第26話 負けるための金
月曜日の昼。
たかしは、ひろしとの待ち合わせ場所へ向かっていた。
足が痛い。
それでも歩いた。
財布の中身を確認する。
少ない。
昨日、まさととの飲み会でかなり使った。
カードの利用残高も増えている。
「今日は……あんまり使わんようにしよう」
たかしは自分に言い聞かせた。
パチンコだけなら、まだいい。
少し遊んで帰る。
今日は飲まない。
そう決めていた。
待ち合わせ場所には、ひろしが高級車で来ていた。
「おう、たかし!」
「おう」
「乗れよ」
「ええの?」
「当たり前やん」
助手席に乗る。
車内は静かで、きれいだった。
たかしが今まで乗ったことのないような高級車だった。
「ええ車やな」
「仕事柄な」
ひろしは笑った。
「たかしも仕事決まったら、こういうの乗れるって」
「……そうやな」
たかしは窓の外を見た。
自分も、昔はもっと普通に働いていた。
正社員だった。
給料も今よりあった。
友人たちに奢ることも苦ではなかった。
あの頃に戻れたら。
そんなことを考えているうちに、店に着いた。
「今日は勝とうぜ!」
ひろしが笑った。
「俺、パチンコ嫌いやねんけど」
「知ってる」
「じゃあ何で誘うん?」
「付き合い付き合い」
「……まあ、ええけど」
二人で店に入った。
大きな音。
光。
人の声。
たかしは昔から、この空間が苦手だった。
「何打つ?」
「分からん」
「これ面白いで」
ひろしが台を選ぶ。
たかしも隣に座った。
千円札を入れる。
玉が出てくる。
打つ。
当たらない。
千円。
また千円。
また千円。
「……」
たかしは画面を見つめた。
当たらない。
「たかし、もうちょい入れようや」
「いや、もういいって」
「まだ始まったばっかりやん」
「でも金ないし」
「少しくらいええやろ」
ひろしは笑った。
「たかし、昔はもっと付き合ってくれたやん」
その言葉で。
たかしは財布を出した。
千円。
また千円。
また千円。
気づけば、かなりの金を使っていた。
結局、たかしは負けた。
ひろしは勝った。
「やったわ!」
「よかったな」
「たかしは?」
「負けた」
「まあ、そんな日もあるって」
ひろしは笑った。
「飯行こうや」
「……うん」
たかしは断れなかった。
夕方。
居酒屋に入る。
「今日は俺、ちょっと飲みたい気分なんよ」
「うん」
「たかしも飲むやろ?」
「……飲む」
ビールが来る。
乾杯。
ひろしは仕事の話をする。
客の話。
売上の話。
車の話。
家族の話。
たかしは聞く。
「そういや、たかし」
「ん?」
「仕事どう?」
「まだ」
「そろそろ本気で探さなあかんで」
「分かってる」
「俺らも心配してるんやから」
「……うん」
「でもまあ、たかしは優しいからな」
「……」
「そこは昔から変わらん」
たかしは笑った。
「ありがとう」
「それに、彼女も俺が紹介するって」
「ほんま?」
「ほんまやって」
たかしの表情が明るくなる。
「いつ?」
「まあ、そのうちな」
「うん」
また「そのうち」。
でも、たかしには十分だった。
未来を信じる理由が欲しかった。
そして会計。
たかしが財布を出す。
「今日は俺が……」
「悪いな」
ひろしは当然のように笑った。
カードを出す。
決済。
また借金。
その後、キャバクラへ行った。
たかしは何度も断ろうとした。
しかし。
「今日は付き合いなんやから」
そう言われてしまうと、断れなかった。
店内。
女性が隣に座る。
「こんばんは」
「こんばんは……」
「今日は誰と来たんですか?」
「友達と」
「仲良しなんですね」
「……うん」
たかしは笑った。
「友達って大事ですよね」
「そうやな」
女性は笑った。
「たかしさん、優しそう」
その言葉に。
たかしの胸が締め付けられた。
優しい。
また、その言葉。
自分には、それしかない。
でも。
それしかないからこそ。
その言葉が嬉しかった。
深夜。
会計。
たかしが払った。
店を出る。
「今日はありがとうな!」
ひろしは満足そうだった。
「うん」
帰宅したのは午前二時。
玄関を開ける。
部屋は暗い。
たかしは電気をつけた。
財布を開く。
何もない。
銀行口座を見る。
残高がさらに減っている。
カードの利用額も増えている。
「……」
たかしは床に座った。
昼間に負けたパチンコ。
夜の居酒屋。
キャバクラ。
全部合わせれば、かなりの金額だった。
「……何してんねん、俺」
たかしは頭を抱えた。
そのとき。
スマートフォンが鳴った。
なおとからだった。
『たかし、明日空いてる?』
たかしは画面を見つめた。
明日は火曜日。
なおとの休日。
「……」
断ればいい。
今日は本当に金がない。
もう無理だ。
そう思った。
しかし。
『仕事のことで相談したいんよ』
そのメッセージを見て。
たかしは返信した。
『分かった』
送信。
たかしはスマートフォンを伏せた。
そして、机の上に置いてある借入アプリを見る。
残りの借入可能額。
まだある。
「……」
たかしはしばらく画面を見ていた。
やがて。
指を動かした。
借入。
また借りた。
画面に表示される金額。
たかしは、それを見て安心した。
「これで明日は大丈夫」
その瞬間。
たかしは気づいた。
お金が増えたから安心したのではない。
借りられる場所が残っていることに安心している。
それが怖かった。
翌日。
なおととの飲み会。
さらに翌日。
ながと。
その翌日。
りょうた。
たかしはまた奢った。
また借りた。
また飲んだ。
そして金曜日。
ようやく誰からも誘われない日になった。
たかしは朝から布団に入った。
身体が限界だった。
眠った。
昼になっても起きられない。
夕方になっても。
夜になっても。
ほとんど何も食べなかった。
土曜日。
ようやく目を覚ます。
身体が重い。
鏡を見る。
「……太ったな」
以前着ていた服がきつい。
ベルトの穴が一つ増えた。
体重計に乗る。
数字を見る。
たかしは黙った。
この一年で、かなり体重が増えていた。
酒。
夜食。
運動不足。
ストレス。
全部思い当たる。
それでも。
「……仕事決まったら痩せればいい」
また先延ばしにした。
そして、その日の夕方。
たかしは求人サイトを開いた。
応募する。
一件。
二件。
そして、資格の求人条件を見る。
資格が必要な仕事ばかりだった。
「資格……」
会社にいた頃も言われていた。
資格を取れ。
資格がないと評価できない。
資格がないから将来がない。
何度も言われた。
たかしは参考書を買おうと思った。
でも。
その金すら惜しかった。
飲み代には何万円も使うのに。
参考書を買う数千円には躊躇する。
自分でも、おかしいと思った。
夜。
スマートフォンを見る。
友人たちのSNS。
家族旅行。
子どもの誕生日。
高級車。
新しい時計。
高級レストラン。
たかしは画面を閉じた。
「俺も……」
自分にも家族が欲しい。
子どもが欲しい。
誰かに「お父さん」と呼ばれたい。
そんな夢だけは。
まだ捨てられなかった。
そして日曜日。
また、まさとから連絡が来た。
『たかし、今日どうする?』
たかしは画面を見た。
断りたい。
でも。
断ったら。
来週から誘われなくなるかもしれない。
たかしは震える指で返信した。
『行く』
送信。
そして、また一週間が始まった。
たかしはまだ知らない。
自分の身体の中でも。
静かに、別の問題が進行していることを。
喉の渇き。
異常な疲労感。
足の傷。
体重増加。
そして――。
止まらない酒。
それらが一つにつながっていることを。
たかしがそれに気づくのは。
もう少し先のことだった。




