第53話 残高3,842円
北海道へ戻る列車の中で、たかしはずっと窓の外を見ていた。
雪。
白い景色が、どこまでも続いている。
大阪にいた数日間は、あっという間だった。
りょうた。
ひろし。
なおと。
ながと。
まさと。
久しぶりに会った友達。
酒。
笑い声。
昔の話。
そして――女の子。
結局、たかしが期待していた「女の子との出会い」は、ほとんど何もなかった。
それでも、たかしは友達と過ごせたことを悪いとは思っていなかった。
むしろ、
「楽しかった」
と思っていた。
だからこそ。
自分がいくら使ったのかを、たかしは正確には計算していなかった。
---
北海道に着いた。
駅を出る。
冷たい風が吹きつける。
たかしは荷物を持ち上げた。
足が痛む。
「……寒いな」
大阪との温度差に身体が震えた。
寮へ戻る。
鍵を開ける。
誰もいない。
いつもの部屋。
小さな机。
古い布団。
最低限の生活用品。
たかしは荷物を置いた。
そして、財布を取り出した。
中を確認する。
紙幣が少ない。
「……」
嫌な予感がした。
たかしはスマートフォンを取り出した。
銀行アプリを開く。
暗証番号を入力する。
残高が表示された。
3,842円。
「……え?」
たかしは画面を見つめた。
もう一度確認する。
3,842円。
間違いない。
「……三千……?」
声が出なかった。
たかしは椅子に座った。
大阪へ行く前。
確かにもう少しあった。
借りた金もあった。
給料も残っていた。
それが。
なくなっている。
---
たかしは紙を一枚取り出した。
そして、大阪で使った金を思い出しながら書き始めた。
交通費。
三万五千円。
ホテル。
八千円。
りょうたとの食事。
八千円。
二軒目。
三万円。
プレゼント。
八万円。
ひろしとの飲み。
三万円。
なおととの食事。
二万円。
ながととの飲み。
二万三千円。
まさととの飲み。
二万円。
その他。
食事。
コンビニ。
交通費。
細かい出費。
計算する。
「……」
電卓を叩く。
数字が表示される。
約二十五万円。
たかしは目を閉じた。
「二十五万……」
その金額を口にした瞬間。
胸が苦しくなった。
二十五万円。
普通に働いて。
何日も。
何週間も。
身体を痛めながら稼ぐ金額。
それが、数日で消えていた。
---
たかしはプレゼントを思い出した。
八万円。
自分が選んだ。
自分が払った。
でも。
それを渡したのは、りょうただった。
「これ、たかしから」
そう言って。
そして女性は、
「ありがとう、りょうたさん」
と言った。
たかしは、そのとき笑った。
「よかったな」
そう言った。
今になって考えると。
自分は何をしていたのだろう。
八万円。
たった一つのプレゼント。
それを買うために、何日働かなければならなかったのか。
たかしは計算しようとした。
しかし、途中でやめた。
考えたくなかった。
---
スマートフォンが鳴った。
りょうただった。
『北海道着いた?』
たかしは画面を見た。
しばらく返信できなかった。
やがて、
『着いた』
と送る。
すぐに返信。
『お疲れ!また飲もうな!』
たかしは、その文字を見つめた。
以前なら、
『うん!』
と返していた。
今日は違った。
指が止まる。
「また飲もうな」
その言葉が、以前とは違う意味に見えた。
また金が必要になる。
また仕事を休む。
また借金する。
また身体を壊す。
それでも。
たかしは、
『うん』
と返した。
送信した後。
スマートフォンを机に置いた。
そして、自分自身に言い聞かせる。
「今度は、ちゃんと断ればええ」
---
冷蔵庫を開けた。
ほとんど何もない。
卵が二つ。
水。
調味料。
それだけ。
たかしは財布を見る。
残り三千八百四十二円。
給料日までは、まだ日がある。
「……足りへんな」
スーパーへ行く。
安い食材を買う。
それでも数千円が消える。
たかしは買い物かごを持ったまま、何度も商品を戻した。
肉を戻す。
牛乳を戻す。
パンを戻す。
最後に、一番安い食品だけを選んだ。
会計。
千八百円。
残り、
2,042円。
袋を持って外へ出る。
雪が降っていた。
たかしは空を見上げた。
「冬……どうしよう」
その言葉が、口から漏れた。
---
部屋に戻る。
暖房をつける。
しかし、電気代も気になる。
温度を下げる。
布団に入る。
寒い。
たかしは毛布を身体に巻き付けた。
スマートフォンを見る。
友達のグループには、楽しそうな写真が送られていた。
りょうたが撮った写真。
みんな笑っている。
その写真の中に、自分もいる。
たかしは写真を拡大した。
自分も笑っている。
誰よりも楽しそうに。
「……俺、笑ってるやん」
写真を見ながら呟く。
でも。
写真の外では。
残高2,042円。
借金。
仕事の不安。
身体の痛み。
北海道の冬。
全部が待っている。
たかしは写真を閉じた。
---
その夜。
眠れなかった。
布団の中で、何度も考える。
二十五万円。
もし使わなければ。
借金の返済に回せた。
冬物も買えた。
食料も買えた。
病院にも行けた。
少しだけ貯金もできた。
「……俺、何してんねやろ」
初めて。
たかしは自分の行動を後悔した。
しかし、その後悔は長く続かなかった。
スマートフォンを見る。
りょうたから、
『また女の子紹介するからな』
とメッセージが来ていた。
たかしは画面を見つめた。
胸が少しだけ高鳴った。
そして。
「……次は、ちゃんと会えるかもしれん」
そんな期待が生まれた。
二十五万円を失ったことより。
次の可能性を考えてしまった。
たかしはスマートフォンを伏せた。
目を閉じる。
外では雪が降り続いている。
そして、机の上には。
残り二千四十二円の財布が置かれていた。
たかしはまだ知らなかった。
この二千円が。
これから始まる冬を乗り切るための、
最後の現金になることを。




