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時をかけるアラフォー 〜あの子には性別がない〜  作者: 双子相
第2幕(ep20〜36)「3年生・勝負の年」
31/50

第31話 展示会当日。ライバルと鉢合わせ。「ずっと見てた」を言った

山岸が来た。「悪いやつじゃない」のが一番やっかいです。「キョンに任せる」は計算じゃなく反射——でもそれが正解でした。そして「ずっと見てた」。「好き」じゃないけど「好き」の1個手前まで来ました。

次回——帰りの電車で、NOIR EDGEが流れます。


 清峰駅の改札を出たのが9時58分だった。


 (早すぎた。)

 (「10時に」と送ったはずなのに、9時43分の電車に乗っていた。)

 (なんで10分早く家を出た。38歳がビビるな。)


 駅前のロータリーで、日陰を探した。

 8月の日差しが、正面から来ている。

 コンビニの軒下に滑り込んで、ガラケーの時計を確認した。

 9時59分。


 (1分。)


 「リュウ。」


 声がした。

 振り向いたら、キョンがもう来ていた。


 (俺より早かった。)


 「早いな。」


 「……リュウも早い。」


 「10時に来ようとして、9時58分になった。」


 キョンがわずかに口角を上げた。

 笑いを表に出さない。でも出てた。


 「私も同じだった。」


 (同じだった。)

 (落ち着けアラフォー。重要なことじゃない。でも少し嬉しかった。)

 (少しだけ。)


---


 代々木まで、電車で20分ほどかかった。


 キョンはリュックに何かを入れてきていた。

 折り畳みのカタログか、ノートか。

 ずっと膝の上に置いていた。


 「今日の展示会、何が目当てだ。」


 「国内の若手が多い回。学校の先生が教えてくれた。年に1回あるやつ。」


 「先生も来るのか。」


 「来るかもしれない。あ、でも別に。リュウに関係する話じゃないよ。先生は先生で来る感じだから。」


 (フォローが入った。)

 (俺と先生の間に何かあると思ったのか。ない。)

 (でも、「別にいい」と言いたかったんじゃなくて、「リュウと一緒に来たかった」という意味に読めなくもない。)

 (落ち着けアラフォー。脳内変換するな。)


 「わかった。」


 「……楽しめるかな。服に興味ない人が来ると、つまらないんじゃないかと思って。」


 (少し前、キョンはこういうことを言わなかった。)

 (「来てほしい」を言葉にするようになってきている。)


 「俺が行きたいと思ったから行く。」


 キョンがまた少し黙った。

 電車の揺れが、2人の間にあった。


 「……そっか。」


---


 会場は、ビルの3フロアを使った展示スペースだった。


 入口でパンフレットをもらった。

 キョンがすぐに開いて、出展ブースの番号を確認し始めた。


 (このモードのキョンは速い。)

 (目が違う。)


 「先に見たいのはあるか。」


 「……3フロアの、端から2番目。Yusei Nishimotoってやつ。」


 「先に行こう。」


 「いいの?」


 「俺はどこでも同じだ。キョンが見たいものを先に見た方がいい。」


 キョンが少し考えてから歩き出した。

 俺は横に並んだ。


 (展示会だ。)

 (服があって、人がいて、光がある。)

 (38歳で来たらどう思うのか。今の俺には想像がつかない。)

 (でもキョンが「見たい」と言った場所は、俺も見たい。)


---


 3フロアへのエスカレーターを上りながら、キョンが口を開いた。


 「ねえ。」


 「何か。」


 「昨日のメール。変なこと聞いてごめん。」


 (変なこと。)

 (「好きな曲って、どうやって好きになった?」の話だ。)


 「変じゃなかった。」


 「……NOIR EDGEって言っちゃったから、なんか急に恥ずかしくなって。」


 (昨夜、向こうから言った。)

 (「恥ずかしくなった」というのは、言った後に気づいたということだ。)


 「なんで恥ずかしいんだ。」


 「……なんか、変なの聴いてるって思われそうで。」


 (変、か。)

 (変じゃない。でも2005年にビジュアル系のインディーズを聴いている女子高生を、そう見る人間はいると思う。)

 (俺は思わないが。)


 「変だとは思わない。」


 「……なんで言いきれるの。聴いたことないのに。」


 (正論だった。)

 (聴いたことがない。俺はまだ正式に聴いていない。)


 「……聴いてみたい。本当に。昨日も言ったけど。」


 キョンが前を向いたまま、少しだけ口を開いた。


 「……じゃあ、今日。帰りに。」


 (帰りに。)

 (今日、帰りに。)


 (落ち着けアラフォー。エスカレーターから落ちるな。)


---


 Yusei Nishimotoのブースは、端の角にあった。


 服が5着、マネキンに飾られていた。

 白と黒と、くすんだ緑だけを使っている。

 シルエットが少し崩れている——正確には、「崩れているように計算されている」という感じだった。


 キョンが止まった。


 (動かない。)

 (声もかけない。ただ見ている。)


 俺は横に立って、同じ方向を見た。


 (これが「服を見る」ということか。)

 (説明は要らない。近づいて触れるわけでもない。ただ、そこにあるものを受け取っている。)

 (キョンにとって、これは言語が要らない時間なんだ。)


 しばらくして、キョンが動いた。

 マネキンの横に寄って、生地の端をそっと指で触れた。

 少しして離した。


 「……縫い目が、外に出てる。」


 「わかるのか。」


 「わかる。なんでそうしたか、もわかる。」


 (なんでそうしたか、もわかる。)

 (俺には全然わからない。)


 「なんでだ。」


 「……縫い目を隠したら、完璧になりすぎるから。完璧な服って、着る人を選ぶ。選ばれた人しか着れない感じになる。縫い目が見えてると、人間みたいになる。」


 (人間みたいになる。)

 (この言い方が、キョンだ。)

 (「完璧じゃない方が近づける」を、キョンは「人間みたい」という言葉にした。)


 「……それがいいと思うか。」


 「思う。着る人を選ばない服が好き。」


 (生徒会室で、最初に聞いた言葉だ。)

 (キョンはずっと、同じことを言っている。)


 (俺はまだ言ってない。)

 (でも今日、何かが変わるかもしれない。)


---


 2フロアを見て回るうちに、30分が過ぎた。


 そのとき、声がした。


 「橘さん! 来てたんですか。」


 (山岸だ。)


 3フロアから上がってきたところで、鉢合わせた。

 背が高い。清潔感がある。

 「悪いやつじゃない」というフミの評価が、外見から正しいとわかる顔だった。


 (これがいい評価だと思いたくない。でも実際にいいと思う。)

 (38歳の客観的判断だ。くそ。)


 「あ。山岸くん。」


 キョンが答えた。


 山岸が俺の方を見た。


 「あ、柳くんも。同じ回か。」


 「ああ。」


 山岸がパンフレットを手に持っていた。


 「俺、今から3フロア回ろうと思ってて。橘さん、もう見ました?」


 「見た。」


 「どうでした?」


 「……良かった。」


 (短い。)

 (キョンがそれ以上言わないのは、山岸への返答がそれだけだったからだ。)

 (俺には「なんでそうしたかもわかる」まで言った。)


 (落ち着けアラフォー。そういう話をするな。)

 (でもそれは事実だ。)


 山岸が少し考えてから言った。


 「一緒に回りませんか。橘さんが見た後の方が、説明してもらえそうで。」


 (真っ直ぐだ。)

 (断りにくいように包む余計な前置きもない。シンプルに誘っている。)

 (これは強い。38歳から見ても、強い誘い方だ。)


 キョンが、俺を見た。


 (俺を見た。)

 (「どうする?」じゃない。でも視線で、聞いている。)


 俺は山岸を見て、それからキョンを見た。


 「俺は今日の目当てをもう見たから、キョンに任せる。」


 (言えた。)

 (計算じゃない。反射だった。)

 (「俺が決める」じゃなく「キョンが決める」を選んだ。それが正しかった。たぶん。)


 キョンが短く言った。


 「……じゃあ1フロアだけ。私も見たいのあるから。」


 山岸が「ありがとうございます」と言った。

 3人で1フロアに向かった。


 (俺はまだ言ってない。)

 (でも今は、それでいい。)


---


 1フロアの展示を一周して、山岸が別のブースに声をかけに行った。


 俺とキョンが、少し空いた。


 「ねえ。山岸くん、すごく真っ直ぐだよね。」


 (キョンが言った。)

 (「真っ直ぐ」。それが山岸への評価だ。)

 (好意ではなく、観察だ。でも観察していることに変わりない。)


 「そうだな。」


 キョンがブースの服を見ながら、続けた。


 「リュウって、真っ直ぐに見えないのに、真っ直ぐなときがある。」


 (なんだそれ。)


 「どういう意味だ。」


 「……なんか、迷ってる感じがするけど、迷ったままちゃんとした方を選ぶ。なんでかわからないけど、そういうふうに見える。」


 (38年生きてきた俺への評価が、それだった。)

 (「迷ってる感じがするけど、ちゃんとした方を選ぶ」。)

 (あながち間違いじゃない。苦しいが。)


 (俺はまだ言ってない。)

 (迷ってる。でも今日、何かを選ぶかもしれない。)


 「……それで合ってる。」


 キョンが少し振り向いた。


 「そうなの。」


 「迷うのは本物だ。でもどっちが正しいかは、だいたい最初からわかってる。」


 キョンが黙った。

 服を見ながら、何かを考えていた。


 「……私も、そういうことあるかな。」


 「あると思う。」


 「なんで言いきれるの。」


 (今日2回目だ。「なんで言いきれるの」。)


 「見てるから。」


 キョンが服から目を離して、俺を見た。

 1秒。

 2秒。


 それから前を向いた。


 「……見てたのか。」


 「ずっと。」


 (言った。)

 (「ずっと見てた」を言った。)

 (これは「好き」じゃない。でも「好き」の1個手前に来た。)

 (落ち着けアラフォー。心拍数が上がっている。)


 キョンは何も言わなかった。

 でも歩みが、少し遅くなった。


 (気づいている。)

 (キョンは気づいている。全部じゃないかもしれないけど、何かを。)


---


 展示会を出たのが13時過ぎだった。


 山岸は途中で知り合いに会って、「お先に失礼します」と出ていった。


 (真っ直ぐだ。本当に。)

 (くそ。)


 2人でビルを出た。

 日差しが強かった。


 「どうする。帰るか。」


 キョンが少し間を置いてから言った。


 「……さっきの話。帰りに聴かせるって言ったやつ。」


 (覚えていた。)

 (「帰りに」。)


 「覚えてる。」


 「……今、ここじゃ無理だけど。電車の中なら。」


 (電車の中で、右のイヤホンを。)

 (また、あの時間が来る。)


 「駅まで歩こう。」


 キョンが頷いた。


 2人で歩いた。

 日差しの中を、2人で歩いた。


 (俺はまだ言ってない。)

 (でも今日、「ずっと見てた」を言った。)

 (キョンが歩みを遅くした。)

 (それだけで、今日は十分かもしれない。)

 (十分じゃないかもしれない。)

 (でも——今日の帰りの電車で、NOIR EDGEを聴く。)

 (それは確定した。)


 キョンの右側に並びながら、俺は思った。


 (言う準備が、少しずつ整っている。)

 (急がなくていい。でも止まるつもりもない。)

 (俺はまだ言ってない。でも言う。)


 代々木の夏の空が、白く広がっていた。


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