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『僕が日常で壊れていくまで』  作者: こうた


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22/80

第22話 週に一度だから

 翌朝。


 たかしは目を覚ますと、最初にスマートフォンを確認した。


 銀行口座。


 そして、昨日借りた金。


「……ある」


 画面に表示された数字を見て、たかしは安心した。


 昨日まで、ほとんど何もなかった。


 それが今は、少しだけ余裕がある。


 もちろん、自分の金ではない。


 借りた金だ。


 返さなければならない。


 分かっている。


 それでも――。


「これで、しばらく大丈夫や」


 たかしはそう思った。


 午前中。


 求人サイトを開いた。


 応募する。


 履歴書を書く。


 昨日より少しだけ気持ちが落ち着いていた。


「仕事が決まれば全部返せる」


 そう考えると、未来が明るく見えた。


 昼過ぎ。


 りょうたから電話が来た。


「もしもし」


『たかし、今日空いてる?』


「うん」


『じゃあ飲もうや』


 たかしは一瞬だけ迷った。


 昨日、借金をした。


 今日は飲み会。


 普通なら断るべきだ。


 しかし。


『俺も最近仕事で色々あってさ』


 りょうたの声が聞こえた。


『ちょっと話聞いてほしいんよ』


 たかしは目を閉じた。


 りょうたは昔からの友達だ。


 弁護士になるために勉強していた頃。


 苦しそうにしていたりょうたを見て、たかしが飲みに誘った。


 あの日が始まりだった。


 あのときは、自分のほうが金を持っていた。


 高校を卒業して働いていたたかし。


 まだ大学生だった五人。


 たかしが奢ることに、何の疑問もなかった。


「……分かった」


『ありがとう。たかしは優しいな』


 電話が切れた。


 その言葉を聞いた瞬間。


 たかしの胸が少しだけ温かくなった。


 夕方。


 りょうたと合流した。


「たかし、悪いな」


「いいよ」


「最近ちょっと仕事が大変でな」


「弁護士も大変やな」


「まあな」


 りょうたは酒を飲みながら話し始めた。


 仕事の話。


 顧客の話。


 裁判の話。


 たかしには詳しいことは分からない。


 それでも、黙って聞いた。


「お前は昔から聞き上手やな」


「そうかな」


「そうやで」


 たかしは笑った。


 料理が運ばれてくる。


 酒が進む。


 しばらくすると、りょうたが言った。


「そういや、仕事どうするん?」


「探してる」


「資格は?」


「……まだ」


「やっぱり資格取ったほうがええぞ」


「分かってる」


「俺らも学生の頃から勉強してきたからな」


「うん」


「努力したら人生変わるって」


「……そうやな」


 たかしは頷いた。


 その言葉を聞きながら、胸の奥が痛んだ。


 努力してこなかった。


 そう言われているような気がした。


 でも、反論できない。


「俺ももっと頑張らなあかんな」


「そうそう」


 りょうたは笑った。


 悪意はない。


 本当に励ましているつもりだった。


 そして最後に。


「まあ、今日は忘れて飲もうや」


「うん」


 二人でグラスを合わせた。


 会計の時間。


 たかしは伝票を見た。


 金額は、今の自分には重い。


 それでも財布を出した。


「俺が払うわ」


「ええの?」


「うん」


「ありがとう」


 りょうたは笑った。


「今度は俺が奢るからな」


「うん」


 その言葉を信じた。


 店を出る。


「次、どうする?」


「……」


「キャバクラ行く?」


 たかしは少し迷った。


 けれど、断らなかった。


「……行こうか」


 二軒目。


 そして、また支払い。


 帰宅したのは深夜だった。


 たかしはベッドに倒れ込んだ。


 眠る前にスマートフォンを見る。


 借入残高。


 昨日より増えている。


「……」


 目を閉じる。


 考えないことにした。


 翌日。


 たかしのスマートフォンには、五人それぞれから連絡が来ていた。


 まさと。


『今度の日曜どうする?』


 ひろし。


『来週飲もうや』


 なおと。


『また飯行こう』


 ながと。


『最近会ってないな』


 りょうた。


『昨日ありがとう。また頼むわ』


 たかしは一つずつ返信した。


『うん』


『行く』


『ありがとう』


『また飲もう』


『こちらこそ』


 その日の午後。


 たかしはふと気づいた。


「……俺、昨日りょうたと飲んだよな」


 それなのに。


 今度の日曜日には、まさと。


 月曜日には、ひろし。


 火曜日には、なおと。


 水曜日には、ながと。


 木曜日には、りょうた。


 また一週間が埋まる。


 たかしはカレンダーを開いた。


 予定が並んでいる。


 日曜日 まさと。


 月曜日 ひろし。


 火曜日 なおと。


 水曜日 ながと。


 木曜日 りょうた。


 金曜日、土曜日は空白。


 その二日間は、疲れて寝る。


「……」


 たかしは画面を見つめた。


 自分の人生の予定が、友達との飲み会で埋まっている。


 でも。


 誰も悪くない。


 みんな週一回だけだ。


 たかしが自分で参加している。


 だから――。


「俺が悪いんや」


 そう思った。


 その週の日曜日。


 まさととの飲み会。


「たかし、最近どう?」


「まあまあ」


「仕事見つかった?」


「まだ」


「焦らんでええって」


「うん」


「俺らも応援してるから」


「ありがとう」


 まさとが笑う。


「今日は俺、ちょっと仕事で嫌なことあってさ」


「そうなん?」


「聞いてくれよ」


「うん」


 たかしは聞いた。


 まさとの愚痴を。


 二時間。


 三時間。


 酒を飲みながら。


 たかしは相槌を打った。


「それは大変やな」


「分かってくれるの、たかしくらいやわ」


 その言葉を聞いた瞬間。


 たかしは嬉しくなった。


「俺でよければ、いつでも聞くよ」


「ありがとう」


 まさとは笑った。


 その言葉だけで。


 たかしは、また飲み代を払った。


 翌日。


 ひろし。


 その翌日。


 なおと。


 さらに。


 ながと。


 りょうた。


 五人との飲み会が終わるたびに。


 たかしの借金は少しずつ増えていった。


 ある夜。


 たかしは自宅の床に座っていた。


 財布。


 カード。


 借入の明細。


 机の上に全部並べた。


 計算機を使う。


「……」


 何度計算しても同じだった。


 収入。


 ゼロ。


 支出。


 家賃。


 食費。


 光熱費。


 医療費。


 飲み代。


 借金返済。


 そして新しい借入。


 数字が合わない。


「……これ、どうやって返すんや」


 初めて。


 たかしは本気で怖くなった。


 そのとき、スマートフォンが鳴った。


 まさとだった。


『たかし、今度の日曜空いてる?』


 たかしは答えなかった。


『たかし?』


「……うん」


『飲みに行こうや』


 たかしは目を閉じた。


「……分かった」


『よっしゃ!』


 電話が切れる。


 たかしはスマートフォンを床に置いた。


 そして、両手で顔を覆った。


「……なんで断れへんのや」


 涙が一滴落ちた。


 自分でも分からなかった。


 嫌なのに。


 金がないのに。


 身体もしんどいのに。


 将来が怖いのに。


 それでも。


 誘われると「うん」と言ってしまう。


 昔からそうだった。


 困っている人を見ると助ける。


 嫌なことを頼まれても断れない。


 誰かを傷つけるくらいなら、自分が我慢する。


 それが、たかしの「優しさ」だった。


 そして今。


 その優しさが。


 たかし自身を一番傷つけていた。


 翌朝。


 たかしは鏡を見た。


 顔はむくんでいた。


 腹は以前より大きくなっている。


 足を引きずっている。


 髪も乱れている。


 39歳。


 仕事なし。


 資格なし。


 恋人なし。


 借金だけがある。


 それでも。


 たかしは鏡に向かって笑った。


「……大丈夫」


 誰かに言われたわけでもない。


 自分に言い聞かせているだけだった。


「まだ、やり直せる」


 その言葉を信じるしかなかった。


 そして、その日の夕方。


 また一件。


 友人から飲みの誘いが届いた。


 たかしは画面を見た。


 指が震えた。


 それでも。


 返信欄に文字を打った。


『行く』


 送信。


 たかしはスマートフォンを伏せた。


 その瞬間。


 自分の中で何かが、ほんの少しだけ壊れた気がした。

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