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『僕が日常で壊れていくまで』  作者: こうた


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第45話 痛みを隠す理由

朝五時。


目覚ましが鳴った。


たかしは目を開けた。


しかし、起き上がれなかった。


足が痛い。


昨日よりも。


一昨日よりも。


明らかに痛みが強くなっていた。


「……」


布団の中で、じっとしていた。


仕事へ行かなければならない。


分かっている。


けれど、足に力を入れることが怖かった。


もし立てなかったら。


もし歩けなかったら。


もし病院で、


「もう仕事を続けられません」


と言われたら。


そう考えると、身体を起こすことさえ怖くなった。


「……大丈夫」


たかしは自分に言い聞かせた。


「ちょっと痛いだけや」


ゆっくり足を床につける。


激痛。


「っ……」


壁に手をついた。


しばらく動けなかった。


それでも。


「行かなきゃ」


たかしは立ち上がった。


*


倉庫に着くと、管理している男が声をかけてきた。


「おはよう」


「おはようございます」


「なんや、歩き方おかしくないか?」


たかしは一瞬止まった。


「え?」


「足、どうした?」


「ちょっと前から痛くて」


「病院行ったんか?」


「まだです」


「まだ?」


「仕事が……」


男は黙った。


「病院くらい行け」


「でも……」


「悪化したら仕事できんぞ」


その言葉が、たかしの胸に刺さった。


仕事できなくなる。


その言葉だけは怖かった。


「……はい」


「今日、終わったら行けるか?」


「はい」


たかしは頷いた。


けれど。


その日の仕事が終わったのは、夜だった。


病院へ行く時間はなかった。


「明日こそ行こう」


また同じ言葉を繰り返した。


*


翌日。


昼頃。


たかしは倉庫の隅で座っていた。


足が痛い。


立っているだけでも辛い。


そこへ同僚がやってきた。


「たかしさん」


「ん?」


「本当に病院行ったほうがいいですよ」


「……うん」


「顔色も悪いですよ」


「大丈夫」


「昨日も大丈夫って言ってましたよ」


たかしは苦笑した。


「大丈夫やって」


同僚はそれ以上言わなかった。


たかしは思った。


心配してくれる人はいる。


それなのに。


自分は助けを求められない。


なぜだろう。


考えても分からなかった。


*


その夜。


部屋へ戻る。


靴を脱ぐ。


靴下を脱ぐ。


たかしは自分の足を見た。


以前より腫れていた。


傷の周囲も赤くなっている。


「……病院行かな」


スマートフォンを手に取った。


検索する。


近くの病院。


診療時間。


地図。


いくつか表示された。


明日の仕事前なら行けるかもしれない。


そう思った。


しかし。


朝五時から仕事。


病院の受付時間には間に合わない。


仕事が終わる頃には閉まっている。


たかしはスマートフォンを置いた。


「……どうしよう」


その言葉が口から出た。


誰もいない部屋だった。


だから初めて、声にできた。


「助けて……」


自分でも驚いた。


すぐに首を振る。


「……何言ってんねん」


そして、笑った。


「大丈夫や」


*


翌日。


仕事中。


たかしは重い荷物を持ち上げた。


一歩。


また一歩。


足に痛みが走る。


それでも歩いた。


「たかし!」


後ろから声がした。


振り向く。


管理している男だった。


「それ置いとけ」


「はい」


「今日はもうええ」


「でも、まだ仕事が……」


「ええから」


たかしは戸惑った。


「病院行ってこい」


「……」


「今からなら間に合うやろ」


たかしは時計を見た。


確かに、まだ診察時間に間に合う。


「ありがとうございます」


「治してこい」


「はい」


たかしはそのまま病院へ向かった。


*


診察室。


医師が足を確認する。


「いつからですか?」


「……結構前からです」


「どうしてもっと早く来なかったんですか?」


たかしは答えられなかった。


医師は血液検査などの結果を確認した。


「血糖値がかなり高いです」


「……はい」


「以前から糖尿病について言われてませんでしたか?」


「はい」


「治療は?」


「してません」


医師は少し黙った。


「足の傷も放置していましたね」


「……はい」


「これは放置しないでください」


たかしは俯いた。


「仕事が……」


「仕事より先に治療です」


その言葉を聞いて、たかしの胸が苦しくなった。


仕事を休め。


治療しろ。


正しい。


そんなことは分かっている。


でも。


仕事を休めば。


給料が減る。


給料が減れば。


借金が返せない。


借金が返せなければ。


部屋を失うかもしれない。


部屋を失ったら。


また外へ出る。


たかしは医師に聞いた。


「先生……仕事、休んだほうがいいですか?」


「少なくとも、この状態で無理をするのは勧めません」


「……」


「必要なら診断書も出します」


「……分かりました」


病院を出た。


外は雪だった。


たかしは診断書をバッグに入れた。


帰り道。


何度も考えた。


これを見せたら、仕事を休める。


でも。


その後は?


給料は?


部屋は?


借金は?


たかしは立ち止まった。


雪が肩に積もる。


「……休めない」


そう呟いた。


*


その夜。


管理している男に診断書を見せた。


男は黙って読んだ。


「かなり悪いな」


「はい」


「医者はなんて?」


「休んだほうがいいって」


「じゃあ休め」


たかしは顔を上げた。


「え?」


「治療優先や」


「でも……」


「給料が減るからか?」


たかしは黙った。


「そんなこと気にしてる場合ちゃうやろ」


「……はい」


男は診断書を返した。


「数日休め」


「……ありがとうございます」


たかしは頭を下げた。


その夜。


久しぶりに、仕事のことを考えずに眠れる。


そう思った。


しかし。


ベッドに入っても眠れなかった。


給料が減る。


借金が増える。


生活費はどうする。


病院代も必要になる。


たかしはスマートフォンを見た。


五人のグループには、また写真が届いていた。


まさと。


ひろし。


なおと。


ながと。


りょうた。


みんな家族と一緒だった。


たかしは画面を見つめた。


そして、りょうたとの会話を開いた。


『女の子の件、どうなった?』


文字を打つ。


しかし送れなかった。


消した。


もう一度打つ。


『俺、足が悪くて……』


消した。


『ちょっと助けてほしい』


また消した。


結局、


『元気やで』


と送った。


すぐに返信が来た。


『それならよかった!また飲もうな!』


たかしはその画面を見て、少し笑った。


そしてスマートフォンを伏せた。


「うん」


誰に言うでもなく答えた。


「また飲もう」


そのとき。


足に鈍い痛みが走った。


たかしは布団の中で足を抱えた。


痛い。


怖い。


仕事も怖い。


借金も怖い。


未来も怖い。


でも。


一番怖かったのは、


「誰からも誘われなくなること」


だった。


だから、たかしは痛みを隠した。


病気を隠した。


お金がないことも隠した。


そして、


「大丈夫」


という言葉だけを、


誰にも頼らず握りしめていた。


その言葉が、


自分自身を守るためではなく、


自分自身を追い詰めるための言葉になっていることにも、


まだ気づかないまま。

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