第48話 ゼロになる貯金
大阪へ帰る日の朝。
たかしは、机の引き出しを開けた。
そこには、小さな封筒が入っていた。
中身は一万円。
今月、ようやく残した金だった。
「……」
たかしは封筒を手に取った。
これを使えば、またゼロになる。
分かっていた。
それでも、大阪へ帰らなければならない。
りょうたと飲む。
女の子の話を聞く。
昔の友達と会う。
それは、たかしにとって仕事とは別の意味で必要なことだった。
「……一回くらい」
自分に言い聞かせる。
「一回くらい、ええやろ」
交通費を借りることも考えた。
しかし、これ以上借りるのは怖かった。
だから、自分の貯金を使うことにした。
一万円。
封筒から取り出した。
財布に入れる。
それだけで、胸が痛んだ。
けれど、スマートフォンを見ると、りょうたからメッセージが来ていた。
『今日、楽しみにしてるで』
たかしは返信した。
『俺も楽しみ』
そして大阪へ向かった。
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大阪に着いたのは、夕方だった。
久しぶりに見る街。
人の多さ。
車の音。
店の明かり。
たかしは少しだけ懐かしい気持ちになった。
「帰ってきたんやな……」
北海道へ行ってから、まだそれほど時間は経っていない。
それなのに、ずいぶん昔のことのように感じた。
待ち合わせ場所へ向かう。
りょうたは、すでに来ていた。
高級なスーツ。
腕時計。
革靴。
昔とは何もかも違っている。
「おう、たかし!」
「久しぶり」
「元気そうやん」
「うん」
りょうたは、たかしの顔を見た。
「ちょっと痩せた?」
「そうかな」
「仕事大変なんやろ?」
「まあな」
「でも、仕事あるだけええやん」
「……うん」
りょうたは笑った。
「今日は俺が出すわ」
その言葉に、たかしは少し驚いた。
「ええの?」
「たまにはな」
「ありがとう」
その瞬間だけは、本当に嬉しかった。
自分も、昔はこうやって友達に奢っていた。
今は、りょうたが自分に奢ってくれる。
昔の関係に戻れたような気がした。
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居酒屋では、昔話をした。
高校時代のこと。
文化祭。
部活。
先生の話。
くだらないことで笑った。
たかしも笑った。
久しぶりに、心から笑った気がした。
酒が進む。
一杯。
二杯。
三杯。
「たかし、飲めるやん」
「昔から弱いけどな」
「今日はええやろ」
「うん」
りょうたは楽しそうだった。
「そういや、女の子の件な」
たかしの手が止まった。
「うん」
「ちょっと聞いてみたんやけど」
「ほんま?」
「うん。ただ、まだ予定が合わんみたいで」
「……そうなんや」
「もうちょっと待って」
たかしは笑った。
「もちろん」
「絶対紹介するから」
「ありがとう」
その言葉だけで、今日大阪へ帰ってきた意味があった。
そう思った。
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居酒屋を出る。
たかしは、てっきりこれで終わりだと思っていた。
ところが、りょうたが言った。
「もう一軒行こうや」
「え?」
「せっかく大阪帰ってきたんやし」
たかしは時計を見る。
もう遅い。
明日は北海道へ戻らなければならない。
「明日、朝早いんやけど……」
「一軒だけやって」
「……」
「俺とは週一回やろ?」
その言葉を聞いた瞬間。
たかしは黙った。
「……分かった」
二軒目へ向かった。
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二軒目の店を出た頃には、日付が変わっていた。
りょうたは楽しそうだった。
「たかし、まだいけるやろ?」
「いや……」
「じゃあ、もう一軒だけ」
「……」
たかしは足を見た。
痛かった。
北海道で働いている間、ずっと痛かった。
本当なら、もう寝るべきだった。
明日も移動がある。
けれど。
「……分かった」
また言った。
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翌朝。
たかしは新幹線の中で眠っていた。
足が痛い。
頭も重い。
身体がだるい。
財布を開く。
中身を確認する。
昨日使った分を考えると、残りはほとんどなかった。
そして、北海道へ戻る交通費を考えた。
「……」
足りない。
たかしはスマートフォンを取り出した。
口座残高を見る。
ほとんどない。
仕方なく、また借りることにした。
交通費を借りる。
そして北海道へ戻った。
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数日後。
給与明細が渡された。
たかしは机に座り、明細を見る。
交通費の立替分。
新しく増えた借入金。
そして、以前からの返済。
また給料が減っていた。
「……」
たかしは電卓を置いた。
大阪へ帰る前。
封筒には一万円あった。
今はゼロ。
さらに借金まで増えた。
たった一度の大阪への帰省。
たった一度の飲み会。
たった一度の「女の子の紹介」の話。
それだけで。
貯金は消えた。
借金は増えた。
仕事を休んだ分、給料も減った。
そして、足の痛みは以前より強くなっていた。
たかしはベッドに横になった。
スマートフォンを見る。
りょうたからメッセージが届いていた。
『昨日は楽しかったわ!また飲もうな!』
たかしは画面を見ながら笑った。
『うん。俺も楽しかった』
送信した。
しばらくすると、また返信が来た。
『次は女の子も一緒に飲めたらええな』
たかしの胸が高鳴った。
「……次は」
その言葉だけで、未来があるように思えた。
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その夜。
たかしは引き出しを開けた。
小さな封筒。
空っぽだった。
以前は、そこに一万円が入っていた。
たかしは封筒を手に取った。
そして、静かに笑った。
「また貯めればええ」
一万円くらい。
また貯めればいい。
二万円。
三万円。
五万円。
そう思った。
しかし。
翌朝。
足の痛みがさらに強くなった。
仕事を休んだ。
その日の給料は、また減った。
病院へ行くために交通費を使った。
薬代も必要だった。
生活費も必要だった。
そして、その夜。
スマートフォンが鳴った。
今度は、ひろしだった。
『たかし、久しぶり!』
続いて、
『今度また飲もうや』
たかしは画面を見つめた。
断ろうと思った。
けれど。
指は勝手に動いていた。
『うん』
送信。
そして、たかしは気づいた。
貯金を作ることより。
借金を増やさないことより。
身体を治すことより。
友達との約束を守ることを優先している。
しかも、それを自分で「優しさ」だと思っている。
たかしは布団に横になった。
足がズキズキと痛んだ。
目を閉じる。
そして、いつものように自分に言い聞かせた。
「俺は……まだ大丈夫」
けれど。
机の上には、空っぽの封筒。
給与明細には、増えていく借金。
そして布団の中には――。
少しずつ、働くことさえ難しくなっていく身体があった。




