第20話 「何になりたいの?」と聴かれた。C組から何か来るのかも
4月になった。
3年B組。
(ここだ。)
(ここで1年間、やる。)
新しい教室の窓は、今まで使っていた教室より少し大きい気がした。
気のせいかもしれない。でも光が入ってくる感じが、少し違う。
(落ち着けアラフォー。窓が大きいだけで感慨にふけるな。)
表の席順を確認すると、キョンの席が前から3番目にあった。
(落ち着けアラフォー。確認した。それだけだ。)
1時間目が終わったところで、廊下からユースケが顔を出した。
「リュウ。」
「なんで来てるんだ。」
「来ちゃった。D組から歩いて2分。運命じゃない?」
「授業の間隔で来るな。」
「でもキョンと同じクラスになったんだろ。そっちこそ運命じゃない?」
(——。ユースケ。声がでかい。)
「静かにしろ。」
「あ、ごめん。でも——」
ユースケが廊下の壁に寄りかかった。
「3年だぞ。受験だぞ。なんか、やる気ある?」
「ある。」
「マジで?」
「マジで。」
「リュウはなんかいつもそういう感じだよな。やる気あんのか落ち着いてんのかわかんない。」
「どっちもだよ。」
「でしょ? 俺もそういうタイプになりたい。」
(ユースケ。お前はお前のままでいい。声のでかいお前が好きだ。)
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生徒会長としての仕事は、4月の最初の週から動き出した。
引き継ぎ資料を作った。
「仕組みを作る」と演説で言ったのだから、本当に作らなければいけない。
(38歳のSE経験が、ここで使える。)
(業務フローの整理は得意だ。まさかタイムリープ先の生徒会で活きる技術とは思わなかったが。)
放課後の生徒会室で一人で作業していると、フミが入ってきた。
「何してる。」
「引き継ぎ資料。」
「まだ4月だぞ。」
「早いほうがいい。」
フミが「そうか」と言って、椅子を引いた。
座った。弁当箱を出した。
2人で黙って、それぞれの手を動かした。
(この静けさが——いい。)
(フミといると、黙っていられる。)
「経済の参考書、次は需要と供給のあたりからやりたい。」
「わかった。今週の水曜か。」
「そうだ。価格弾力性の計算式が入ってこない。」
「わかった。そこから始める。」
フミが弁当の蓋を閉めた。
(フミ。お前は弁護士になれる。なる。)
(今は、ただ隣にいる。)
(それがお前への返事だ。)
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図書館に行ったのは、4月の半ばだった。
放課後。AO入試に向けて背景知識を仕入れる目的だった。
経営・経済のコーナーへ向かった。
キョンがいた。
(落ち着けアラフォー。)
(図書館に人がいるのは当たり前だ。当たり前だ。)
キョンは窓際の席に座っていた。
膝の上に厚い本を開いていた。
洋書だった。写真が多い。服のやつだ。
棚から参考書を2冊取って、キョンから3席ほど離れたところに座った。
読み始めた。
(集中しろ。集中。集中、集中。)
(職場でうるさい上司がいても資料を読んでいた俺だ。これくらいどうにかなる。)
「——ねえ。」
キョンの声がした。
見た。
キョンが本から顔を上げて、こちらを見ていた。
「リュウって、何になりたいの?」
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(——。)
「何になりたいの」は、3年の4月に聞かれる言葉だ。
先生も聞く。親も聞く。進路のプリントにも書く。
でも今それを言ってきたのは、キョンだった。
思考が一瞬、止まった。
最初に浮かんだのは——お前のそばにいたい——という言葉だった。
(やめろ。それは「何になりたい」への答えじゃない。)
次に浮かんだのは、投資家、カフェオーナー、関東に残ること、だった。
(それも言えない。)
(落ち着けアラフォー。今じゃない。)
間が空いた。
「……経営の勉強をしたいと思ってる。」
「大学で。その後は——自分で何か動かしたい。会社でもいいし、そうじゃなくてもいい。」
キョンが少し首をかしげた。
「なんか、リュウっぽい。」
「そうか。」
「うん。なんか、最初からそういう感じだった。」
「最初から?」
「文化祭のとき。なんか、こなれてた。話し方が。」
(こなれてたのは38歳だからだ。言えない。)
「ずっとそういう人間だったわけじゃないんだけど。」
「でも今はそうだよ。」
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「じゃあ、お前は。」
返した。
キョンが少し間を置いた。
本から目を離して、テーブルを見た。
「……わかんない。」
「でも服は——続けたい。」
「そうか。」
「なんか、作るのが好き。形にするのが。言葉にならないやつを形にする、みたいな。」
キョンが動きを止めた。
「……なんでわかるの?」
「なんとなく。」
「……そう。そういう感じ。なんでわかるのか不思議だけど。」
キョンが少し下を向いた。
(キョン。)
(お前が感じている「わからない」には、ちゃんと名前がある。)
(ただ、この時代にはまだその言葉が存在しない。)
(20年後、お前はちゃんと自分の言葉を見つける。)
(今は待つだけだ。)
キョンが洋書のページをめくった。
窓の光が、斜めに入ってきていた。
(落ち着けアラフォー。)
(キョンの横顔がある。)
(参考書のページが、全然入ってこない。)
(入ってくるわけがない。)
(38年間、こんなに集中できなかった日があったか。)
(あった。このために戻ってきたんだから。)
(でも。今じゃない。)
(今じゃないことだけは、わかってる。)
(俺はまだ言ってない。)
参考書に目を落とした。
文字が滑っていった。
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小1時間後、図書館を出た。
廊下でフミとすれ違った。
(なんでここにいるんだ。)
フミが俺の顔を見た。
一秒だけ。
「……図書館か。」
「参考書を探してた。」
「そうか。」
フミが通り過ぎた。
(フミの目が「キョンもいたんだろ」と言っていた。)
(俺は「わかってるから追及するな」という顔を返した。)
(言葉はなかった。でも会話はあった。)
(フミ。お前は本当に怖い。)
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夕方、ミナミが走ってきた。
「リュウ!ちょっといい!? ねえ聞いて!!」
(ミナミが「ねえ聞いて」で走ってくるときは、99パーセント誰かの恋愛情報だ。38歳の経験則。)
「聞く。」
「3年C組に——キョンのことが好きな人がいるって噂で。」
(——。)
「……続けろ。」
「告白しようとしてるって。近いうちに。」
(落ち着けアラフォー。)
「……そうか。」
「リュウ、顔。なんか変な顔してる。」
「してない。」
「してるよ。絶対してる。」
(落ち着けアラフォー。)
(全然落ち着けない。)
(38歳でもこれは落ち着けない。いや落ち着けなくて当然だ。当然だということにしておこう。)
「情報源はどこだ。」
「サナから。サナはキョンと話してた人が廊下で聞いたって。」
(伝言ゲームだ。まだ確定じゃない。でも——)
「……わかった。ありがとう。」
「リュウ、大丈夫?」
「大丈夫だ。」
(大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。)
ミナミが去っていった。
廊下に一人で立った。
(C組。)
(C組の誰かが、キョンに告白しようとしている。)
(落ち着けアラフォー。)
(落ち着けアラフォー。)
(落ち着けアラフォー。)
3回唱えた。
全然落ち着けなかった。
第20話です。キョンに「何になりたいの」と聞かれました。最初に頭に浮かんだ言葉を、本人も驚いたと思います。言いかけて、止めました。準備ができてないから。3年が始まったばかりです。でも——C組の噂が来ました。「落ち着けアラフォー」が何回出てくるか数えてみてください。




