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『僕が日常で壊れていくまで』  作者: こうた


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第37話 逃げられない仕事

北海道に来て、二週間が過ぎた。


たかしは毎朝、午前六時に起きた。


外は暗い。


窓を開けると、冷たい空気が部屋に入り込んでくる。


「寒い……」


それでも、以前の生活より規則正しかった。


起きる。


働く。


帰る。


眠る。


それだけ。


飲みに行くこともない。


パチンコにも行かない。


キャバクラにも行かない。


たかしは少しずつ、自分の人生を取り戻しているような気がしていた。


---


しかし。


身体は日に日にきつくなっていた。


足の傷が治らない。


むしろ、少しずつ悪化している。


靴を脱ぐと、足が赤く腫れていた。


「……病院行かんとな」


何度もそう思った。


だが、給料明細を見るたびに、その考えは消えた。


手元に残る金が少ない。


病院へ行けば、その分だけ生活が苦しくなる。


「来月行こう」


たかしはそう決めた。


また「来月」だった。


---


仕事は次第にきつくなった。


最初は倉庫内の整理だけだった。


しかし今では、荷物の積み下ろし。


雪かき。


早朝の除雪作業。


夜間の清掃。


仕事内容が増えていった。


「これも仕事なんですか?」


たかしが聞く。


担当者は答えた。


「契約に書いてあるだろ」


「……はい」


実際には、契約書をほとんど読んでいなかった。


そのときは仕事が欲しかった。


住む場所が欲しかった。


だから。


言われるまま署名した。


---


ある夜。


たかしは担当者に言った。


「少し休みを増やせませんか?」


「なんで?」


「足がちょっと痛くて……」


担当者はたかしの足を見る。


「病院行けば?」


「お金が……」


「じゃあ働くしかないな」


「……はい」


「嫌なら辞めてもいいぞ」


たかしは黙った。


「ただし、辞めるなら寮も出てもらう」


「……」


「仕事と住む場所、どっちもなくなるけどな」


たかしは下を向いた。


「……分かりました」


担当者は笑った。


「なら頑張れ」


---


その夜。


部屋に戻ったたかしは、ベッドに座った。


「辞めたら……住む場所がなくなる」


そう考えると怖かった。


北海道には誰もいない。


頼れる人もいない。


五人の友達に連絡することもできる。


しかし。


「助けて」


その一言が言えなかった。


今までだって。


自分から助けを求めたことはほとんどなかった。


友達に頼られる側だった。


それが自分の存在価値だと思っていた。


---


スマートフォンを見る。


五人のグループではない。


個別のメッセージ。


まさと。


『北海道どう?』


ひろし。


『仕事決まってよかったな』


なおと。


『こっちは忙しいわ』


ながと。


『身体には気をつけろよ』


りょうた。


『女の子の件、もうちょっと待ってな』


たかしは笑った。


「みんな、優しいな……」


その言葉を口にした。


しかし。


誰も、


「お金は大丈夫か?」


とは聞かなかった。


誰も、


「生活できてるか?」


とは聞かなかった。


誰も、


「病院には行ったか?」


とは聞かなかった。


そして。


それを聞かれないことを。


たかし自身も不思議に思わなかった。


---


翌週。


給料日。


たかしは封筒を受け取った。


また、ほとんど残らない。


「……」


明細を見る。


寮費。


食費。


送迎費。


保証金返済。


作業着代。


その他。


たかしは担当者に尋ねた。


「これ、いつになったら終わりますか?」


「何が?」


「保証金とか……」


「契約期間が終わるまで」


「あとどれくらいですか?」


担当者は笑った。


「一年」


「一年……」


たかしは絶句した。


「一年働いたら、普通に給料もらえるんですよね?」


「もちろん」


「……本当に?」


「嘘ついてどうするんだよ」


たかしは黙った。


そして。


封筒をしまった。


---


その夜。


たかしは久しぶりにコンビニへ行った。


財布の中には、ほとんど金がない。


それでも。


小さな缶チューハイを一本買った。


店を出る。


雪が降っている。


たかしは缶を開けた。


一口飲む。


身体に酒が染みる。


「……うまい」


久しぶりの酒だった。


しかし。


その瞬間。


昔の記憶が蘇った。


居酒屋。


笑い声。


まさと。


ひろし。


なおと。


ながと。


りょうた。


そして。


「たかし、今日も頼むわ」


「たかしなら大丈夫」


「昔奢ってもらったやろ」


「週一回くらいええやん」


「女の子紹介するから」


胸が苦しくなった。


たかしは缶を握った。


「俺……」


雪の中で呟く。


「何してたんやろ」


---


翌日。


仕事場で足の痛みが限界を超えた。


荷物を運んでいる途中。


突然、足に激痛が走った。


「……っ!」


たかしは荷物を落とした。


「何やってんだ!」


担当者が怒鳴る。


「すみません!」


「怪我したのか?」


「ちょっと足が……」


「立てる?」


たかしは立とうとした。


しかし。


足に力が入らない。


「……無理です」


担当者はため息をついた。


「病院行くか?」


たかしは頷いた。


「お願いします」


---


病院で検査を受けた。


医師は険しい顔をしていた。


「かなり悪化しています」


「……何がですか?」


「血糖値が非常に高いです」


たかしは黙った。


「以前から糖尿病を指摘されていませんでしたか?」


「……はい」


「治療は?」


「してません」


医師は深く息を吐いた。


「足の傷も感染しています」


「治りますか?」


医師は少し黙った。


「治療が必要です」


たかしは不安になった。


「仕事は……」


「今は仕事より治療を優先してください」


「でも……」


「放置すると、さらに悪化する可能性があります」


たかしは唇を噛んだ。


頭に浮かんだのは。


医療費。


仕事。


寮。


借金。


「……入院ですか?」


「状況によっては」


たかしは俯いた。


そして。


「先生」


小さな声で聞いた。


「仕事を休んだら……住むところ、なくなるんです」


医師はたかしを見る。


「それは、あなた一人で抱える問題ではありません」


その言葉を聞いて。


たかしの目に涙が浮かんだ。


「……そうなんですか」


「はい」


たかしは久しぶりに。


誰かから、


「一人で抱えなくていい」


と言われた。


---


しかし病院を出た直後。


担当者から電話がかかってきた。


『診断どうだった?』


「……少し休まないといけないみたいです」


『どれくらい?』


「分かりません」


しばらく沈黙。


そして。


『たかしさん』


声が冷たくなった。


『仕事を休むなら、寮もその間使えないから』


「え?」


『働く人のための寮だから』


「でも、治療しないと……」


『それは病院の話だろ』


「……」


『明日までに仕事に戻れるか決めて』


電話が切れた。


たかしは雪の中に立ち尽くした。


病院から言われた。


――一人で抱えなくていい。


しかし。


現実は。


――休めば住む場所を失う。


たかしはスマートフォンを握りしめた。


そして。


五人の友達の名前を見た。


電話をかけようとする。


指が止まる。


「……助けて」


そう入力した。


しかし。


送信できなかった。


削除する。


そして。


たかしは一人で雪の中を歩き始めた。


北海道の冬は。


まだ始まったばかりだった。

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