第27話 身体からの警告
日曜日の夕方。
たかしは、まさととの待ち合わせ場所へ向かっていた。
歩く速度が、以前より明らかに遅くなっている。
右足が痛い。
靴の中が擦れる。
それでも、たかしは歩いた。
途中で何度か立ち止まった。
「……痛いな」
足を見る。
靴を脱ぐことはしなかった。
見たくなかった。
もし、何か酷いことになっていたら。
そう考えると怖かった。
待ち合わせ場所に着く。
「おう、たかし!」
まさとが手を上げた。
「おう」
「どうしたん? 歩くの遅いやん」
「ちょっと足が痛くて」
「大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫」
たかしは笑った。
いつもの言葉。
大丈夫。
その言葉を言ってしまえば、それ以上聞かれなくなる。
二人で店へ入った。
「今日は俺、めっちゃ飲みたいわ」
「うん」
「最近仕事でな……」
まさとは愚痴を話し始めた。
スタッフとのトラブル。
客とのトラブル。
売上。
人間関係。
たかしは聞き続けた。
「それは大変やな」
「やろ?」
「うん」
「やっぱたかしに話すと楽やわ」
たかしは笑った。
ビールを飲む。
最初の一杯。
二杯目。
三杯目。
身体は酒を欲しがっているようだった。
しばらくすると、足の痛みが少し遠くなった。
「……酒飲むと楽やな」
たかしは呟いた。
「何?」
「いや、何でもない」
まさとは気づかなかった。
その後、食事をして、店を出た。
「次、行こうや」
「……どこ?」
「いつものところ」
たかしは分かっていた。
キャバクラ。
「……うん」
店に入る。
女性が隣に座る。
「たかしさん、こんばんは」
「こんばんは」
「今日は少し疲れてます?」
「そうかな」
「顔に出てますよ」
たかしは笑った。
「最近ちょっと仕事がなくて」
「そうなんですか?」
「うん」
「大変ですね」
「まあ……」
「でも、たかしさんって優しそうですよね」
また、その言葉。
優しい。
たかしは少しだけ嬉しくなった。
「ありがとう」
女性は笑った。
「優しい人って素敵ですよ」
たかしは何も言わなかった。
その言葉を胸の中にしまった。
店を出る。
会計。
たかしが支払った。
帰宅。
午前一時。
たかしは玄関で靴を脱いだ。
そのとき。
「……」
靴下に血がついていた。
たかしは固まった。
恐る恐る靴下を脱ぐ。
「……」
足に傷ができていた。
赤く腫れている。
思ったより酷い。
「……これ、病院行ったほうがええかな」
たかしはスマートフォンを手に取った。
病院を検索する。
翌日。
月曜日。
診察できる病院が見つかった。
予約画面を開く。
そこで。
ひろしからメッセージが届いた。
『明日よろしくな!』
たかしはカレンダーを見る。
明日は月曜日。
ひろしとの飲み会。
病院は昼。
飲み会は夜。
「……行けるやろ」
予約した。
翌日。
病院へ向かった。
受付を済ませる。
問診票を書く。
症状。
喉が渇く。
疲れやすい。
足の傷。
体重増加。
酒をよく飲む。
医師に診てもらう。
「最近、かなり喉が渇きませんか?」
「はい」
「トイレは?」
「多いです」
「体重は増えましたか?」
「かなり」
「食生活は?」
「……あまり良くないです」
「お酒は?」
「……結構飲みます」
医師は少し黙った。
「血液検査をしましょう」
「はい」
検査を受ける。
結果を待つ。
しばらくして、再び診察室へ呼ばれた。
「血糖値が高いです」
「……」
「糖尿病の可能性があります」
たかしは何も言えなかった。
「今の生活を続けていると、さらに悪化する可能性があります」
「……はい」
「お酒も控えてください」
「……はい」
「食事も見直してください」
「はい」
「足の傷も注意してください」
「……分かりました」
診察室を出る。
待合室の椅子に座る。
たかしはスマートフォンを取り出した。
病名を検索する。
糖尿病。
合併症。
神経障害。
網膜症。
腎症。
足の傷。
検索結果を見ているうちに、手が震えてきた。
「……怖い」
小さく呟いた。
でも。
その夜。
ひろしとの約束がある。
たかしは迷った。
今日は断るべきだ。
医師にも言われた。
酒を控えろ。
生活を変えろ。
でも。
ひろしに断りの連絡を入れようとすると、指が止まった。
『今日は病院で……』
そこまで入力。
削除。
『医者に酒を止められて……』
削除。
『ごめん、今日は行けない』
削除。
結局。
『今日よろしく』
送った。
自分でも分かっていた。
おかしい。
病院で病気の可能性を告げられた。
それでも飲みに行く。
でも。
たかしには、もう「行かない」という選択肢が見えなくなっていた。
夜。
ひろしと会う。
「たかし、今日どうしたん?」
「いや、病院行ってきて」
「どっか悪いん?」
「……ちょっとな」
「大丈夫?」
「大丈夫」
また言った。
「大丈夫」。
ひろしは安心したように笑った。
「なら飲もうや」
「……うん」
ビールが運ばれてくる。
たかしはグラスを見つめた。
医師の言葉が頭をよぎる。
酒を控えてください。
食事を見直してください。
生活を変えてください。
それでも。
「乾杯」
グラスを合わせた。
一口飲む。
そして。
もう一口。
ひろしが笑う。
「やっぱ酒はうまいな!」
「……うん」
たかしも笑った。
その笑顔の裏側で。
怖かった。
本当に怖かった。
でも。
病気よりも。
友人に嫌われることのほうが怖かった。
食事をしながら、ひろしが言った。
「そういや、たかし」
「ん?」
「仕事のことやけどな」
「うん」
「もっと本気出したほうがええで」
「……分かってる」
「俺らも心配してるから」
「ありがとう」
「たかしがちゃんと仕事して、彼女できて、結婚して……」
ひろしは笑った。
「子どもできたら、俺らも嬉しいからな」
「……うん」
たかしの目が少し潤んだ。
「俺も、そうなりたい」
「なれるって」
「ほんま?」
「ほんまや」
その言葉に救われた。
だから。
また支払った。
居酒屋。
キャバクラ。
そして。
帰宅。
午前二時。
たかしはベッドに倒れ込んだ。
スマートフォンを見る。
ながとからメッセージ。
『水曜よろしく』
たかしは画面を見た。
明日は火曜日。
なおと。
明後日は水曜日。
ながと。
その次は木曜日。
りょうた。
たかしは目を閉じた。
「……もう無理や」
初めて。
声に出した。
「もう……無理や」
それでも。
返信欄を開く。
『うん』
送信。
そして眠った。
翌朝。
足の傷は、昨日より赤く腫れていた。
それでもたかしは、病院へ行かなかった。
今日はなおととの約束がある。
その夜。
また酒を飲む。
そして、その翌日。
ながとと飲む。
さらに翌日。
りょうたと飲む。
五人にとっては。
それぞれ「週に一度」。
たかしにとっては。
医師から生活改善を告げられた直後の、三日連続の飲酒だった。
そして。
たかしの身体は。
本人の意思とは関係なく。
少しずつ限界へ近づいていた。




