俺はまだ言ってない。)
(でも今夜のメールで、何か一個だけ——キョンに届いた気がした。)
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9月1日。
2学期が始まった。
キョンが来たのは礼の5分前だった。
教室に入ってきて、自分の席に向かった。
俺の席の2列前だった。
(変わった。)
(髪が少し短くなっている。)
(ストレートパーマは前からだが、毛先が揃ったぶん輪郭がきれいに見える。)
(落ち着けアラフォー。礼が始まるぞ。)
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休み時間に、サナが席を立ってキョンのところに来た。
「夏休みどうだった!」
「まあまあ。展示会行った。」
「知ってる!ミナミから聞いた!」
「柳くんとは?」とサナが言った。
「一緒に見て、帰りに電車乗った。」
「それだけ?」
「それだけ。」
「なんかさ——」とサナが声を落とした。「キョン、なんか変わった?」
「そう?」とキョンが言った。
「うーん。なんか——顔が、落ち着いてる?」
「それ変わった、じゃなくて落ち着いた、でしょ。」
「同じじゃん。」とサナが言った。
(サナ。するどい。)
キョンが何も言わなかった。
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その日の放課後。
廊下を歩いていたら、キョンとすれ違った。
「メール、見た。」とキョンが言った。
「見た。」と俺は言った。
「次、何か聴かせるよ。」
キョンはそれだけ言って、別の方向に歩いていった。
(振り返らない。)
(次、か。)
(次があるということは、続くということだ。)
(NOIR EDGEが、まだ続く。)
(俺はまだ言ってない。)
(でも「次」という言葉が、ちゃんと届いた。)
「どっちが刺さった?」と聞き返してくるキョン。「一発だった」と答えるリュウ。「いいな、それ」の3文字でepが閉じる。
次回——2学期が動き出す。そして「次」が来ます。あと、ライブリンクショックの布石も動き始めます。




