第21話 C組の誰かがキョンに近づいている
翌朝。
目が覚めたとき、最初に浮かんだのはC組のことだった。
(落ち着けアラフォー。)
(寝て起きたからといって状況は変わっていない。)
(C組に誰かいる。それだけだ。)
(噂だ。確認もとれていない。)
起き上がって顔を洗った。
(落ち着けアラフォー。)
(鏡の前で落ち着けと唱えるな。)
(ちゃんと洗顔しろ。)
ランニングに出た。
いつものコース。
住宅街の路地を抜けて、公園を一周して、戻ってくる。
35分。毎朝のルーティンだ。
(体を動かせば落ち着く。)
(38歳の経験則。)
落ち着かなかった。
(なんでだ。)
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電車の中でキョンを見つけたのは、清峰駅を過ぎてすぐだった。
いつも通りのドア付近。
いつも通りの制服。
イヤホンをしていた。
(いつも通りだ。)
(キョンは何も知らない顔をしている。)
(いや、知らないのかもしれないし、知っていて普通にしているのかもしれない。)
「おはよ。」
キョンが気づいて、片耳のイヤホンを外した。
「おはよ。なんか顔色悪くない?」
(バレてる。)
「寝不足。」
「そっか。今日暖かいから眠くなるよ。」
(全然違う理由だ。でもそう言えない。)
「そうだな。」
キョンが再びイヤホンをつけた。
車内は静かだった。
(キョン。)
(お前の隣に、C組の誰かが近づこうとしている。)
(お前は知ってるのか、知らないのか。)
(落ち着けアラフォー。)
(全然落ち着けない。)
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昼休み。
ユースケとバータが購買のパンを持って教室に来た。
「リュウ、なんか暗くない?」
ユースケが開口一番に言った。
「暗くない。」
「暗いって。いつもより眉間に縦線入ってる。でしょ?」
バータが俺の顔を見た。
「……入ってるな。」
(2人ともありがとう。でもそういう情報は必要ない。)
「C組のやつのこと気になってんだろ。」
バータが言った。
(どこから聞いた。)
「ミナミが言ってたから。」
「ミナミが。」
「ミナミが昨日リサに言って、リサが俺に言って。」
(情報の回り方が速すぎる。)
ユースケが身を乗り出してきた。
「え、何!? C組の話、俺聞いてない!」
「キョンに告白しようとしてる男がいるらしい。」
「えっ。え、マジで!?」
(声がでかい。声がでかすぎる。)
「声。」
「あ、ごめん。でもマジで!? リュウどうすんの!!」
「どうもしない。」
「どうもしないの!? キョンのこと好きなんじゃないの!?」
(ユースケ。頼むから声を下げてくれ。38歳でもこれは心臓に悪い。)
「声。」
「あ、ごめんごめん。でも——」
「どうもしない。」
「なんで!?」
バータがパンをかじりながら言った。
「俺バカだからよくわかんないけど。」
(来た。バータの「俺バカだから」は前振りだ。)
「先に動けばいいんじゃないの。」
(直球だった。)
「……。」
「難しいことはわかんない。でも相手が動く前に動けるなら、動いたほうがいいんじゃないかと思って。」
「それは——」
「俺バカだからよくわかんないけど。」
(2回言った。「俺バカだから」を2回言いながら一番核心を突いてくるのがバータだ。)
ユースケが「でしょ!?」と頷いた。
「俺もそう思う! タイミングとか準備とか言ってる場合じゃなくない!?」
(タイミングと準備が大事なんだよ。)
(お前たちに言ってもわからないかもしれないが。)
(でも——。)
(……わかってる。わかってる。バータの言う通りかもしれない。)
「ちょっと考える。」
「考えすぎるタイプだよね、リュウ。」
「でしょ? なんかいつも全部考えてから動く感じ。」
「悪くはないんだけど。」
(バータとユースケに人生相談のような状態になってきた。)
(俺は38歳だ。17歳に相談している38歳だ。)
(何をやっているんだ。)
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放課後の生徒会室。
書類を整理していると、フミが来た。
「来たか。」
「仕事の話。」
「どうぞ。」
フミが資料を出して、来月の行事について話した。
体育祭の準備が始まる。
各クラスへの連絡ルートを整理しておきたい。
30分ほどの打ち合わせで片付いた。
フミが立ち上がろうとした。
「……聞いたか。」
俺が言った。
「何を。」
「C組の話。」
フミが少し間を置いた。
「聞いた。」
「どう思う。」
「どう思うって、何が。」
「……なんでもない。」
フミが俺の顔をじっと見た。
3秒。
「余計なことはするな。」
「余計なこと?」
「意味のない動きをするな、という話だ。」
(……フミ。)
(それは「今動くな」という意味か。)
(それとも「変なことするな」という意味か。)
「どういう意味だ。」
「そのままの意味だ。」
フミが出ていった。
(フミ。お前の言うことは毎回多義的すぎる。)
(弁護士に向いてる気はするが、今の俺には刺さりすぎる。)
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翌日の放課後、廊下でミナミとサナに捕まった。
「リュウ! ちょっといい!」
「ねえ待って、まず確認なんだけど。」
2人が同時に話しかけてきた。
「1人ずつ。ミナミ。」
「C組の話、進展あったよ。」
(心臓が跳ねた。)
「……内容。」
「話しかけたって。C組の誰かが、キョンに話しかけたって。」
「どんな話を。」
「それはわかんない。キョンが帰るときに廊下で。なんか話しかけて、キョンが普通に返事してたって。」
(普通に返事。)
(それだけか。)
(それだけだが——。)
「サナ。」
「いや待って、私が聞いたのとちょっと違くて。」
「どう違う。」
「なんか、話しかけただけじゃなくて、一緒に帰ろうとしてたって聞いた。」
(一緒に帰ろうと。)
(落ち着けアラフォー。)
「……キョンはどうした。」
「そこがわかんない。」
(わかんないのか。)
「帰ったか、断ったか、どっちかだと思うんだけど。」とサナが言った。
ミナミが「ねえリュウ、大丈夫?」と俺の顔を覗き込んだ。
「大丈夫だ。」
「全然大丈夫じゃない顔してる。」
「大丈夫だ。」
(大丈夫じゃない。)
(全然大丈夫じゃない。)
(落ち着けアラフォー。)
(これは噂だ。伝言ゲームだ。確認がとれていない。)
(俺はまだ言ってない。言っていないのは俺の選択だ。)
(だから——)
(落ち着けアラフォー。)
(落ち着けアラフォー。)
(落ち着けない。)
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帰りの電車。
清峰駅まで、キョンは隣に立っていた。
「なんか今日も、みんなに顔色悪いって言われた。」
キョンが言った。
「そうか。」
「リュウも朝言ってたね。」
「言ったな。」
「なんかあった?」
(なんかあった、というか、お前に関することがあった、というか。)
「ちょっと考えることがあって。」
「受験のこと?」
「そういうのも含めて。」
キョンが少し俺を見た。
「リュウって、なんかいつも考えてるよね。」
「そうかもしれない。」
「それが顔に出るときと出ないときがある。今日は出てる。」
(キョン。お前が俺のことを結構よく見ているのはわかってる。)
(だから余計に落ち着けないんだ。)
「気にしないでくれ。」
「気にするよ。大丈夫?」
(え。)
「……そうか。」
「普通に心配するでしょ、友達が変な顔してたら。」
(友達。)
(友達か。)
(今はそれでいい。今はそれでいい。)
「大丈夫だ。ちゃんとやれてる。」
「ならいいけど。」
清峰駅が近づいてきた。
電車が速度を落とした。
(C組の誰かが、このキョンに話しかけた。)
(もしかしたら一緒に帰ろうとした。)
(キョンがどう思ったか、まだわからない。)
(俺はまだ言ってない。)
(まだ言ってない。)
扉が開いた。
キョンが「じゃあね」と言って降りた。
改札に向かっていく背中を見た。
(まだ言ってない。)
(でもこのままじゃ——)
扉が閉まった。
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次の朝。
ユースケがいつもより5分早く教室に来ていた。
「リュウ。」
「なんだ。」
「C組の件、聞いた。昨日キョンが断ったって。」
(——。)
「誰から。」
「リサから。リサが帰り道で見てたって。」
「断ったのか。」
「断ったみたい。キョンが『ごめん、今はちょっと』って言ったって。」
(今はちょっと。)
(今は、だ。)
(「今は」——だ。)
(落ち着けアラフォー。)
(「今はちょっと」の「今は」に乗っかるな。)
「そっか。」
「で、リュウはどうすんの。」
「どうもしない。」
「え!? また!?」
(声がでかい。)
「声。」
「ごめん。でも——まだ動かないの?」
「……時機を見る。」
「時機って、いつ?」
(いつだ。)
(いつが正解だ。)
(38歳の俺にも、それだけはわからない。)
「まだわからない。」
「でしょ?」
「今回はでしょじゃない。」
「あ、そっか。」
ユースケが頭をかいた。
「でもよかったよな、とりあえず。」
(よかった。)
(そうだ、よかった。)
(今は——よかった。)
(俺はまだ言ってない。)
(C組の件は、少し息ができた。)
(少し、だ。)
(次は俺の番だ。)
そう思った。
思っただけだが。
でも——思った。
(落ち着けアラフォー。)
(「思っただけ」を「思った」に変えるのが、次の課題だ。)
第21話です。「落ち着けアラフォー」が何回出てきたか数えた方、お疲れ様でした。バータの「俺バカだからよくわかんないけど」を2回続ける技は毎回核心を突いてくるので、もしかしてバータが一番賢いのでは、と思い始めています。次回——フミから予想外の問いが来ます。「お前って、未来から来たりしないよな」。笑えます。多分。




