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時をかけるアラフォー 〜あの子には性別がない〜  作者: 双子相
第2幕(ep20〜36)「3年生・勝負の年」
30/50

第30話 前夜「山岸も来るみたい」。NOIR EDGEの名前を初めて聴いた


 8月13日。


 明日が展示会だった。


 今日は学校には行かなかった。

 午前中は自宅で参考書を進めた。

 AO入試の書類の仕上げに集中した。


 (明日は展示会。)

 (でも今日の俺はまだ高校生で、受験生で、会長だ。)

 (両方やる。それでいい。)


 参考書を閉じて、窓の外を見た。8月の昼の空気。蝉の声が断続的に来ていた。


 (AO入試の書類は先週仕上げた。面接の準備も大体できている。)

 (38歳のSEが高校生の筆跡で書く志望理由書だ。嘘は書いていない。ただ、本当のことを全部は書けない。)


 (それはそれとして——明日だ。)

 (キョンが「ずっと作ってる服」を、俺は今日まで一度も見ていない。)

 (明日、展示会の中で、初めて見る。)


 昼過ぎ、ガラケーが鳴った。


 キョンからメールが来ていた。


 「明日、よろしく。」


 (来た。)

 (明日が来る。)


 「ああ。代々木、何時に着くか決めたか。」


 「10時に清峰駅で待ち合わせは? そこから一緒に行けると思う。」


 (清峰駅。キョンの最寄り。俺が一駅戻る形になるが、そんなことはどうでもいい。)


 「わかった。10時に清峰駅。」


 「うん。……今日もなんか作業してた。展示会のやつじゃなくて、ずっと作ってる服。」


 「終わったか。」


 「半分くらい。夏中に終わらせる。」


 少し間があってから、もう1通来た。


 「ねえ、リュウ。変なこと聞いていい?」


 (「変なこと」。)

 (キョンが断ってから聞くのは、珍しい。)


 「いいよ。」


 「好きな曲って、どうやって好きになった?」


 (予想外の質問だ。)


 「どういう意味か。」


 「なんか、すごく好きなものって、最初からそうだった気がする。でも、なんで好きになったか言えない感じ。それって変かな、って思って。」


 (変じゃない。)

 (全然変じゃない。)

 (「なぜ好きかを説明できないもの」は、むしろ一番深いところにある。)


 「変じゃない。説明できない方が本物のことが多い。」


 「……そっか。」


 「そっちは?」


 「なんか、急にそう思って。NOIR EDGEの曲を聴いてたら。」


 (止まった。)

 (NOIR EDGE。)

 (あのイヤホンの、曲だ。)

 (キョンがアーティスト名を教えてくれたのは、今が初めてだ。)

 (向こうから言った。)


 (1年と少し、毎朝この音楽を聴いてきた。)

 (差し出されたイヤホン。右耳に差す。音が来る。それだけだった。)

 (名前を聞いたことは一度もなかった。聞けなかったというのが正確だ。)

 (聞いてしまったら、何かが崩れる気がして。)

 (名前のない音楽のまま、毎朝もらっていた。)

 (その名前を、今夜、向こうから言った。)


 (落ち着けアラフォー。)

 (これは重要かもしれない。でも今夜は明日の前夜だ。引き止めるな。)


 「……いつか聴いてみたい。」


 「いつか。」


 (その「いつか」がいつかは、まだわからない。)

 (でも「いつか」は、ある。)


---


 もう1通来た。


 「あと、3Aの山岸くんって人も明日来るみたい。声かけられたんだ、展示会行くって。」


 (体の中で、何かが止まった。)

 (静かに。)


 「そうか。」


 返信しながら、内心は全然静かじゃなかった。


 (山岸が来る。)

 (展示会に。)

 (俺とキョンが行くのと同じ日に。)

 (偶然じゃない。ミナミに聞いていた。「キョンがよく行く場所」を。)

 (それがここに繋がったんだ。)


 (落ち着けアラフォー。)

 (これは俺が焦る話じゃない。)

 (……いや、焦る話だ。正直に言う。焦っている。)


 (山岸が何者かは、大体わかっている。3Aのやつだ。バスケ部で背が高い。)

 (ミナミから「キョンがよく行く場所」を聞き出したんだろう。)

 (そういうことができる人間が、明日——俺とキョンが行く場所に来る。)

 (意図がある。偶然じゃない。だから余計、嫌なんだ。)


 ガラケーを握ったまま、少し考えた。


 (焦りと行動は別だ。)

 (ミナミに言ったことだ。自分でも信じてる。)

 (ただ——明日は、動くかもしれない。)

 (計算しきれない最後の1手が、動くかもしれない。)


 「じゃあ、明日。」


 キョンから最後のメールが来た。


 「うん。明日。」


---


 窓の外。

 夏の夜の空気が、蒸し暑いままだった。


 (俺はまだ言ってない。)

 (でも明日、展示会の中で。)

 (キョンが好きなものを前にして。)

 (山岸が同じ場所にいて。)

 (俺は——どうする。)


 ガラケーを閉じた。


 (NOIR EDGE。)

 (キョンが今夜、自分からその名前を言った。)

 (1年かけて、ずっと「今度」と言い続けてきた名前を。)

 (今夜、メールの中で。)


 (落ち着けアラフォー。)

 (それだけのことだ。)

 (それだけだが——それだけで十分だ、今夜は。)


 明日が来る。


第30話。展示会前夜のメール。「NOIR EDGE」の名前が初めて向こうから出た夜。そして「山岸も来るみたい」——嬉しいと焦りが同時に来る夜でした。次回、8月14日。展示会当日。

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