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『僕が日常で壊れていくまで』  作者: こうた


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第42話 辞めたら、どこへ行く

朝五時。


目覚ましが鳴る前に、たかしは目を覚ました。


身体が重かった。


特に足が痛い。


布団の中でしばらく動けなかった。


「……起きなきゃ」


そう呟いて、ゆっくり身体を起こした。


昨日より痛みが強くなっている気がした。


靴下を履く。


足を確認する。


以前からある傷は、完全には治っていなかった。


病院に行かなければならない。


そう思った。


けれど。


「仕事、休めないよな……」


たかしは立ち上がった。


朝食を済ませ、倉庫へ向かった。


外はまだ暗い。


吐く息が白い。


雪を踏むたびに、靴の中へ冷気が入ってくる。


倉庫に入ると、すでに何人かが働いていた。


「おはようございます」


「おう」


短い挨拶。


それだけだった。


たかしは今日も働いた。


荷物を運ぶ。


片付ける。


雪を除ける。


掃除する。


何度も足が痛んだ。


それでも、


「大丈夫です」


と言った。


昼過ぎ。


男がやってきた。


「たかし」


「はい」


「これ、今日中に終わらせといて」


渡された仕事は、昨日より多かった。


たかしは紙を見た。


「今日中ですか?」


「ああ」


「分かりました」


「頼むな」


男はそれだけ言って離れていった。


たかしはため息をついた。


それでも作業を始めた。


夕方。


足の痛みが強くなった。


一度、座り込んだ。


「……痛い」


誰にも聞こえないように呟いた。


そのときだった。


同じ職場の男が近くを通った。


「大丈夫か?」


「はい」


「病院行ったほうがいいんじゃないか?」


「……そうですね」


「休みの日に行けよ」


「はい」


そう答えた。


けれど、その「休みの日」がいつなのか、たかしには分からなかった。


日曜日も仕事。


祝日も仕事。


仕事が終わる時間も日によって違う。


病院へ行く時間を作ることが難しかった。


夜。


部屋に戻る。


ベッドに座る。


靴を脱いだ瞬間、痛みが強くなった。


たかしは顔をしかめた。


スマートフォンを見る。


五人のグループには、今日も楽しそうな写真が届いていた。


まさとは家族で食事。


ひろしは新しい車。


なおとは仕事仲間との写真。


ながとは子供の誕生日。


りょうたは高そうな店で食事をしている。


たかしは画面を見つめた。


「みんな、元気そうやな……」


その瞬間。


スマートフォンが鳴った。


りょうただった。


「もしもし」


『たかし、元気か?』


「元気やで」


『仕事どうや?』


「忙しいけど、なんとか」


『そっか。よかったな』


「うん」


『ところで、女の子の件な』


たかしの表情が変わった。


「うん」


『まだちょっと調整中やけど、たぶん大丈夫やと思う』


「本当に?」


『お前、焦るなって』


「……うん」


『こっち戻ってきたら飲もうや』


たかしは一瞬黙った。


足が痛い。


身体も疲れている。


本当なら断りたかった。


「北海道から帰るの、結構お金かかるし……」


『ああ、そうか』


少し沈黙があった。


そして、りょうたが言った。


『まあ、無理にとは言わんけど』


「……」


たかしの胸が苦しくなった。


無理にとは言わない。


そう言われると、余計に断りにくかった。


「……帰るよ」


『ほんま?』


「うん」


『じゃあ決まりやな』


たかしは苦笑した。


「うん」


電話を切った。


その瞬間、疲労感が一気に押し寄せてきた。


北海道から帰るだけでも金がかかる。


それでも帰る。


なぜなら。


女の子を紹介してもらえるかもしれないから。


「これで最後にしよう」


たかしはそう思った。


帰ったら、友達に会う。


飲んで。


女の子の紹介をしてもらう。


そして北海道へ戻る。


仕事を続けて。


借金を返して。


いつか普通の生活に戻る。


そう考えた。


ところが翌日。


仕事が終わったあと、管理している男に呼び止められた。


「たかし」


「はい」


「昨日、休みたいって言ってたやろ」


「え?」


「病院行きたいって」


「はい」


「今週は無理やな」


たかしは黙った。


「仕事が詰まってる」


「……そうですか」


「来週なら考える」


「分かりました」


男は続けた。


「あと、勝手に帰省とかせんといてな」


「……帰省?」


「北海道から出るなら、事前に言ってくれ」


「はい」


「今のお前、会社から色々立て替えてもらってる状態やから」


「……はい」


「途中でいなくなられたら困るんよ」


たかしは俯いた。


「分かりました」


その夜。


たかしはスマートフォンを見ながら考えた。


北海道から帰る。


飛行機代。


交通費。


飲み代。


そして、戻ってくる費用。


今の自分には大きな負担だった。


それでも、りょうたとの約束を断ることができなかった。


翌朝。


「北海道から帰りたいんですけど」


男にそう言った。


男は少し驚いた。


「何しに?」


「友達と会う予定があって」


「今?」


「はい」


「仕事は?」


「休みの日に……」


男は少し考えた。


「まあ、行くのは自由やけど」


たかしは安心した。


しかし続く言葉で、その安心は消えた。


「帰ってきたとき、部屋が空いてる保証はないで」


「……え?」


「仕事を休んで帰る人間を、ずっと置いとくわけにもいかんからな」


たかしは黙った。


「別に脅してるわけちゃう」


「……はい」


「仕事続けるなら、ここにおってくれたらええ」


「……」


「辞めるなら、出てもらうだけや」


男は淡々と言った。


それだけだった。


怒鳴られたわけではない。


脅されたわけでもない。


だからこそ、たかしは何も言えなかった。


部屋に戻った。


ベッドに座る。


そして考えた。


辞めたら。


どこへ行く?


北海道に来たとき、住む場所はなかった。


仕事もなかった。


金もなかった。


だから、この場所に来た。


もしここを出たら。


また同じになる。


いや。


今度はもっと悪い。


足も痛い。


借金もある。


金もない。


たかしはスマートフォンを握った。


りょうたに電話しようとした。


『北海道から帰るん、無理かもしれん』


そう言えばいい。


ただそれだけだ。


けれど。


電話をかけられなかった。


代わりにメッセージを打った。


――ごめん。今回は行けないかもしれない。


送信する直前。


消した。


そして、


――楽しみにしてる。


と送った。


数秒後。


りょうたから返信が来た。


『おう!楽しみにしとけ』


たかしはスマートフォンを胸に当てた。


目を閉じた。


「……俺、何してるんやろ」


誰も答えてくれなかった。


その夜。


たかしは初めて、


「この仕事を辞めたい」


と思った。


でも同時に、


「辞めたら、どこへ行く?」


という言葉が頭に浮かんだ。


その二つの言葉は、何度考えても離れなかった。


辞めたい。


でも、辞められない。


帰りたい。


でも、帰れない。


助けてほしい。


でも、助けてと言えない。


たかしは布団に入った。


暖房の音が聞こえる。


屋根がある。


ベッドがある。


だから大丈夫。


そう自分に言い聞かせた。


けれど、その夜から。


たかしにとって、


「ここに住める」


という安心は、


「ここから出られない」


という意味に少しずつ変わり始めていた。

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