↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『僕が日常で壊れていくまで』  作者: こうた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
47/80

第47話 減っていく給料

朝、目を覚ました瞬間から、たかしは足の痛みを感じていた。


布団の中で、しばらく動かなかった。


動かなければ、痛くない。


そう思っていた。


けれど、時計を見ると五時を少し過ぎていた。


「……行かなあかん」


身体を起こす。


床に足をつけた瞬間、鈍い痛みが走った。


「っ……」


思わず声が漏れる。


昨日より痛い。


一昨日よりも痛い。


それでも、たかしは靴下を履いた。


病院では、無理をしないように言われていた。


傷を悪化させないように。


足を清潔に保つように。


できるだけ負担を減らすように。


たかし自身も、その意味は分かっていた。


分かっている。


だからこそ、怖かった。


休めば給料が減る。


給料が減れば、借金が増える。


借金が増えれば、今の部屋にもいられなくなる。


そして、部屋を失えば――。


その先を考えると、足の痛みより胸の奥が苦しくなった。


「行かな……」


たかしは立ち上がった。


玄関を出る。


外はまだ暗かった。


北海道の朝は冷たい。


吐いた息が白くなる。


歩くたびに足が痛んだ。


それでも、職場へ向かった。


---


その日の午前。


いつものように倉庫で作業をしていると、責任者が近づいてきた。


「たかしさん」


「はい」


「足、大丈夫ですか?」


たかしは一瞬だけ黙った。


「大丈夫です」


反射的に答えた。


責任者は足元を見る。


「昨日より歩き方、おかしくないですか?」


「……ちょっと痛いだけです」


「病院は?」


「行ってます」


「先生は何て?」


たかしは答えに困った。


「……無理するなって」


責任者は小さく息を吐いた。


「それなら、無理しないほうがいいですよ」


「でも、仕事が……」


「仕事はあります。でも、悪くなったらもっと大変でしょう」


その言葉に、たかしは黙った。


責任者は悪い人ではなかった。


だから余計に苦しかった。


「今日は重いもの持たなくていいです。できる作業だけしてください」


「ありがとうございます」


頭を下げる。


その瞬間、たかしは少し安心した。


けれど――。


その日の作業量は、いつもの半分以下だった。


当然だった。


歩けない。


重いものを持てない。


雪かきも長時間できない。


作業が終わる頃には、たかし自身が一番分かっていた。


自分は、もう以前と同じようには働けない。


---


夜。


部屋に戻ると、机の上に給与明細が置かれていた。


たかしは椅子に座った。


封筒を開ける。


支給額を見る。


そして、その下に並んだ控除欄を見る。


寮費。


食費。


交通費。


立替金。


借入金の返済。


その他の費用。


数字がいくつも並んでいる。


たかしは電卓を取り出した。


「……」


何度計算しても同じだった。


手元に残る金額は、思っていたより少なかった。


「これじゃ……」


呟いて、口を閉じた。


生活するだけで精一杯だった。


借金を返すどころか、貯金などできない。


病院へ行く交通費すら気になる。


それでも、たかしは給与明細を机の引き出しにしまった。


そしてスマートフォンを見る。


メッセージが届いていた。


送り主は、りょうただった。


『たかし、元気か?』


その下に続いていた。


『大阪帰ってきたら飲もうや』


たかしは画面を見つめた。


少し迷った。


そして返信する。


『うん。また帰ったら飲もう』


送信。


しばらくして、返信が来た。


『楽しみにしてるわ。女の子の件も進めとくから』


たかしの胸が少しだけ軽くなった。


「女の子……」


39歳。


独身。


彼女なし。


結婚歴なし。


子どももいない。


そんな自分にも、まだ未来がある。


そう思わせてくれる言葉だった。


だからこそ、たかしはその約束を手放せなかった。


---


翌日。


たかしは小さな封筒を買った。


中には、ほんの少しだけ現金を入れた。


「これだけでも……」


毎月、少しずつ貯めようと思った。


一万円。


二万円。


五万円。


いつかまとまった金額になれば、借金を少し返せる。


そして、ここから出られるかもしれない。


大阪に戻れるかもしれない。


仕事を探せるかもしれない。


女性と出会えるかもしれない。


結婚できるかもしれない。


子どもを持てるかもしれない。


小さな封筒の中身は、ただの現金だった。


けれど、たかしにとっては――。


未来そのものだった。


---


その夜。


またスマートフォンが鳴った。


今度は、まさとだった。


『今度いつ大阪帰ってくる?』


たかしは答えた。


『まだ分からん』


『帰ってきたら飲もうや』


少し間を置いて、たかしは返信した。


『うん』


『俺とは週一回やろ?』


その言葉を見た瞬間。


たかしは、少しだけ笑った。


「……そうやな」


まさとは悪くない。


ひろしも悪くない。


なおとも。


ながとも。


りょうたも。


みんな自分のことを友達だと思ってくれている。


みんな家庭がある。


仕事もある。


忙しい中で、自分と時間を作ってくれている。


そう考えると、断ることなんてできなかった。


たかしは引き出しを開けた。


さっきの小さな封筒を見る。


一万円。


今月、ようやく残せたお金だった。


それを見ながら思う。


――このお金だけは使わない。


絶対に。


そう決めた。


---


三日後。


たかしのもとに、りょうたから電話がかかってきた。


「たかし、今度帰ってこいや」


「うん……」


「飲もうや」


たかしは黙った。


「どうした?」


「いや……」


「仕事忙しいんか?」


「そういうわけじゃ……」


「じゃあええやん」


たかしはスマートフォンを握りしめた。


本当は断りたかった。


足が痛い。


金もない。


病院にも行かなければならない。


今は大阪へ帰っている場合ではない。


それなのに――。


「……分かった」


口から出た言葉は、いつもの言葉だった。


「帰るわ」


電話を切る。


たかしはしばらく動かなかった。


そして、引き出しを開ける。


小さな封筒を見る。


一万円。


その一万円を交通費に使えば、またゼロになる。


それでも、たかしは封筒を手に取った。


「……友達やもんな」


自分に言い聞かせる。


そして、ふと気づいた。


最近、自分は何かをするたびに、


「友達だから」


と言い聞かせている。


飲むのも。


金を借りるのも。


大阪へ帰るのも。


仕事を休めないのも。


病院へ行くのを後回しにするのも。


全部。


「友達だから」


その言葉が、いつの間にか――。


自分の人生を決める理由になっていた。


たかしは痛む足を引きずりながら、ベッドに戻った。


窓の外では、雪が静かに降っていた。


白い雪が、道路を少しずつ覆っていく。


その白さの中で。


たかしの未来だけが、少しずつ黒くなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。