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時をかけるアラフォー 〜あの子には性別がない〜  作者: 双子相
第1幕(ep1〜19)「やり直し開始・2年生」
15/50

第15話 フミの結果が出た。バータが少し動いた


 3月になった。


 (3月だ。)

 (2006年3月。)

 (この時代に戻ってきて、最初の冬が終わろうとしている。)


 朝のランニングで気づいた。

 空気の重さが少し違う。

 先月まで吐く息が白かった。

 今日は白くない。


 (春が来る。)


 (落ち着けアラフォー。)

 (春が来たからといって何も変わらない。)

 (変わらないが——3月は何かが変わる月だ。)


---


 フミの奨学金の採否が出た。


 採用だった。


 「そうか。」


 フミは昼休みに、それだけ言った。

 弁当箱を開けながら。

 卵焼きを箸で取りながら。


 「よかったな。」


 「まあ。」


 「添削、役に立ったか。」


 「……立った。」


 間があった。


 「論点を先に整理するようになった。それだけで構成が変わった。」


 「お前が変えたんだ。直したのは俺じゃない。」


 「……そうか。」


 フミが照れるとき、「そうか」の前に一瞬の間がある。いつもより0.3秒長い。

 (38歳の観察眼だ。)


---


 放課後、生徒会室で書類を整理していると、バータが来た。


 「連絡事項はないが、来た。」


 「来たなら何かしろ。」


 「まあ。」


 バータが椅子に座った。

 足を伸ばして、天井を見た。


 「外部受験、やっぱりやめようかと思ってる。」


 (ん。)


 「どうした急に。」


 「急じゃない。ずっと考えてた。」


 「理由を聞かせてくれ。」


 バータが少し間を置いた。


 「……附属に残れば、大学から動ける。外部受験したら浪人するかもしれない。浪人したら1年遅れる。起業したいなら、早く動いたほうがいいんじゃないかと思って。」


 (なるほど。)

 (バータの論理だ。遠回りに見えて、実は効率を考えている。)


 「附属に残る場合の進学先は。」


 「経営か商学。」


 「悪くない。」


 「俺バカだから、受験科目が増えるよりはそっちのほうがいいかなって。」


 「受験の難度だけで決める必要はない。ただ——」


 「ただ?」


 「お前が本当に起業したいなら、どこの大学に行くかより、大学時代に何をするかのほうが大事だ。附属でも外部でも、動こうとすれば動ける。」


 バータが天井を見たまま、少し黙った。


 「……そっか。」


 「俺の知ってる起業した人間は、学歴で動き出したやつじゃなかった。やりたいことが先にあって、そのために動いたやつだった。」


 (これは38歳の実感だ。)

 (本当のことだ。)


 「リュウって、なんか妙に知ってるよな。大人みたいなことを。」


 (大人だからな。)

 (言えないが。)


 「見聞きした範囲で、だ。」


 「まあ。でも、信用できる話だと思う。」


 (バータ。)

 (お前は素直で、だからこそ誰かに騙されやすい。)

 (この先、変なビジネスに引っかかるな。)


 「バータ。」


 「うん。」


 「起業するとき、変な話を持ってくるやつには気をつけろ。」


 「変な話?」


 「儲かる話を持ってくるやつ。特に大学時代。」


 「……なんで急に。」


 「なんとなく。俺バカだからよくわかんないけど。」


 バータが一瞬止まった。

 それから、小さく笑った。


 「……お前がそれ言うの、おかしい。」


 「そうか。」


 (おかしいが、伝わった。)


---


 その夜。


 机に向かって、自分の「やり直しリスト」を見た。


 8番:キョンに、ちゃんと言う準備をする


 (まだ消えていない。)

 (進捗がないわけでもない。)

 (ただ——3年になるまでは、今じゃないと決めていた。)


 窓を開けた。

 夜風が入ってきた。

 3月の夜風は、まだ少し冷たい。


 (2005年の9月から始まって、もう半年が経った。)

 (文化祭があって、生徒会室があって、電車の40分があって、外見が変わって、フミに疑惑をかけられて、バレンタインがあって、会長になって。)


 (いろんなことがあった。)

 (でも——「言う」はまだだ。)


 (落ち着けアラフォー。)

 (焦らなくていい。)

 (俺はちゃんとここにいる。)

 (キョンの隣に、ちゃんといる。)


 風が入ってきて、机の紙が少し揺れた。


 (春が来る。)

 (3年が始まる。)

 (それからが、本番だ。)


---


 翌朝の電車。


 清峰でキョンが乗ってきた。

 いつも通りのドア付近に立った。

 いつも通りイヤホンを外して、差し出した。


 受け取った。


 「春っぽくなったな。」


 口から出た。

 何かを言おうとして出てきたわけじゃない。

 ただ、そう思ったから出た。


 キョンが少し俺を見た。


 「……そうかな。言われると確かに、空気が違う気がする。」


 「空気が変わった。今朝のランニングで気づいた。」


 「ランニングしてるの、まだ続いてるんだ。」


 「続いてる。」


 「習慣になったね。」


 「なった。」


 キョンが窓の外を見た。

 朝の住宅街が流れていく。


 「私もなんか、最近そういうの作りたいと思ってた。」


 「何を。」


 「毎朝やること。ルーティンみたいな。でも続かないんだよな、いつも。」


 「何かやりたいことを決めてやるより、やめることを決めないほうが続く。」


 「やめることを決めない?」


 「続けようと思うと重くなる。やめなければ続く。その違いだ。」


 キョンが少し首をかしげた。


 「……なんかそれ、考え方が変わった感じがする。」


 「どういう意味で。」


 「うまく言えないけど。なんか、気楽そう。」


 (気楽。)

 (38歳が積み上げてきた結論が「気楽そう」と評されるのは、少し可笑しい気もするが、悪くない。)


 「そういう話を、誰かから聞いた。」


 「誰かって?」


 「昔の話だ。」


 キョンが「ふうん」と言った。


 (ふうんの種類のうち、今のは「それ以上は聞かない」という「ふうん」だった。)

 (キョンはいつも、聞かなくていい場所で止まる。)

 (それが助かることもある。今日のように。)


 清峰駅が近づいてきた。


 電車が速度を落とした。


 「春休み、どうするの?」


 キョンが聞いた。


 「まだ決まってない。生徒会の引き継ぎが少しある。あとは勉強。」


 「そっか。」


 「キョンは。」


 「服作ろうと思ってる。春休み中に一枚、ちゃんと仕上げたくて。」


 「そうか。どういうのを作るんだ。」


 「シャツ。でも、普通のシャツじゃなくて。」


 「どういう形で。」


 「……着る人の体型に寄り添わないやつ。着た瞬間に形が変わるやつじゃなくて、着ても自分のままでいられるやつ。」


 (キョン。)

 (お前はまた、一番大事なことを服の話として言う。)


 (着ても自分のままでいられる服。)

 (それはお前が作りたいものだ。)

 (お前が欲しいものだ。)


 「できたら見せてくれ。」


 「……見せていいの?」


 「見たい。」


 少しの間があった。


 「……じゃあ、できたら。」


 扉が開いた。


 キョンが降りた。


 改札に向かう背中を、見た。


 (俺はまだ言ってない。)


 (でも——春休みが終わったら3年が始まる。)

 (3年が始まったら、本番だ。)


 扉が閉まった。


 窓の外に、3月の空が広がった。


第15話です。何かが大きく動くわけじゃない、3月の話です。フミの奨学金採用が決まって、バータが進路を少し方向転換して、リュウが8番のメモを消さないでいる。キョンが「着ても自分のままでいられる服を作りたい」と言いました。この一言は、ずっとあとになって効いてきます。

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