第7話 週一回の積み重ね
たかしの一週間は、いつの間にか決まった形になっていた。
日曜日。
まさと。
月曜日。
ひろし。
火曜日。
なおと。
水曜日。
ながと。
木曜日。
りょうた。
そして金曜日と土曜日は、ほとんど寝て過ごす。
誰かに予定を聞かれれば、たかしはこう答えた。
「週に一回くらいしか飲んでないよ」
嘘ではなかった。
まさととは週一回。
ひろしとも週一回。
なおとも週一回。
ながとも週一回。
りょうたとも週一回。
それぞれについて考えれば、確かに週一回だった。
ただし。
たかしには、その「週一回」が五人分あった。
*
ある日曜日。
まさとから電話が来た。
『たかし、今日行ける?』
「うん」
『じゃあ八時な』
「分かった」
たかしは財布を確認した。
中には五千円札が一枚。
千円札が二枚。
それだけだった。
銀行口座もほとんど残っていない。
給料日はまだ先。
クレジットカードの請求も迫っていた。
それでも、たかしは財布を閉じた。
「何とかなる」
いつもの言葉だった。
*
店に入ると、まさとが先に来ていた。
「おう、たかし」
「お疲れ」
「最近ちょっと痩せた?」
「え?」
「いや、顔が疲れてる」
「そうかな」
「ちゃんと寝てる?」
「寝てるよ」
嘘だった。
寝ている。
ただし、まともに眠れてはいない。
酒を飲んで眠り、朝起きて仕事へ行く。
そんな生活だった。
「まあ、今日は忘れて飲もうや」
「うん」
乾杯した。
*
しばらくすると、まさとが言った。
「そういや、彼女の話どうなった?」
「彼女?」
「女の子紹介するって言ってたやろ」
「ああ……」
たかしは少し笑った。
「まだやな」
「ごめんごめん」
まさとは笑った。
「ちゃんと探しとくって」
「ありがとう」
「たかしも結婚したいやろ?」
「したい」
「子供も欲しい?」
「うん」
即答だった。
子供が欲しい。
家族が欲しい。
自分の帰る場所が欲しい。
それは、たかしがずっと心の中に持っている願いだった。
「じゃあ、もうちょっと頑張らんとな」
「何を?」
「仕事とか」
「……そうやな」
たかしはビールを飲んだ。
*
その後、話題は仕事に変わった。
まさとは自分の店の話をする。
「今月も売上良くてな」
「すごいな」
「スタッフも増やしたし」
「年収、どれくらいあるん?」
「まあ二千万は超えてるな」
「すごい……」
たかしは素直に驚いた。
高校時代。
まだ五人が大学生だった頃。
たかしは一足先に働いていた。
当時は、たかしのほうが自由に使える金を持っていた。
だから飲みに行けば、たかしが払った。
五人にとって、たかしは「頼れる兄貴分」のような存在だった。
それが嬉しかった。
今は違う。
五人は全員、たかしより遥かに稼いでいる。
なのに。
なぜか会計になると、財布を開くのはたかしだった。
「たかし、今日頼むわ」
まさとは笑った。
「うん」
たかしも笑った。
*
会計。
二人分なのに、たかしの財布には大きすぎる金額だった。
カードを出す。
決済する。
「ありがとう」
まさとが言う。
「ええよ」
「今度返すわ」
「うん」
その「今度」が、いつ来るのか。
たかし自身も分かっていた。
来ない。
でも、言わなかった。
*
月曜日。
ひろしから連絡が来た。
「たかし、今日どう?」
「大丈夫」
「飲もうぜ」
「うん」
たかしは会社へ行った。
しかし、朝から身体が重かった。
午前中。
何度も時計を見る。
午後。
集中力が落ちる。
夕方。
猛烈に眠くなる。
それでも仕事を続けた。
*
定時を過ぎた。
たかしは会社を出た。
駅へ向かう。
スマートフォンを見る。
ひろしから、
『もう店着いてる』
とメッセージが来ていた。
「早いな」
たかしは苦笑した。
店へ向かった。
*
その日のひろしは、少し機嫌が悪かった。
「今日、客と揉めてさ」
「大変やったな」
「ほんまムカついたわ」
「まあまあ」
「だから今日は飲む」
「うん」
たかしは酒を注いだ。
「たかしも飲めよ」
「うん」
乾杯。
ひろしはどんどん酒を飲んだ。
たかしも付き合った。
気がつけば、二人ともかなり酔っていた。
「たかし」
「ん?」
「お前、もっと自信持てよ」
「俺?」
「そう」
「なんで?」
「お前、何でも人に合わせすぎやねん」
たかしは笑った。
「そうかな」
「そうやって」
「でも、みんなのほうが正しいし」
「何それ」
「俺、頭よくないから」
「そんなことないって」
ひろしは言った。
「ただ、お前は優しすぎる」
「……」
「そこだけは昔から変わらん」
たかしは黙った。
その言葉は嬉しかった。
でも、少しだけ胸に刺さった。
*
その夜。
ひろしはキャバクラへ行こうと言った。
「今日は行かへん?」
「え?」
「たまにはええやろ」
「お金が……」
「大丈夫やって」
「でも……」
「たかし、昔はもっと気前よかったやん」
その言葉を聞いてしまった。
「……分かった」
行った。
酒を飲んだ。
女の子と話した。
ひろしは楽しそうだった。
たかしも笑った。
そして、会計。
「たかし、頼むわ」
たかしはカードを出した。
店を出る。
ひろしが言った。
「ほんまありがとな」
「うん」
「今度返すわ」
「いいよ」
たかしは笑った。
*
火曜日。
なおと。
水曜日。
ながと。
木曜日。
りょうた。
同じような夜が続いた。
居酒屋。
酒。
説教。
パチンコ。
キャバクラ。
会計。
「たかし、頼む」
「うん」
「お前は優しいな」
「ありがとう」
それの繰り返しだった。
*
木曜日の夜。
りょうたと飲んでいるとき。
たかしは珍しく、自分から口を開いた。
「なあ、りょうた」
「ん?」
「俺さ」
「うん」
「最近、金がないんよ」
りょうたは笑った。
「またまた」
「ほんまやって」
「でも、俺らと飲んでるやん」
「……」
「付き合いなんやから、そこはケチったらあかんやろ」
「そうかな」
「そうやって」
りょうたはビールを飲んだ。
「週一回やで?」
「うん」
「俺らとの時間くらい、金使おうや」
「……そうやな」
たかしは黙った。
また何も言えなかった。
*
その夜。
帰宅したたかしは、机の上に請求書を並べた。
家賃。
カード。
消費者金融。
銀行。
いくつもの封筒。
借金の総額は、すでに二千万円を超えていた。
たかしは電卓を叩いた。
一つ。
二つ。
三つ。
数字を足していく。
「……二千万」
自分で呟いて、怖くなった。
高校を卒業してから働き続けてきた。
それなのに。
自分の人生に残っているのは、借金だった。
たかしは椅子に座った。
しばらく動かなかった。
そして、スマートフォンを見た。
五人のグループ。
楽しそうなメッセージが流れている。
『次どこ行く?』
『またパチンコ行こうぜ』
『あの店よかったな』
たかしは画面を閉じた。
*
翌週。
会社で呼び出された。
「たかし」
「はい」
「勤務状況についてだ」
「……はい」
「何度も注意しているが、改善されていない」
「すみません」
「正直に言う」
上司は一度言葉を止めた。
「今のままでは正社員として続けるのは難しい」
たかしは顔を上げた。
「……え?」
「契約社員への変更を検討している」
頭の中が真っ白になった。
「待ってください」
「遅刻、欠勤、勤務態度。会社としても見過ごせない」
「……」
「仕事の能力だけなら問題ない」
その言葉が、逆に苦しかった。
「ただ、出勤できない人間を正社員として置いておくことはできない」
「……分かりました」
たかしは小さな声で答えた。
*
会社を出る。
空が暗かった。
駅へ向かう。
スマートフォンが鳴った。
まさとだった。
『たかし、今日飲もうぜ』
たかしは立ち止まった。
今夜は行きたくなかった。
本当に行きたくなかった。
会社で言われたことを誰かに話したい。
でも。
その相手が五人だとは思えなかった。
もし話したら、
「努力不足」
「もっと頑張れ」
「資格取れ」
「気合が足りない」
そう言われる気がした。
それでも。
『今日空いてる?』
というメッセージを見ていると、断ることができなかった。
たかしは返信した。
『行く』
*
店に入る。
「おう、たかし!」
「お疲れ」
「今日も飲もうぜ!」
「うん」
ビールが来る。
乾杯する。
たかしは笑った。
仕事の話はしなかった。
会社で何を言われたのか。
正社員から契約社員になるかもしれないこと。
借金が二千万円を超えていること。
何も話さなかった。
そして、その夜も会計のとき。
たかしは財布を出した。
「今日も頼むな」
「うん」
カードを出す。
決済音が鳴る。
その音を聞きながら、たかしは思った。
――俺は何をしているんだろう。
初めて、そう思った。
けれど。
まさとが笑って言った。
「たかし、ほんま優しいな」
たかしは顔を上げた。
そして、いつものように笑った。
「……ありがとう」
*
その夜、帰宅したたかしは財布を机に置いた。
中には千円札が一枚。
それと、小銭。
給料日まで、まだ何日もある。
たかしは冷蔵庫を開けた。
何もない。
水を飲んだ。
ベッドに横になった。
天井を見つめる。
正社員ではなくなる。
借金は二千万円以上。
酒をやめられない。
友人との付き合いも断れない。
彼女もいない。
結婚もしていない。
子供もいない。
それでも。
たかしには五人の友人がいる。
そう思った。
「……俺には友達がいる」
自分に言い聞かせるように呟く。
「まだ、大丈夫」
目を閉じる。
眠れなかった。
午前二時。
スマートフォンが光った。
新しいメッセージ。
りょうたからだった。
『明日、飲める?』
たかしはしばらく画面を見つめた。
そして。
『うん』
と返信した。
送信した瞬間。
たかしの胸の奥で、小さな何かが壊れた。
けれど本人は、その音に気づかなかった。




