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『僕が日常で壊れていくまで』  作者: こうた


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第74話 借りればいい

朝。


たかしは財布を開いた。


現金は、ほとんど残っていなかった。


昨日までなら。


この金額を見ただけで不安になっていた。


けれど。


今日は違った。


「……まあ、足りんかったら借りればええか」


口から出た言葉に。


たかし自身が少し驚いた。


---


以前のたかしは。


借金をすることが怖かった。


返せるのか。


仕事を失ったらどうするのか。


利息は。


生活費は。


そんなことを何度も考えた。


だから。


できるだけ借りないようにしていた。


でも。


今は違う。


---


スマートフォンを見る。


借入アプリ。


そこには。


いつでも借りられる金額が表示されている。


たかしは画面を閉じた。


そして仕事へ向かった。


---


昼休み。


りょうたから連絡が来た。


『来月の店、楽しみにしといてな』


『女の子も来るで』


たかしは笑った。


『ほんま?』


『ほんまやって』


『ありがとう』


『たかし、最近ちょっと元気になったな』


その一言が嬉しかった。


---


元気。


そう見えるのなら。


それでいい。


たかしはそう思った。


本当は。


朝起きた瞬間から金のことを考えている。


仕事中も。


返済のことを考えている。


足が痛くても。


病院へ行く時間を惜しんでいる。


夜になると。


スマートフォンを握ったまま眠れない。


それでも。


友達から見れば。


「元気になったたかし」だった。


---


夜。


女性からメッセージが来た。


『この前のお店、また行きたいです』


たかしは画面を見つめた。


あの店は高かった。


普通なら。


「また今度」


と返すところだ。


でも。


指が止まらなかった。


『行こう』


送信。


すぐに返事が来る。


『嬉しいです!』


その文字を見た瞬間。


胸が熱くなった。


---


たかしは。


料金を調べた。


一人二万円以上。


交通費。


食事。


場合によってはプレゼント。


全部合わせれば。


五万円では足りない。


以前なら。


「無理や」


と思った。


今は。


違った。


---


「足りんかったら……」


スマートフォンを見る。


借入アプリ。


「借りればいい」


---


その言葉を。


今度ははっきり口にした。


「借りればいいやん」


誰も聞いていない部屋で。


たかしは笑った。


---


翌日。


職場で勤務表を渡された。


来月の勤務日数が。


また少し減っていた。


たかしは紙を見る。


「……」


上司が言う。


「今月はこれでお願いしたい」


「はい」


「生活、大丈夫か?」


一瞬。


たかしの喉が詰まった。


本当なら。


「大丈夫じゃないです」


と言うべきだった。


でも。


「大丈夫です」


と言った。


上司は、


「そうか」


とだけ答えた。


---


帰り道。


たかしは給与を計算した。


減った給料。


返済。


家賃。


食費。


病院。


そして。


来月の大阪。


どう考えても足りない。


---


スマートフォンを取り出す。


借入アプリを開く。


十五万円。


まだ返していない。


その下に。


追加で借りられる金額が表示されている。


たかしは数字を見る。


「……」


そして。


思った。


まだ借りられる。


それだけだった。


---


昔なら。


「返せるか」


を考えた。


今は。


「いくら借りられるか」


を考えている。


その違いに。


たかしは気づかなかった。


---


その夜。


五人のグループには。


次々とメッセージが入った。


『来月いつ空いてる?』


『俺は火曜いける』


『じゃあその日で』


『店予約しとくわ』


『たかしも来るやろ?』


たかしは。


少し迷った。


来月は。


もう金がない。


仕事も減っている。


身体も辛い。


でも。


「行かない」


とは言えなかった。


『行くで』


送信。


すぐに。


『さすがたかし』


と返ってきた。


---


その言葉を見て。


たかしは笑った。


「さすが、か……」


たった四文字。


それだけなのに。


嬉しかった。


---


布団に入る。


電気を消す。


目を閉じる。


すると。


頭の中に数字が浮かぶ。


十五万円。


返済。


家賃。


給料。


大阪。


プレゼント。


食事。


借金。


また借金。


---


眠れない。


たかしは起き上がった。


机の上に置いていた高校時代の写真を見る。


六人で笑っている。


まだ誰も成功していなかった頃。


まだ。


誰も結婚していなかった頃。


まだ。


たかしが借金をすることもなかった頃。


---


写真の中の自分に向かって。


たかしは小さく言った。


「大丈夫やで」


写真の自分は。


何も答えない。


「俺、ちゃんと友達おるから」


少し間を置いて。


「女の子とも、うまくいくかもしれんから」


さらに。


「仕事も……まあ、なんとかなる」


最後に。


たかしは笑った。


「金は、借りればええし」


---


その言葉を言った瞬間。


胸の奥で。


何かが少しだけ壊れた。


けれど。


たかしは気づかなかった。


壊れたのは。


お金に対する感覚だった。


借金が。


「怖いもの」から。


「使えるもの」へ。


変わってしまった。


---


翌朝。


たかしは出勤前に。


借入アプリを開いた。


金額を入力する。


指を止める。


そして。


申し込みボタンを押した。


今度は。


迷わなかった。


借りる理由は、もう必要なかった。


「足りないから借りる」


それだけで。


十分だった。

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