第39話 冬の底
北海道に来て、一か月が過ぎた。
たかしは、もう雪を見ることに驚かなくなっていた。
朝起きる。
仕事へ行く。
夜まで働く。
帰る。
眠る。
そして、また起きる。
それだけだった。
以前の生活では、週五回の飲み会があった。
今はない。
それなのに。
たかしの身体は、以前よりずっと疲れていた。
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ある朝。
靴を履こうとして、たかしは手を止めた。
足が痛い。
靴下を履く。
少し血が付いた。
「……またか」
傷は治っていなかった。
むしろ悪くなっている。
たかしはスマートフォンを手に取った。
病院を検索する。
近くの病院。
診療時間。
費用。
画面を見ているうちに、仕事の時間が近づいてきた。
「……帰ってから行こう」
そう思った。
しかし。
帰宅した頃には、病院は閉まっていた。
「明日行こう」
また明日にした。
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仕事場では、誰も足のことを気にしなくなった。
たかしが痛そうに歩いていても。
「大丈夫?」
と聞かれることはなくなった。
むしろ。
「今日も頼むぞ」
と言われる。
たかしは、
「はい」
と答える。
それしかできなかった。
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ある日の午後。
重い荷物を運んでいたとき。
足に激痛が走った。
「……っ!」
たかしは荷物を落とした。
「何やってんだ!」
担当者が怒鳴る。
「すみません!」
「最近ミス多いぞ」
「……すみません」
「仕事できないなら帰れ」
その言葉に。
たかしは凍りついた。
帰れ。
その言葉は。
「寮を出ろ」
という意味にも聞こえた。
「やります」
「何?」
「まだ働けます」
担当者はたかしを見た。
「じゃあやれ」
「はい」
たかしは荷物を拾った。
足が震えていた。
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夜。
部屋に戻る。
たかしは靴下を脱いだ。
血が付いている。
床に座り込む。
「……もう無理や」
涙が出た。
誰も見ていない。
だから泣けた。
声を殺して泣いた。
しばらくして。
スマートフォンを見る。
五人のグループには、写真が何枚も送られていた。
まさと。
家族で食事。
ひろし。
新車。
なおと。
家族旅行。
ながと。
子どもの誕生日。
りょうた。
家族とクリスマスの予定。
たかしは写真を見つめた。
そして。
一枚ずつ閉じた。
「俺も……」
言葉が続かなかった。
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その夜。
たかしは一人で考えた。
自分は何が欲しかったのか。
金ではない。
高級車でもない。
豪邸でもない。
本当は。
家族が欲しかった。
妻が欲しかった。
子どもが欲しかった。
普通に働いて。
普通に帰宅して。
家族と夕食を食べる。
そんな生活が欲しかった。
だから。
「女の子紹介する」
と言われるたびに。
期待した。
いつか。
いつか。
いつか。
その「いつか」を信じ続けた。
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翌日。
仕事から帰ると。
部屋の前に封筒が置かれていた。
会社からだった。
たかしは開封した。
中には通知書。
「契約内容変更のお知らせ」
そして。
「就労状況および健康状態を踏まえ、勤務条件を変更する」
たかしは何度も読み返した。
給与が減る。
勤務時間が増える。
寮費は変わらない。
つまり。
手元に残る金がさらに減る。
「……なんで」
たかしは封筒を握りしめた。
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その夜。
担当者に抗議した。
「給料が減るんですか?」
「勤務内容が変わるからな」
「でも……」
「嫌なら辞めてもいい」
また、その言葉。
たかしは黙った。
「……分かりました」
結局。
受け入れた。
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数日後。
給料日。
たかしは封筒を受け取った。
手取り。
ほとんど残らなかった。
そして。
借金返済のために送金しようとした。
しかし。
送れる金額がない。
「……また返せない」
たかしはスマートフォンを置いた。
借金は減らない。
むしろ。
利息で増えている。
北海道に来ても。
何も変わっていなかった。
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そんなある夜。
たかしの部屋を誰かがノックした。
「たかしさん」
担当者だった。
「はい」
「ちょっと話がある」
たかしはドアを開けた。
「今月、会社から立て替えてる分が増えてる」
「……はい」
「このままだと、結構な額になるぞ」
たかしは黙った。
「どうする?」
「働いて返します」
「そうだよな」
男は笑った。
「だから、仕事増やしてやるよ」
「……仕事?」
「夜勤」
たかしは顔を上げた。
「昼も働いて、夜も働く」
「でも……身体が」
「金が必要なんだろ?」
たかしは言葉を失った。
「借金もあるんだろ?」
「……はい」
「じゃあ働くしかない」
その言葉に。
たかしは逆らえなかった。
「……分かりました」
「明日からな」
男は出ていった。
ドアが閉まる。
たかしはベッドに座った。
「明日から……」
また。
その言葉だった。
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翌日。
昼の仕事。
夕方から夜勤。
夜勤が終わるのは午前二時。
部屋に戻るのは午前三時。
そして午前六時には。
また仕事。
眠る時間はほとんどない。
たかしの身体は、さらに壊れていった。
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ある朝。
仕事場で倒れた。
意識が遠くなる。
雪の上に膝をつく。
「たかし!」
誰かの声。
たかしは目を開けた。
空が見える。
白い。
「……寒い」
それだけ言った。
救急車が呼ばれた。
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病院。
医師は険しい顔をしていた。
「このまま働き続けるのは危険です」
たかしは黙っていた。
「治療を受けてください」
「……お金が」
「生活保護など、利用できる制度があります」
たかしは顔を上げた。
「生活保護……?」
「一人で抱え込まないでください」
その言葉を聞いた。
しかし。
たかしは首を横に振った。
「……迷惑かけたくないんです」
「誰にですか?」
たかしは答えられなかった。
会社にも。
友達にも。
社会にも。
誰にも迷惑をかけたくない。
その気持ちだけが。
たかしをさらに追い詰めていた。
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病院を出る。
外は吹雪だった。
たかしは立ち止まった。
スマートフォンを見る。
りょうたからメッセージ。
『元気か?』
たかしは文字を入力した。
『助けて』
そこまで書いた。
指が震える。
送信ボタンを見る。
そして。
削除した。
代わりに。
『元気やで』
と送った。
すぐに返事が来た。
『よかった。落ち着いたらまた飲もうな』
たかしは画面を見つめた。
笑えなかった。
怒ることもできなかった。
ただ。
スマートフォンをポケットにしまった。
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その夜。
寮へ戻ると。
部屋の暖房が壊れていた。
たかしは毛布にくるまった。
寒い。
身体が震える。
「……北海道って」
たかしは呟いた。
「こんなに寒かったんやな」
窓の外。
雪が降り続いている。
たかしは布団の中で小さく丸くなった。
そして。
自分でも気づかないうちに。
涙が頬を伝っていた。
北海道の冬は。
まだ終わらない。
そして。
たかしの人生も。
まだ底には届いていなかった。




