第50話 減っていく居場所
朝。
たかしは目を覚ました。
布団の中で、しばらく天井を見ていた。
起きなければならない。
分かっている。
けれど、身体が動かなかった。
特に右足が重い。
痛みだけではない。
足を床につけることそのものが怖かった。
「……今日、休んだら……」
頭の中で計算する。
先週も休んだ。
今週も何度か早退している。
これ以上休めば、給料がさらに減る。
そして。
仕事そのものがなくなるかもしれない。
たかしはゆっくりと起き上がった。
壁に手をつく。
立ち上がる。
「……」
痛い。
それでも歩いた。
玄関まで。
たった数メートル。
それだけなのに、息が上がった。
靴を履く。
外へ出る。
冷たい空気が顔に当たった。
雪が降っている。
「今日もか……」
小さく呟いた。
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職場に着く。
責任者がたかしを見た。
「たかしさん」
「はい」
「今日は無理しないでください」
「大丈夫です」
「昨日もそう言ってましたよね」
たかしは苦笑した。
「……すみません」
「謝らなくていいです。ただ、本当に心配なんです」
責任者は少し間を置いた。
「このままじゃ、仕事を続けるのが難しいですよ」
その言葉に、たかしの顔が固まった。
「……仕事、なくなりますか?」
「そういう意味じゃないです」
「でも……」
「今の作業ができないなら、別の仕事を探さないといけない」
たかしは黙った。
「軽い作業ならあります。ただ、今までと同じだけの時間は働けないと思います」
「……給料は?」
「減ります」
たかしは俯いた。
やっぱり。
そこだった。
給料が減る。
それが一番怖い。
「分かりました」
「たかしさん」
「働きます」
「無理しないで」
「はい」
たかしはそう答えた。
けれど。
その言葉を聞きながら、心の中では別のことを考えていた。
――給料が減ったら、どうする?
答えは出なかった。
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その日の作業は軽かった。
椅子に座ってできる仕事。
以前なら簡単すぎて、退屈だと思っていた仕事だった。
今は違う。
それでも身体が痛い。
昼休み。
たかしは一人で弁当を食べた。
スマートフォンを見る。
メッセージが五つ。
まさと。
ひろし。
なおと。
ながと。
りょうた。
それぞれから、
「また飲もう」
という言葉が届いていた。
たかしは画面を見ながら、少し笑った。
誰も自分のことを忘れていない。
そのことが嬉しかった。
けれど。
同時に思った。
――今月、もう大阪へ帰る金なんてない。
返信を打つ。
『また帰ったらな』
送信。
すると、りょうたからすぐに返ってきた。
『おう!女の子の件も進めとくから』
たかしは、その一文を何度も読み返した。
「女の子……」
そして、スマートフォンを胸の前で握った。
まだ終わっていない。
自分にも未来がある。
そう思いたかった。
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仕事が終わる。
給与明細の話をされた。
「来月から勤務時間が少し変わると思います」
「はい」
「身体の状態を見ながらになります」
「分かりました」
たかしは頭を下げた。
寮へ戻る。
部屋に入る。
机の上には、空になった封筒があった。
以前、一万円を入れていた封筒。
今は何も入っていない。
たかしはその封筒を手に取った。
「また貯めればええ」
そう呟いた。
けれど。
今月の給料は減る。
病院代が必要。
食費も必要。
借金もある。
そして冬は、これから本格的になる。
「……無理かもしれんな」
初めて。
そんな言葉が口から出た。
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その夜。
たかしは求人サイトを眺めた。
大阪の求人。
北海道の求人。
軽作業。
清掃。
事務。
いろいろある。
けれど。
「未経験歓迎」
という文字の下に、
「健康状態により相談」
と書かれているものがあった。
たかしは、その文章をじっと見つめた。
自分の身体。
自分の年齢。
資格なし。
職歴も強くない。
そして。
足の問題。
応募しても、断られるかもしれない。
それでも。
ここを出るためには仕事が必要だった。
たかしは一件だけ求人を保存した。
そして。
応募ボタンの手前で止まった。
「……明日にしよう」
今日は疲れた。
そう自分に言い聞かせた。
スマートフォンを置いた。
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深夜。
眠れなかった。
足が痛い。
身体も重い。
頭の中では借金の数字が浮かぶ。
二千万円を超える借金。
それを毎月少しずつ返していく。
今の収入では、何年かかるか分からない。
それどころか。
今は収入そのものが減ろうとしている。
「どうしたらええんやろ……」
たかしは布団の中で呟いた。
そのとき。
スマートフォンが鳴った。
りょうただった。
『起きてる?』
「うん」
『今度、ちょっと大阪帰ってこられへん?』
たかしは黙った。
『飲もうや』
そして。
『女の子の件、ちゃんと話したいし』
たかしは目を閉じた。
身体は限界だった。
金もない。
仕事も危ない。
本当なら断るべきだった。
それでも。
「……いつ?」
『来週くらいどう?』
「……分かった」
『よっしゃ!』
電話を切る。
たかしは天井を見つめた。
また交通費を借りることになる。
また給料から引かれる。
また仕事を休むかもしれない。
分かっている。
それでも。
「女の子に会えるかもしれん」
その希望だけは、捨てられなかった。
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翌朝。
たかしは求人サイトを開かなかった。
代わりに、りょうたとのメッセージを確認した。
そして、仕事へ向かった。
足を引きずりながら。
雪の上を歩く。
途中で、一度立ち止まった。
振り返る。
自分が住んでいる建物が見える。
最初にここへ来たときは、
「仕事がある」
「住む場所がある」
それだけで幸せだった。
今は違う。
仕事が減れば、ここにいられなくなる。
給料が減れば、借金が増える。
身体が悪くなれば、仕事ができなくなる。
そして。
仕事がなくなれば――。
ここにいる理由そのものがなくなる。
たかしは歩き出した。
その背中を、冷たい雪が追いかけていた。
そしてたかしは、まだ知らなかった。
自分が守っていると思っていた「居場所」が。
実は、
働ける身体と、払えるお金がある間だけ与えられた居場所だった。




