第51話 断る理由
朝。
たかしはスマートフォンの画面を見つめていた。
昨日、りょうたから届いたメッセージ。
『来週、大阪帰ってこられへん?』
その下には、もう一つ。
『女の子の件、ちゃんと話したい』
たかしは、その文章を何度も読み返した。
大阪へ帰れば、またお金がかかる。
仕事も休まなければならない。
今の身体で長距離を移動するのも辛い。
それでも。
「女の子の件」
という言葉だけが、頭から離れなかった。
たかしは返信欄を開いた。
『今回は無理』
そこまで入力した。
指が止まる。
「……」
しばらく画面を見つめる。
そして、一文字ずつ消していった。
代わりに、
『いつならいい?』
と入力した。
送信。
数秒後。
既読がついた。
『来週の金曜どう?』
たかしは目を閉じた。
本当は嫌だった。
でも。
「……金曜なら」
返信を送った。
---
その日の昼。
職場で責任者に呼ばれた。
「たかしさん、少しいいですか?」
「はい」
事務所に入る。
責任者は椅子に座ったまま、たかしを見る。
「来週、また休みを取る予定ですか?」
たかしは黙った。
「大阪へ行くと聞きました」
「……はい」
「今の勤務状況で、さらに休まれると厳しいです」
「すみません」
「謝ってほしいわけじゃありません」
責任者はため息をついた。
「今の身体の状態もあります。勤務日数も減っている。正直、このままでは仕事を続けてもらうこと自体が難しくなる可能性があります」
たかしの胸が締め付けられた。
「……仕事、なくなりますか?」
「まだ決まったわけではありません」
「……」
「ただ、会社としても仕事ですから」
たかしは俯いた。
「分かりました」
「無理なら大阪へ行くな、という話ではありません。ただ、今後のことを考えてください」
「はい」
事務所を出た。
廊下を歩く。
足が痛い。
それ以上に、胸が痛かった。
――仕事を失ったら。
北海道にいる意味がなくなる。
でも。
――大阪へ帰らなかったら。
友達との関係がなくなる。
たかしの頭の中で、二つの考えがぶつかった。
仕事。
友達。
どちらを選ぶべきか。
本当は簡単だった。
仕事を選ぶべきだった。
今のたかしには、生活を維持するためのお金が必要だからだ。
けれど。
たかしには、その簡単な答えを選べなかった。
---
仕事が終わる。
部屋へ戻る途中、スマートフォンが鳴った。
今度はひろし。
『今週どう?』
たかしは返信した。
『来週大阪行く予定』
すぐに返事が来る。
『マジ? じゃあ飲もうや』
たかしは画面を見つめた。
「……」
まだ、りょうたとの約束しかしていない。
でも。
『うん』
と返信した。
数分後。
『じゃあ俺、土曜空けとくわ』
たかしはスマートフォンを置いた。
そして、ため息をついた。
金曜日。
りょうた。
土曜日。
ひろし。
そこへ、なおとからも連絡が来た。
『大阪帰ってくるなら会おうや』
たかしは、
『金曜からいる』
と返した。
『じゃあ日曜な』
「……」
日曜日まで埋まった。
その後、ながとからも連絡が来た。
『帰ってくるんやったら飲もう』
まさとからも。
『久しぶりに会おうや』
たかしは、五人との予定をカレンダーに入れた。
金曜日。
土曜日。
日曜日。
月曜日。
火曜日。
五日間。
大阪に帰っている間、ほとんど毎日予定が入った。
たかしは画面を見て、苦笑した。
「……またか」
でも。
嫌ではなかった。
必要とされている気がした。
誰かに会いたいと思ってもらえている。
誰かが自分を待っている。
それが嬉しかった。
---
その夜。
たかしは財布を開いた。
中には、わずかな現金しかない。
大阪へ行く交通費。
飲み代。
食事代。
帰りの交通費。
どう考えても足りない。
「……借りるしかないか」
スマートフォンを操作する。
借入可能額を確認する。
まだ少しだけ借りられる。
たかしは、その画面を見つめた。
以前なら、ここで止まっていた。
「これ以上借りたらあかん」
そう考えていた。
しかし。
今は違った。
「来月働けば返せる」
その考えが、すぐに出てくる。
たかしは借入の手続きを進めた。
画面に表示された金額。
数万円。
それだけで、大阪へ帰れる。
「……大丈夫」
ボタンを押した。
借金が増えた。
たかしはスマートフォンを置いた。
罪悪感は、以前ほどなかった。
それが一番怖いことだとは。
このときのたかしは、まだ気づいていなかった。
---
翌日。
病院へ行った。
医師はたかしの足を見ると、
「大阪へ行くんですか?」
と聞いた。
「はい」
「今の状態で?」
「……はい」
「できれば長時間の移動は避けてください」
「でも、どうしても会わないといけない人がいて」
医師は何も言わなかった。
そして、
「無理をして悪化したら、もっと長く休むことになりますよ」
とだけ言った。
たかしは頷いた。
「分かってます」
病院を出る。
外は冷たい風だった。
たかしは空を見上げた。
北海道の冬は、もうすぐそこまで来ていた。
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その夜。
りょうたから電話が来た。
「たかし?」
「うん」
「来週楽しみやな」
「うん」
「女の子の件な」
「うん」
「実は、本人もたかしに会ってみたいって」
たかしの心臓が跳ねた。
「ほんま?」
「ほんまやで」
「……」
「だから、ちゃんとした服で来いや」
たかしは笑った。
「分かった」
「あと、せっかくやから店も予約しとくわ」
「店?」
「ちょっとええところ」
たかしの笑顔が消えた。
「……いくらくらい?」
「まあ、そんな高くないって」
「そうなんや」
「たかし、昔からこういうの好きやろ?」
「……うん」
まただ。
断れない。
「分かった」
「じゃあ金曜な!」
電話が切れた。
たかしはしばらくスマートフォンを持ったまま動かなかった。
本当は言いたかった。
「お金がない」
「今は無理」
「身体も悪い」
「仕事も危ない」
でも。
言えなかった。
なぜなら。
それを言ったら、
「たかし、最近付き合い悪くなったな」
と思われる気がしたからだ。
嫌われる気がした。
昔の友達を失う気がした。
だから。
断る理由を考えるより先に。
応じる理由を探してしまう。
「女の子に会えるんや」
たかしは自分に言い聞かせた。
「これが最後かもしれんし」
そう言って、また自分を納得させた。
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金曜日。
たかしは大阪へ向かった。
荷物は少ない。
財布も軽い。
身体は重い。
それでも、顔だけは笑っていた。
駅のホーム。
列車を待つ。
スマートフォンを見る。
五人との予定が並んでいる。
金曜日。
土曜日。
日曜日。
月曜日。
火曜日。
その予定の中に、
「病院」
も、
「休養」
も、
「自分のための時間」
もなかった。
たかしはスマートフォンを閉じた。
そして、列車に乗り込んだ。
北海道を離れる。
その先には、大阪がある。
友達がいる。
酒がある。
女の子がいる。
そして――。
また、お金が消えていく時間が待っていた。
たかしは窓の外を見ながら、小さく呟いた。
「今度こそ、うまくいくかもしれん」
その言葉だけを支えに。
たかしは大阪へ向かった。




