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『僕が日常で壊れていくまで』  作者: こうた


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第21話 借りればいい

 たかしは、朝から求人サイトを眺めていた。


 スマートフォンの画面には、何十件もの求人が並んでいる。


「未経験歓迎」


「資格不要」


「正社員登用あり」


「月給二十五万円以上」


 どれも魅力的に見えた。


 これに応募すればいい。


 仕事が決まればいい。


 給料が入れば、借金を返せる。


 生活も立て直せる。


 酒もやめられる。


 そう思った。


 だが、応募ボタンを押そうとすると、指が止まった。


 年齢。


 三十九歳。


 資格なし。


 正社員経験はあるものの、最後は遅刻と欠勤が続いて契約社員に格下げされた。


 そして今は無職。


「……採ってくれるかな」


 たかしは呟いた。


 それでも、一件応募した。


 続けて二件。


 三件。


 午前中だけで、五社に応募した。


「これだけやったんやから……」


 自分に言い聞かせる。


 午後になった。


 スマートフォンを見る。


 まだ返信はない。


 たかしは冷蔵庫を開けた。


 ほとんど何も入っていない。


 卵が二つ。


 水。


 調味料。


 それだけだった。


「買い物行かな……」


 財布を見る。


 紙幣は一枚。


 数千円しかない。


 銀行口座も確認する。


 残高は少ない。


 家賃。


 光熱費。


 カードの支払い。


 借金の返済。


 考えれば考えるほど、頭が痛くなった。


 そのとき。


 スマートフォンが鳴った。


 なおとからだった。


「もしもし」


『たかし、今日空いてる?』


「……うん」


『飲みに行こうや』


 たかしは黙った。


 今日は行けない。


 本当は行きたくない。


 金もない。


 今は仕事を探さなければならない。


 そう思った。


「今日は……」


『なんや、予定あるん?』


「いや……」


『じゃあええやん』


「……」


『俺、最近仕事が忙しくてさ。今日くらいパーッと飲みたいんよ』


 なおとの声は明るかった。


 悪意はない。


 本当にストレスが溜まっているのだろう。


 たかしは目を閉じた。


「……分かった」


『よっしゃ!』


 電話が切れた。


 たかしは求人サイトを閉じた。


「……明日やればいいか」


 自分でも分かっていた。


 今日一日くらいなら問題ない。


 そう思った。


 夕方。


 なおとと合流した。


「たかし!」


「おう」


「元気ないな」


「そんなことないって」


「仕事決まった?」


「まだ」


「まあ焦るなって」


 なおとは笑った。


「俺も若い頃は苦労したで」


 たかしは苦笑した。


 なおとは現在、不動産会社のエリート営業マン。


 年収は二千万円を超えている。


 結婚している。


 子どももいる。


 家もある。


 たかしとは、まるで違う人生を歩んでいる。


「俺も、昔はたかしと同じようなもんやったからな」


 なおとは言った。


 たかしは、その言葉を信じた。


「そうやな」


「だから努力したら何とかなるって」


「うん」


「資格も取ったほうがええぞ」


「分かってる」


「あと、酒もほどほどにな」


「……うん」


 言われていることは正しい。


 たかしは何も言えなかった。


 ビールが運ばれてくる。


「乾杯!」


「乾杯」


 酒を飲む。


 話をする。


 笑う。


 しばらくすると、たかしの緊張も解けていった。


「そういや、たかし」


「ん?」


「彼女まだおらんの?」


「……おらん」


「俺の知り合いにも、たかしみたいな真面目な男が好きな子おるんやけどな」


「え?」


 たかしの顔が上がった。


「ほんま?」


「まあ、そのうち紹介するわ」


「……ありがとう」


 まただった。


 その言葉を聞くだけで、胸の奥が温かくなる。


 たかしには、まだ未来がある。


 そう思えた。


「結婚したいんやろ?」


「うん」


「子どもも欲しい?」


「欲しい」


「なら大丈夫やって」


「……そうかな」


「たかし、優しいからな」


 たかしは笑った。


 その言葉だけは、昔から好きだった。


「ありがとう」


 時間が過ぎた。


 酒が増える。


 たかしは酔っていた。


「次どうする?」


 なおとが言った。


「……帰ろうかな」


「まだ早いやろ」


「でも……」


「キャバクラ行こうや」


 たかしは黙った。


 財布を思い出した。


 金がない。


「今日は……」


「たかし」


 なおとが笑った。


「俺ら週一回しか飲んでないやん」


「……」


「今日くらい付き合ってくれよ」


 たかしは俯いた。


 その言葉を言われると、断れなかった。


「……分かった」


 キャバクラへ向かった。


 店内は明るかった。


 女性が隣に座る。


「こんばんは」


「こんばんは……」


「たかしさん、今日は元気ないですね」


「そうかな」


「何かあったんですか?」


「仕事、なくなって……」


「あら……大変ですね」


 女性は優しく笑った。


 たかしは少しだけ安心した。


 誰かに優しくされることが、最近は少なかった。


「でも、きっと大丈夫ですよ」


「……ありがとう」


 その言葉に、たかしは救われたような気がした。


 だが、店を出るとき。


 会計を見て、たかしは固まった。


「……」


 なおとが伝票を見る。


「たかし、頼むわ」


「……うん」


 カードを出した。


 支払った。


 店を出た。


「ありがとな!」


 なおとは笑っていた。


 たかしも笑った。


「ええよ」


 そう言った。


 帰宅したのは午前一時。


 玄関を開ける。


 部屋は真っ暗だった。


 電気をつける。


 静かだった。


 たかしは財布を取り出した。


 中には、ほとんど何も残っていない。


 スマートフォンを見る。


 カードの利用通知が届いている。


「……」


 たかしは椅子に座った。


 しばらく動けなかった。


 そして、銀行口座を見る。


 残高。


 さらに減っている。


「……仕事決まったら返せばいい」


 小さく呟いた。


「仕事決まったら……」


 何度も繰り返した。


 翌朝。


 メールが一件届いた。


 昨日応募した会社からだった。


 たかしは期待しながら開いた。


 ――選考結果。


 不採用。


「……」


 二件目。


 不採用。


 三件目。


 不採用。


 四件目。


 不採用。


 五件目。


 不採用。


 たかしはスマートフォンを机に置いた。


「……なんでや」


 誰に言うでもなく呟いた。


 その日の午後。


 求人サイトを開く気になれなかった。


 参考書も開かなかった。


 ただ、テレビをつけて横になった。


 夕方。


 スマートフォンが鳴った。


 りょうただった。


『たかし、明日空いてる?』


 たかしは画面を見つめた。


 明日も飲み会。


 もう金がない。


 それでも。


「……うん」


 答えてしまった。


『じゃあ決まりな』


「うん」


 電話が切れた。


 たかしは天井を見上げた。


「……金、どうしよう」


 しばらく考えた。


 そして。


 スマートフォンで検索した。


 ――即日融資。


 ――カードローン。


 ――お金を借りる。


 画面には、たくさんの広告が並んでいた。


 たかしは一つを開いた。


 必要事項を入力する。


 審査。


 しばらく待つ。


 そして。


 画面に表示された。


 ――利用可能額。


 たかしは、その数字を見つめた。


「……借りられる」


 胸の奥から、安心感が湧いてきた。


 これで大丈夫。


 今だけ借りればいい。


 仕事が決まったら返せばいい。


 そうすれば何も問題ない。


 たかしは借入を実行した。


 画面に表示される残高。


 その数字を見ながら、たかしは小さく笑った。


「……これで明日も行ける」


 その瞬間。


 たかしの人生に、新しい借金が加わった。


 そしてたかしはまだ知らない。


 一度「借りればいい」と思ってしまった人間が。


 どれほど簡単に、借金を重ねていくのかを。

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