第19話 春休みに2人きりのカフェ。言いそうになって、止めた
春休みに入って、4日が経った。
ガラケーにメールが届いた。
「できた。見に来る?」
キョンからだった。
(——。)
(見に来る、と言った。)
(春休み前の電車で「できたら見せてくれ」と言ったのを、キョンは覚えていた。)
(覚えていて、完成したから連絡してきた。)
(落ち着けアラフォー。)
返信した。
「行く。いつがいい。」
3分後に返信が来た。
「明後日の午後。小手川の駅前のカフェ。」
(カフェ。)
(2人で。)
(初めてだ。)
(元の歴史では、一度もなかった。)
(落ち着けアラフォー。)
(これはただの「服を見せる」という用事だ。)
(目的は服だ。服を見に行く。)
「わかった。」
と返信した。
(落ち着けアラフォー。)
(もう一回言っておく。落ち着けアラフォー。)
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待ち合わせ当日。
小手川駅の南口。
午後1時。
先に着いた。
(早く着きすぎた。15分前だ。)
(38歳は打ち合わせの15分前着きが染み付いている。)
(高校生の待ち合わせに持ち込む習慣じゃない。)
駅前のベンチに座って、時間をつぶした。
(今日は私服だ。)
(キョンはどういう格好で来るか。)
(落ち着けアラフォー。そういうことを考えるな。)
時間が来た。
キョンが来た。
シンプルなジャケットと、細めのパンツ。
色は灰色と白。
ストレートの髪が肩のあたりで揺れていた。
(——。)
(落ち着けアラフォー。)
(心臓が1回余分に動いたが、それは気温の変化によるものだ。)
(うそだ。)
「来た。」
「来た。少し早かったか。」
「私も早めに来た。」
(早めに来ていたのか。)
(何分前に来ていたのかは聞かない。)
(俺が15分前に来ていたとはもちろん言わない。)
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カフェに入った。
窓際のテーブルに座った。
2人向かい合わせ。
(2人向かい合わせ。)
(落ち着けアラフォー。)
コーヒーを注文した。
キョンはホットチョコレートを頼んだ。
「服、持ってきたのか。」
「持ってきた。」
キョンがトートバッグから丁寧に取り出した。
畳まれた白いシャツだった。
広げると、襟ぐりが普通のシャツより少し広く、袖の長さが左右で微妙に違った。
(あ。)
「わざと左右を変えたのか。」
「うん。人間って、左右が完全に同じじゃないから。」
「利き腕とか。」
「そう。右利きなら右肩が少し上がる。だから左の袖を少し長くした。体に合わせた。」
(そういうことか。)
(着る人の体に寄り添うんじゃなくて、着る人の体に合わせる。)
(「着ても自分のままでいられる」の、具体的な答えがここにある。)
「……すごいな。」
「そう?」
「発想が逆だ。服に体を合わせるんじゃなくて、体に服を合わせる。」
キョンが少し間を置いた。
「……そう、まさにそういう感じ。うまく言えなかったけど。」
「着てみてどうだった。」
「着やすかった。なんか、自分がそのまま入れる感じがした。」
(自分がそのまま入れる。)
(「着ても自分のままでいられる服」。)
(お前はそれを、ちゃんと作った。)
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コーヒーが来た。
飲みながら、しばらく服の話をした。
次に作りたいもの。
使ってみたい生地。
服飾の専門誌に載っていたデザインへの感想。
キョンが話すとき、いつもより少し速かった。
服の話になると、普段より言葉数が多くなる。
それは前から気づいていたが、今日は特に。
(好きなことを話しているとき、人は変わる。)
(キョンのその変化が、俺は好きだ。)
(落ち着けアラフォー。)
「東京の服飾の専門学校のこと、調べてるか。」
「調べてる。」
「どんな学校を。」
キョンがいくつかの名前を挙げた。
俺はそれを聞きながら、内心で照合した。
(全部、覚えている。)
(2026年のキョンのプロフィールに書いてあった学校の名前と、一致する。)
(キョンはこの道に進む。)
(それはもう、決まっていることだ。)
(でも今のキョンは、まだ「決まっていること」とは知らない。)
(自分で選ぼうとしている。)
「行きたいところは決まってるか。」
「……ひとつ、ある。」
「言えるか。」
「……まだ、言えない。」
「そうか。」
「言ったら変わる気がして。」
(言ったら変わる。)
(願いを口にすると変わってしまう気がする感覚。)
(わかる。俺にも、そういうことがある。)
(今も——ある。)
「わかった。言わなくていい。」
キョンが少しほっとした顔をした。
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1時間ほど話して、カフェを出た。
駅まで並んで歩いた。
3月の午後の空は、もう青かった。
風に少し温かさがあった。
「今日、来てくれてよかった。」
キョンが言った。
「来てよかった。服、ちゃんと見られた。」
「……あんまり評価してもらえると思ってなかった。」
「なぜ。」
「普通の人には伝わりにくいから。左右の袖の長さの違いとか、気づかない人が多い。」
「俺には伝わった。」
「……なんで。」
「お前が大事にしてることを知ってるから。」
キョンが少し止まった。
「……知ってる?」
「服に込めたいものが、なんとなくわかる気がする。直接話したから。」
「……そっか。」
キョンが歩き始めた。
「なんか——ちゃんと聞いてもらえた感じがした。」
「聞いてた。」
「それが——よかった。」
(落ち着けアラフォー。)
(今言いたくなった。)
(今、この瞬間に言いたくなった。)
(でも——)
(まだだ。)
(3年が始まってから。)
(ちゃんと準備が整ってから。)
(俺はまだ言ってない。)
駅の改札の前で、別れた。
「また。」
「また。」
それだけ言って、2人の帰り方向が分かれた。
(また。)
(次は3年の4月だ。)
(同じクラスで会う。)
(俺はまだ言ってない。)
(でも今日、キョンの服を見た。)
(キョンが「ちゃんと聞いてもらえた」と言った。)
(それだけで——十分だった。今日は。)
第19話。春休み中の2人きりの話です。15分前着きの38歳とホットチョコレートを注文するキョン。左右の袖の長さが違うシャツ。「言ったら変わる気がして」という一言は、リュウにも刺さったと思います。言いたくなる瞬間が来ましたが、止めました。まだです。次回から第2幕、3年が始まります。




