第46話 休むことも怖い
朝。
目覚ましは鳴らなかった。
正確には、鳴るように設定していなかった。
今日は仕事を休む日だった。
たかしは布団の中で目を開けた。
外はまだ薄暗い。
いつもなら、もう着替えている時間だった。
けれど今日は起きなくていい。
それなのに。
身体が休まらなかった。
「……休みって、こんな感じやったっけ」
以前なら、休日は嬉しかった。
好きなだけ眠れる。
どこかへ出かけることもできる。
友達と飲みに行くこともできる。
けれど今は違った。
休んでいる間にも、
金が減っていく。
借金は減らない。
治療費はかかる。
そして、仕事に戻れる保証もない。
たかしは布団から出た。
足が痛い。
ゆっくり歩いて、机の前に座った。
机の上には薬と病院からもらった書類が置かれている。
それを見て、ため息をついた。
「治さなあかんな……」
自分に言い聞かせる。
けれど、どうやって治すのかは分からない。
*
午前十時。
スマートフォンが鳴った。
管理している男からだった。
「もしもし」
『たかし、今日は休みでええからな』
「はい」
『病院には行ったか?』
「昨日行きました」
『そうか』
「ありがとうございます」
『無理したらあかんぞ』
「はい」
電話が切れた。
たかしは少し安心した。
少なくとも、今すぐ仕事を失うわけではない。
そう思った。
しかし。
昼頃。
また電話が鳴った。
今度は会社からだった。
『たかし、ちょっと確認したいんやけど』
「はい」
『医者からどれくらい休むように言われてる?』
「数日です」
『数日って、具体的には?』
「……まだ分からないです」
『こっちも人員の調整があるからな』
「すみません」
『謝らんでええ。ただ、長引くなら今後のことを考えんとあかん』
たかしは黙った。
『分かったら連絡して』
「はい」
電話が切れた。
たかしはスマートフォンを置いた。
胸が苦しくなった。
「今後のこと」
その言葉だけが頭に残った。
*
午後。
たかしは病院へ行った。
診察を受ける。
医師から生活について説明される。
食事。
睡眠。
薬。
足のケア。
そして、仕事について。
「今の状態で無理をすると悪化する可能性があります」
「……はい」
「できるだけ足に負担をかけないようにしてください」
「分かりました」
「傷についても、変化があればすぐ受診してください」
たかしは頷いた。
診察室を出る。
会計を済ませる。
財布を見る。
思った以上に金が減っていた。
「……」
病院から戻る途中。
たかしはコンビニに立ち寄った。
食べ物を買おうとして、値段を見る。
以前なら何も考えず買っていたものが、今は高く感じる。
結局、一番安いものを選んだ。
袋を持って外へ出る。
雪が降っていた。
たかしはその雪を見ながら思った。
「こんな生活、いつまで続くんやろ」
答えはなかった。
*
夜。
たかしは久しぶりに早い時間に布団へ入った。
午後九時。
まだ眠くない。
スマートフォンを見る。
グループチャットには、五人からメッセージが届いていた。
まさと。
『今日は店忙しかったわ』
ひろし。
『新しい車入ったで』
なおと。
『今週契約決まった!』
ながと。
『子供の学校行事行ってきた』
りょうた。
『今日も遅くまで仕事や』
たかしは一つずつ読んだ。
みんな、それぞれの生活を送っている。
仕事。
家族。
子供。
車。
家。
そして自分。
北海道の小さな部屋。
病気。
借金。
仕事への不安。
「……違いすぎるな」
たかしはスマートフォンを伏せた。
その直後。
電話が鳴った。
まさとだった。
「もしもし」
『たかし、休んでるんやって?』
「うん」
『足、大丈夫なんか?』
「大丈夫やで」
『ほんまか?』
「うん」
『ならよかった』
まさとは少し笑った。
『また元気になったら飲もうや』
「うん」
『俺とは週一回くらいやしな』
たかしは苦笑した。
「うん」
『そういや、女の子の件、りょうたから聞いたで』
「……え?」
『まだ紹介してないんやって?』
「うん」
『あいつ、ほんま忘れてるんちゃうか?』
「……そうかな」
『まあ、あいつも忙しいからな』
「うん」
『でも、たかしも頑張らなあかんで』
「……うん」
電話が終わった。
たかしはしばらく動かなかった。
女の子。
結婚。
家族。
それだけを考えて、ここまで来た。
でも。
今の自分には、
恋愛をする余裕すらない。
それでも。
「いつか」
という言葉を捨てることはできなかった。
*
休みは三日続いた。
四日目。
たかしは会社へ連絡した。
「明日から仕事に戻れます」
『無理してないか?』
「大丈夫です」
『医者は?』
「とりあえず様子を見ながらなら」
『分かった』
電話を切った。
たかしは少し安心した。
これでまた働ける。
給料が入る。
借金も少しずつ返せる。
そう思った。
翌朝。
五時。
久しぶりに倉庫へ向かった。
「おはようございます」
「おう。もう大丈夫なんか?」
「はい」
「無理すんなよ」
「ありがとうございます」
仕事が始まる。
しかし。
一時間もしないうちに足が痛くなった。
二時間。
三時間。
痛みは増していった。
それでも、たかしは何も言わなかった。
「大丈夫です」
そう言い続けた。
昼。
休憩時間。
一人で弁当を食べながら、足を見た。
「……」
病院で言われたことを思い出す。
無理をしない。
負担を減らす。
傷を悪化させない。
分かっている。
でも。
働かなければならない。
休めば、
「今後のことを考えないといけない」
と言われる。
たかしは弁当を食べ終えた。
そして立ち上がった。
「まだ働ける」
そう呟いた。
*
その夜。
部屋に戻ると、机の上に新しい明細が置かれていた。
休んだ三日分。
当然、給料は減っている。
さらに治療費。
薬代。
生活費。
たかしは計算した。
今月、借金に回せる金額はほとんど残らない。
「……」
たかしは椅子に座ったまま、長い間動かなかった。
そのとき、スマートフォンが鳴った。
りょうたからだった。
『たかし、今度大阪帰ってこいや』
たかしは画面を見つめた。
帰りたい。
本当に帰りたい。
でも、今は無理だ。
交通費を借りなければ帰れない。
帰ればまた借金が増える。
それでも。
電話に出た。
「もしもし」
『元気か?』
「うん」
『足、大丈夫なん?』
「大丈夫」
『ならよかった』
そして、いつもの言葉。
『また飲もうな』
「うん」
『女の子の件も、ちゃんと考えとくから』
「……ありがとう」
電話を切った。
たかしは目を閉じた。
そして、静かに呟いた。
「俺、いつまでこうしてるんやろ」
答えはなかった。
ただ、暖房の音だけが部屋に響いていた。
休めば怖い。
働けば痛い。
帰れば借金が増える。
帰らなければ友達に会えない。
助けを求めれば迷惑をかける。
黙っていれば、自分が壊れていく。
そのどれを選んでも、
たかしには苦しかった。
それでも翌朝。
五時になれば、たかしは起きる。
そして、
「大丈夫」
と言って仕事へ向かう。
それしか、
今のたかしには、
自分の人生を続ける方法が残っていなかった。




