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『僕が日常で壊れていくまで』  作者: こうた


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第49話 働けない日

朝。


目覚ましが鳴った。


たかしは目を開けた。


けれど、起き上がれなかった。


足が痛かった。


昨日までなら、痛みを我慢して立ち上がることができた。


今日は違った。


布団の中で足を少し動かしただけで、鈍い痛みが走る。


「……あかん」


たかしは天井を見つめた。


時計を見る。


五時二十分。


いつもなら、もう着替えている時間だった。


五時三十分。


まだ起き上がれない。


五時四十分。


スマートフォンを手に取った。


職場へ連絡しなければならない。


「休みます」


そう言えばいい。


たったそれだけだった。


なのに、指が動かなかった。


休めば給料が減る。


昨日も休んだ。


その前にも休んだ。


これ以上休めば、仕事そのものを失うかもしれない。


それが怖かった。


六時。


結局、たかしは起き上がった。


壁に手をついて立つ。


「……痛っ」


一歩。


二歩。


洗面所まで行くのにも時間がかかった。


靴を履く。


玄関を出る。


外は冷え込んでいた。


雪が積もっている。


たかしは、ゆっくり歩いた。


---


職場に着くと、責任者がすぐに気づいた。


「たかしさん」


「はい」


「今日はもう帰ったほうがいいんじゃないですか?」


「大丈夫です」


「いや……」


「働けます」


たかしは笑った。


笑っているつもりだった。


けれど、責任者の表情は変わらなかった。


「座ってできる仕事をしてください」


「でも……」


「いいから」


たかしは黙って頷いた。


その日、たかしはほとんど身体を動かさない仕事をした。


それでも、昼には足が痛んだ。


午後になると、集中できなくなった。


夕方には、もう限界だった。


「今日は帰ってください」


「でも、まだ時間が……」


「無理して倒れたら困ります」


「……はい」


帰り道。


たかしはゆっくり歩いた。


以前なら十分で帰れた道が、二十分以上かかった。


途中で何度も立ち止まった。


そして、部屋に戻った。


靴を脱ぐ。


靴下を脱ぐ。


足を見る。


以前より赤くなっていた。


「……」


たかしは何も言わなかった。


ただ、靴下を洗面所に置いた。


---


その夜。


スマートフォンが鳴った。


ひろしだった。


『たかし、今週帰ってこられへん?』


たかしは画面を見つめた。


帰れない。


今の身体では無理だ。


仕事もある。


金もない。


それに――。


病院にも行かなければならない。


『ちょっと今、仕事が忙しくて』


そう打った。


送信しようとして、止まった。


ひろしとは週一回。


そう言われるかもしれない。


たかしは文章を消した。


そして、


『まだ分からんけど、帰れたら帰るわ』


と送った。


すぐに返信が来た。


『おう! 無理せんでええで!』


その一言に、たかしは少し安心した。


けれど、その次のメッセージを見て、胸が重くなった。


『帰ってきたら飲もうな』


たかしはしばらく画面を見つめた。


そして、


『うん』


と返した。


---


数日後。


病院へ行った。


医師は足を見て、少し険しい顔をした。


「前より悪くなっていますね」


「……はい」


「痛みは?」


「あります」


「歩くのは?」


「かなり痛いです」


医師はしばらく確認した。


「仕事はどうしていますか?」


「続けてます」


「今の状態で続けるのは、かなり負担ですよ」


たかしは俯いた。


「でも、休んだら……」


「仕事がなくなる?」


「……はい」


医師は黙った。


そして、


「身体を壊してしまったら、仕事どころではなくなります」


と静かに言った。


たかしは何も答えられなかった。


正しい。


その通りだった。


分かっている。


けれど。


今のたかしには、


「仕事を休む」


という選択肢が現実的に思えなかった。


病院を出た。


外は雪だった。


白い景色を見ながら、たかしは考えた。


――どうしたらええんやろ。


働けば足が悪くなる。


休めば金がなくなる。


金がなくなれば借金が増える。


借金が増えれば、仕事を失うのが怖くなる。


その繰り返しだった。


---


その日の夜。


給与の計算をしてみた。


今月は休みが多い。


当然、給料も少ない。


そこから寮費などが引かれる。


残る金額は、わずかだった。


たかしは紙に書いた。


食費。


薬代。


交通費。


借金返済。


そして冬の生活費。


計算してみる。


赤字だった。


「……また借りなあかん」


その言葉が自然に出てきた。


以前なら、借金をすることに抵抗があった。


今は違う。


足りなければ借りる。


働いて返す。


それが普通になっていた。


けれど。


働けなくなったら?


その考えが頭に浮かんだ瞬間。


たかしは紙を裏返した。


見たくなかった。


---


その夜。


今度は、なおとから電話が来た。


「たかし?」


「うん」


「元気?」


「元気やで」


「今度大阪帰ってきたら飲もうや」


「……うん」


「俺とは週一回やからな」


なおとは笑った。


たかしも笑った。


電話を切る。


しばらくすると、また電話が鳴った。


今度はながとだった。


「たかし、久しぶり」


「久しぶり」


「また飲もうや」


「うん」


電話を切る。


さらに、その翌日。


まさとからメッセージが来た。


『たかし、また飲もうな』


そして。


りょうたからも。


『女の子の件、また連絡するわ』


たかしはスマートフォンを机に置いた。


五人。


誰も悪気はない。


誰も、たかしが今どんな生活をしているのか詳しく知らない。


誰も、自分以外の友達ともたかしが飲んでいることを知らない。


それぞれにとっては。


「たまに飲む昔からの友達」


それだけだった。


けれど。


たかしにとっては違った。


日曜日。


月曜日。


火曜日。


水曜日。


木曜日。


五人の「週一回」が、たかしの人生を埋め尽くしていた。


---


夜。


たかしは布団の中でスマートフォンを見ていた。


五人とのメッセージ。


昔の写真。


高校時代の写真。


六人で笑っている写真。


たかしは、その写真を見ながら呟いた。


「……昔はよかったな」


あの頃は。


自分にも夢があった。


友達と笑って。


仕事をして。


いつか結婚して。


子どもを作って。


普通の家庭を持つ。


そんな人生になると思っていた。


今は。


仕事が危ない。


借金がある。


身体が壊れかけている。


貯金はない。


そして、北海道の冬が近づいている。


それでも。


スマートフォンに表示された、


『また飲もうな』


という文字を見ると。


たかしは少しだけ安心した。


「俺には友達がおる」


そう呟いた。


けれど、その言葉のすぐ後に。


足がズキッと痛んだ。


たかしは顔をしかめた。


そして思った。


――友達はいる。


――でも。


――俺の身体を守ってくれる人は、誰なんやろ。


答えは出なかった。


窓の外では、雪が降り続いていた。


そして、たかしの足は。


少しずつ。


確実に。


「働く」という当たり前のことさえ、難しくなっていた。

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