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『僕が日常で壊れていくまで』  作者: こうた


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第60話 借りを返すために

給料日。


たかしは朝から銀行アプリを開いていた。


給料が振り込まれている。


しかし、喜べなかった。


家賃。


生活費。


借金の返済。


先月の大阪で使ったお金。


そして、来月の大阪。


計算すると、残る金はほとんどない。


「……」


たかしは電卓を置いた。


どう考えても足りない。


それでも、カレンダーを見る。


来週。


大阪。


りょうた。


ひろし。


なおと。


ながと。


まさと。


約束が並んでいる。


たかしは一つずつ予定を確認した。


「行くって言ったからな……」


その言葉を繰り返した。


---


昼休み。


なおとからメッセージが届いた。


『この前の飯、ほんま気にせんでええからな』


たかしは画面を見た。


『いや、俺が奢るって言ったやん』


『でも無理せんでええって』


「……」


たかしは返信しなかった。


その言葉が、なぜか腹立たしかった。


いや。


なおとに腹を立てているわけではない。


自分自身に腹が立っていた。


「俺がそうしたいって言ったんや」


だから、奢らなければならない。


そう思った。


---


仕事が終わる。


帰宅する。


ポストを見る。


請求書が届いている。


一枚。


二枚。


三枚。


たかしは机の上に並べた。


その横に借金の返済予定表を置く。


数字を見る。


頭が痛くなる。


「……無理やろ」


初めて。


声に出してしまった。


今までなら、


「何とかなる」


で終わらせていた。


今日は違った。


明らかに収入より支出の方が多い。


借りて。


返して。


また足りなくなって。


また借りる。


その繰り返し。


たかしは椅子にもたれた。


---


スマートフォンが鳴った。


りょうただった。


「もしもし?」


『たかし、来週ほんま楽しみにしてるからな』


「うん」


『女の子の件も、ちゃんと話つけたで』


「……ほんま?」


『ほんまやって』


たかしの心臓が少し速くなる。


「どんな子?」


『会ってからのお楽しみ』


「そっか……」


『絶対来いよ』


「うん」


電話を切る。


たかしは笑った。


久しぶりに。


心から楽しみだと思った。


しかし。


その直後。


机の上の請求書が目に入った。


笑顔が消える。


「……」


女の子に会う。


そのために大阪へ行く。


そのために金が必要。


そのために借りる。


そして。


借りた金を返すために働く。


働けば身体が痛む。


身体が痛めば休む。


休めば給料が減る。


給料が減れば、また借りる。


たかしは頭を抱えた。


「……なんやねん、これ」


---


その夜。


たかしは一人で食事をした。


安い袋麺。


卵を一つ入れた。


テレビをつける。


何となくニュースを見る。


画面には楽しそうな旅行の映像が流れていた。


たかしはぼんやり眺めた。


「俺も……普通に旅行とかしたかったな」


誰かと。


好きな人と。


お金の心配をせずに。


笑って。


そんな未来を想像した。


しかし。


その未来は遠かった。


---


数日後。


職場で責任者から呼ばれた。


「たかしさん」


「はい」


「少し話があります」


たかしは椅子に座った。


「勤務時間ですが、来月からさらに調整が必要になるかもしれません」


「……」


「身体の負担が大きいので」


たかしは黙っていた。


「今のままだと続けるのが難しいと思います」


「仕事……辞めなあかんってことですか?」


「そこまでは言ってません。ただ、無理をしない働き方に変える必要があります」


たかしは俯いた。


給料が減る。


それだけは分かった。


そして。


その瞬間。


大阪の予定が頭に浮かんだ。


「……来月」


たかしは呟いた。


「来月の生活費、どうしよう」


---


帰宅後。


たかしは机に座った。


紙に数字を書く。


給料。


家賃。


食費。


返済。


交通費。


大阪で使う予定の金。


何度計算しても赤字だった。


ペンを置く。


「……」


たかしはスマートフォンを手に取った。


借入画面を開く。


借りられる金額。


表示される数字。


以前なら怖かった。


今は違う。


その数字を見て、


「これだけあれば足りる」


と考えてしまう。


入力欄に金額を入れる。


50,000円。


指が止まる。


五万円。


大きな金額だ。


けれど。


たかしは思った。


「大阪に行くためや」


「約束を守るためや」


「女の子に会うためや」


「友達を失わないためや」


理由を一つずつ並べる。


そして。


送信した。


---


借入完了。


たかしは深く息を吐いた。


「……これで大丈夫」


そう言った。


しかし。


本当は大丈夫ではなかった。


五万円借りたことで。


今月の返済額は増えた。


それでも。


その事実を考えないようにした。


---


翌日。


なおとから電話。


「たかし、飯の件やけど」


「うん」


「ほんまに俺の分まで払わんでええからな」


たかしは笑った。


「ええって」


「でも無理してるやろ?」


「してない」


「ほんま?」


「ほんま」


なおとは少し黙った。


「……たかし」


「ん?」


「お前、最近なんか変やで」


その言葉に。


たかしは何も答えられなかった。


「昔から、何でも自分で抱えるやん」


「……」


「断ってもええねんで」


「……うん」


「ほんまに」


「分かってる」


電話を切る。


たかしはしばらくスマートフォンを握っていた。


---


その夜。


たかしは鏡を見た。


少し痩せた。


顔色も悪い。


目の下にはクマ。


「……俺、変なんかな」


自分では分からなかった。


ただ。


一つだけ分かっていることがあった。


誰かに謝るたび。


たかしは何かを返そうとしていた。


時間。


お金。


労力。


そして。


自分の身体。


最初は小さなものだった。


食事代。


飲み代。


プレゼント。


それが積み重なっていく。


たかしはまだ知らなかった。


この先。


「借りを返す」という考えが。


ついには、


「自分の身体で返せばいい」


というところまで変わってしまうことを。


そして、その瞬間から。


たかしの人生は、もう後戻りできない場所へ向かい始める。

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