第23話 バータが動いた。ユースケが動いた。フミも動いていた
5月の中旬になった。
「未来から来たりしないよな」——あの一言は、まだ頭のどこかに引っかかっていた。
(引っかかったまま2週間が経った。)
(フミはその後、何も言わない。)
(完全に通常運転だ。)
(それが——逆に怖い。)
生徒会の仕事は続いていた。
体育祭本番まで、あと3週間。
競技配置の最終確認、テント設営の担当振り分け、来賓席の準備。
やることは次から次へ来る。
フミとは毎日のように顔を合わせる。
「ここを変えた方がいい」「この手順は逆にしろ」「確認が遅い」——いつも通りだ。
「未来から来たりしないよな」の話は、一度も出ない。
(冗談として処理した。)
(俺も、そうした。)
(それでいい。)
(それでいいが——)
(フミの目が、ときどき俺を見ている。)
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昼休み。
バータを屋上で捕まえた。
正確には、バータが先にいた。
弁当を広げて、空を見上げていた。
「バータ。」
「おー。リュウ。なんで屋上。」
「逃げてきた。資料を持ったまま廊下に出たら、先生につかまりそうになった。」
「そういう逃げ方あるんだ。まあ座れよ。」
並んで座った。
バータは白米が多めの弁当だった。
「でっかい弁当だな。」
「これで足りないんだよな。俺。」
(その体積ならそうだろう。)
少し食べて、バータが空を見上げた。
「なあリュウ。」
「何。」
「会社って、高校生でも作れるんだっけ。」
(——来た。)
「正式な法人登記は18歳以上が必要だ。ただ——準備は今からできる。」
「準備って。」
「業種を決める。市場を調べる。小さく試す。法人化は大学入学後でいい。」
「なるほどな。」
バータが弁当の箸を止めた。
「実はな。知り合いの社長に話を聞いてもらえることになった。父ちゃんの友人。飲食系の小さい会社やってる人なんだけど。」
「いつ。」
「今度の土曜。リュウが先月、業種絞れって言ったじゃん。それで考えて——飲食か物販か、どっちかなと思ってて。でも俺バカだから、自分だけじゃ判断つかなくて。」
(バータ。)
(「バカだから」と言いながら、お前は動いていた。)
(動いてから「バカだから」を言う人間は、バカじゃない。)
「それ、いい選択だ。話を聞くのが一番早い。」
「……でしょ? 違うかなと思ったけど。」
「違わない。土曜、行ってこい。」
バータがまた空を見上げた。
「なんか。俺って今まで、考えるだけで全然動けてなかったんだよな。」
「今動いてる。」
「遅くない?」
「3年は早い。」
(38歳から見ると、本当に早い。)
(まじで、早い。)
「そっか。まあ。」
バータが弁当の箸を再開した。
「リュウが言うなら信じる。」
(俺が言うと、なぜ信じてくれる。)
(お前ら全員、なぜそんなに信じてくれる。)
(ありがたいが、責任を感じる。アラフォーの責任感は重い。)
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放課後。
廊下でユースケに会った。
「リュウ! ちょうどよかった。聞いて。」
(このテンションは何かあった。)
「何。」
「英語ラジオさ。毎朝やってるんだけど。」
「聞いてるのか。」
「聞いてる! NHKのやつ。7時からのやつ。最初は全然わかんなかったんだけど、最近ちょっとずつ聞き取れてきた気がして——でしょ? こういうのって続けることが大事でしょ?」
(ユースケ。)
(毎朝ラジオ英語を聞いていた。)
(俺が英語の話をしてから——3ヶ月以上経つ。)
(3ヶ月、続いていた。)
「続いてるのか。」
「うん! リュウが毎朝ランニングしてるって聞いてさ。なんか俺も朝から動いたら変わるかなと思って。」
(俺に感化されてどうする。)
(感化されるのはいいが、お前が早起きしていることを、今まで知らなかった。)
「聞き取れてきたなら続けろ。あと——単語帳を1冊買え。ラジオだけだと後半で詰まる。」
「単語帳か。どれがいい。」
「英語の先生に聞くのが一番いい。自分で選んでも悪くないが、相談した方が続けやすい。」
「なるほど〜! じゃあ明日聞いてみる。ありがとリュウ。」
(ありがとを言う速度が速い。)
(いい性格だ。損をしない性格だ。)
(宇宙に行け、ユースケ。お前は宇宙に向いてる。)
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帰り支度をしていると、フミが近くにいた。
「フミ。」
「なんだ。」
「経済、最近詰まってないか。」
「……詰まってない。」
「そうか。」
「毎回また来週で終わらせてるのに、次が難しくなってる。」
(それは俺の設計だ。少しずつ難しくなるように組んでいる。)
(言わないが。)
「難しくなってる実感があるなら、ちゃんと定着してる証拠だ。」
「……理屈が通ってるのかどうかわからない。」
「通ってる。」
フミが少し間を置いた。
「……3月から続いてる。」
「続いてる。」
「お前のペース設計が悪くない。だから続いてる。」
(フミ。)
(「悪くない」が最上級なのは、もう知ってる。)
「ありがとう。」
「礼はいい。来週も来る。」
「わかった。」
フミが立ち上がった。
資料を片手でまとめた。
「余計なことをするな、はまだ有効だ。」
扉が閉まった。
(フミ。)
(お前は俺への疑惑を持ちながら、自分のことも止まらない。)
(3月から週1が続いている。)
(怖いし——すごい。)
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帰りの電車。
今日はキョンと同じ車両だった。
いつものドア付近。
キョンが窓の外を見ていた。
「キョン。」
キョンが振り返った。
「お疲れ。」
「お疲れ。体育祭の準備、今日も残ってたのか。」
「クラス旗の打ち合わせ。早川さんが仕切ってくれてるから、私はほぼ聞いてただけ。」
(サナが仕切ってるのか。)
「そうか。」
「リュウは大変そうだな。生徒会ってやること多いの?」
「まあな。でも——やれてる。」
「そっか。」
キョンが窓の外に目を戻した。
夕方の住宅地が流れていく。
「リュウって、去年と比べて忙しくなったよな。」
「会長になったからな。」
「そうだね。でも——なんか楽しそうに見える。」
(キョン。)
(楽しそうに、見えるか。)
「そうかもしれない。」
「なんでだろう。」
「……それは俺にもわからない。」
(嘘だ。)
(わかってる。)
(やりたいことをやれてるから、楽しい。)
(やりたいことの中に——お前がいるから、楽しい。)
(それは、言わない。今は。)
「まあ、いいけど。楽しいのはいいことだよ。」
「そうだな。」
(俺はまだ言ってない。)
(電車の中の、このくらいの距離で、このくらいの会話で——)
(満足してしまっている節がある。)
(それじゃダメだ。)
(でも今日は——これでいい。)
清峰駅が近づいてきた。
電車が速度を落とす。
「じゃあね。」
「ああ。また明日。」
キョンが降りた。
ドアが閉まった。
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(バータが動いた。)
(ユースケが動いた。)
(フミが動いた。)
(みんな、それぞれの方向に、少しずつ走り出している。)
(俺は——まだ準備中だ。)
(でも、方向はもう決まっている。)
(3年のどこかで、ちゃんと言う。)
(それは変わっていない。)
車窓に、5月の夕暮れが流れていった。
昨日と同じ景色。
でも——昨日より少しだけ、先が見えている気がした。
(フミ。)
(お前は今夜、何を書いているんだろう。)
第23話です。バータ・ユースケ・フミ、それぞれが静かに動き始めました。「バカだから」と言いながら土曜日に社長に会いに行くバータ、3ヶ月間ひとりで毎朝ラジオを聞いていたユースケ、週1の経済勉強を続けながら「お前のペース設計が悪くない」と言ったフミ——3人とも、誰かに言わずに進んでいた。次回は体育祭本番へ。にぎやかになります。




