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『僕が日常で壊れていくまで』  作者: こうた


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第31話 明日から

朝、目を覚ましたとき。


たかしは、しばらく天井を見つめていた。


カーテンの隙間から、薄い光が差し込んでいる。


時計を見る。


午前十時過ぎ。


仕事を辞めてから、朝起きる時間はどんどん遅くなっていた。


以前なら、もう仕事を始めている時間だった。


「……今日から変わらないとな」


たかしは呟いた。


昨日までとは違う。


そう思った。


ベッドから起き上がり、スマートフォンを手に取る。


求人サイトを開いた。


これまで何度も開いては閉じていた画面。


今日は違った。


検索条件を入力する。


「未経験」


「資格不問」


「正社員」


いくつかの求人が表示された。


その中に、一つ気になる求人があった。


倉庫管理。


資格不要。


未経験歓迎。


月給二十五万円。


勤務時間も、今までの仕事より安定している。


たかしは求人内容を何度も読み返した。


「……ここなら」


胸の奥に、小さな希望が生まれた。


年収が高いわけではない。


豪華な生活ができるわけでもない。


それでも。


働ければいい。


借金を少しずつ返せる。


生活を立て直せる。


そしていつか。


結婚だってできるかもしれない。


「まだ、間に合う」


たかしは求人ページの応募ボタンを押した。


送信。


画面に、


「応募を受け付けました」


と表示された。


たかしはスマートフォンを胸に抱えた。


「……よし」


久しぶりに、自分の人生を一歩進めた気がした。


---


昼過ぎ。


たかしは部屋を片付け始めた。


散らかったテーブル。


空になったペットボトル。


飲み終わった缶。


コンビニの袋。


レシート。


一つずつ片付けていく。


「こんな部屋やったんやな……」


自分の部屋なのに、自分のものではないような感覚だった。


床を掃除する。


洗濯機を回す。


そして冷蔵庫を開ける。


中にはほとんど何もなかった。


たかしは苦笑した。


「まず、食生活からやな」


酒を減らす。


ちゃんと食べる。


仕事を探す。


借金を返す。


病院にも行く。


一つずつ。


一つずつやればいい。


そう思った。


---


午後四時。


スマートフォンが震えた。


たかしは反射的に手を伸ばした。


画面には、


「まさと」


と表示されている。


一瞬、胸が高鳴った。


しかし。


昨日、自分で決めたことを思い出した。


今日は飲まない。


求人にも応募した。


生活を変える。


たかしは電話を見つめた。


着信が止まった。


数秒後。


メッセージが届いた。


『今日どう? 軽く飲まへん?』


たかしは画面を見つめた。


指が動かない。


「今日は……」


返信欄を開く。


「ごめん、今日はやめとく」


そこまで入力した。


しかし送信ボタンを押せなかった。


「……どうしよう」


たかしはスマートフォンを机に置いた。


そして部屋の中を歩き回った。


五分。


十分。


十五分。


再びスマートフォンを見る。


メッセージがもう一つ届いていた。


『最近付き合い悪いやん。大丈夫か?』


その言葉を見た瞬間。


たかしの胸が痛くなった。


「付き合い悪い……」


その言葉が頭から離れない。


嫌われたくない。


昔からそうだった。


たかしは、


「優しい」


と言われることが嬉しかった。


誰かに頼られることが嬉しかった。


誰かに、


「たかしがおらんと困る」


と言われることが嬉しかった。


だから。


「今日は行かない」


と言うことが、


「友達を裏切ること」


のように感じてしまう。


たかしは再びスマートフォンを手に取った。


『うん、行く』


送信。


送った瞬間。


胸の奥から、ため息が出た。


「……またか」


---


夜。


いつもの居酒屋。


まさとが笑っている。


「やっぱりたかしは来てくれるな」


「うん」


「最近忙しかった?」


「いや……」


たかしは言いかけた。


仕事を探している。


今日、求人に応募した。


生活を変えようとしている。


そう言おうとした。


しかし。


「まあ、ええやん。今日は楽しもう」


まさとがビールを掲げる。


「乾杯」


「乾杯」


グラスがぶつかった。


たかしはビールを一口飲んだ。


冷たい。


喉を通っていく。


そして思った。


――明日から頑張ればいい。


---


二時間後。


たかしの顔は赤くなっていた。


まさとは楽しそうに話している。


「そういや、今度家族で旅行行くねん」


「どこ?」


「北海道」


「北海道?」


「そう。冬に行こうと思って」


「いいな」


「たかしも来る?」


たかしは笑った。


「俺も行ってええん?」


「もちろんやん」


その言葉が嬉しかった。


家族旅行。


その言葉を聞いても。


たかしは羨ましいとは言えなかった。


ただ、


「俺も誰かと行けたらな」


と思った。


結婚。


子ども。


家族。


たかしがずっと欲しかったもの。


---


店を出る。


まさとが言った。


「じゃあ、また来週な」


「うん」


「来週も頼むで」


「……うん」


たかしは笑った。


しかし。


家に帰って財布を開いた瞬間。


笑顔が消えた。


現金はほとんど残っていなかった。


そしてスマートフォンを見る。


求人サイトからメールが届いている。


「書類選考の結果について」


たかしは恐る恐る開いた。


不採用だった。


「……そっか」


たかしはスマートフォンを置いた。


今日、頑張ったこと。


求人に応募したこと。


それだけだった。


そして、その日の夜。


また飲みに行った。


たかしはベッドに横になった。


「明日から……」


そう呟く。


しかし、その「明日」は。


いつも少しずつ遠ざかっていた。


---


翌日。


昼過ぎ。


スマートフォンが鳴った。


今度は、


「ひろし」


だった。


たかしは画面を見た。


日曜日は終わった。


今日は月曜日。


ひろしの休日。


たかしは、しばらく着信を見つめていた。


そして。


電話に出た。


「もしもし」


『たかし? 今日暇やろ?』


たかしは目を閉じた。


昨日、自分に約束した。


今日は飲まない。


仕事を探す。


身体を休める。


そう決めたはずだった。


それでも。


口から出た言葉は。


「……うん」


だった。


『よっしゃ。じゃあ、いつもの店な』


「分かった」


電話が切れた。


たかしは天井を見上げた。


そして、小さく呟いた。


「明日から……」


その言葉は。


もう自分自身にも聞こえないほど、小さかった。

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