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『僕が日常で壊れていくまで』  作者: こうた


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第2話 成功した五人

 たかしの周りには、いつの間にか「成功した人間」が五人もいた。


 高校時代には、そんな違いはなかった。


 六人とも同じ制服を着て、同じ教室で授業を受け、昼休みになれば一緒に弁当を食べた。


 放課後には誰かの家に集まり、くだらない話をして笑った。


 将来の話をするときだって、誰が偉くなるとか、誰が金持ちになるとか、そんなことを考えている人間はいなかった。


「俺ら、将来どうなってんのかな」


 高校三年のある日、まさとが言った。


「俺、美容師になりたい」


「俺は車関係」


 ひろしが答えた。


「不動産とか、ええな」


 なおとが笑った。


「俺は銀行かな」


 ながとが言った。


「俺は……弁護士」


 最後にりょうたが言った。


「すげえな」


 たかしは笑った。


「じゃあ俺は普通に働くわ」


「たかしは何すんの?」


「分からん。まあ、なんか仕事してるやろ」


 それだけだった。


 当時のたかしにとって、それは何も問題ではなかった。


 大学に行く五人。


 就職する自分。


 進む道が違うだけ。


 そう思っていた。


 むしろ、少し誇らしくすらあった。


 友達が大学へ行き、専門的な仕事を目指している。


 自分は先に社会に出る。


 それだけの違いだと思っていた。


 だから、高校を卒業してからも、六人の関係は変わらなかった。


 最初の頃は、たかしのほうが金を持っていた。


 働いているから当然だった。


 給料が入ると、たかしは五人に連絡した。


「今日、飲みに行かへん?」


「ええやん」


「たかし、奢ってくれよ」


「ええよ」


 それが始まりだった。


 最初は、本当に小さな金額だった。


 居酒屋で数千円。


 ラーメンを食べて、コンビニで酒を買って。


 誰かの家で朝まで話をする。


 そんな程度だった。


 大学生だった五人には、まだ自由に使える金が少なかった。


 だから、たかしが払うと、みんな喜んだ。


「ありがとうな、たかし」


「就職したら俺が奢るわ」


「俺が金持ちになったら、絶対返すから」


 たかしも笑った。


「別にええって」


 それが嬉しかった。


 友達の役に立てることが嬉しかった。


 誰かに必要とされることが嬉しかった。


 そして、いつしかたかしの中に、ひとつの感覚ができていった。


 ――俺は、こいつらの役に立てる。


 それは仕事で評価されることよりも、たかしにとって大きな意味を持つようになった。


     *


 最初に変わったのは、りょうただった。


 大学を卒業して司法試験を目指すようになった頃、りょうたは何度も落ち込んだ。


「俺、向いてないんかな」


 ある夜、りょうたがそう言った。


「そんなことないやろ」


 たかしは即答した。


「絶対受かるって」


「もう何年やってると思ってんねん」


「何年かかってもええやん」


「でも……」


「俺なんか資格一個も持ってないで」


 たかしは笑った。


「りょうたは弁護士目指してるんやろ? それだけですごいやん」


 りょうたは黙った。


 そして、少しだけ笑った。


「たかしって、ほんま優しいな」


 その言葉が、たかしは嬉しかった。


 だから、その日の飲み代も払った。


「今日は俺が出すわ」


「悪いな」


「ええって」


 それから何年かして、りょうたは弁護士になった。


 たかしは自分のことのように喜んだ。


「すごいやん、りょうた!」


「ありがとう」


「やっぱり俺の言った通りやったな」


「何が?」


「絶対受かるって言ったやろ」


「そうやったな」


 二人で笑った。


 その日の飲み会も、たかしが払った。


 りょうたは財布を出そうとした。


「いや、今日は俺が払う」


「ええって」


「でも……」


「弁護士になった記念や。俺からの祝い」


「……ありがとう」


 りょうたはそう言った。


 たかしは嬉しかった。


 自分は何も成し遂げていない。


 けれど、友達の人生に少しでも関われた。


 それだけで十分だと思った。


     *


 ひろしも成功した。


 高級車を扱う会社に入り、営業成績をどんどん伸ばした。


 なおとは不動産会社に入り、若いうちから高額な物件を売るようになった。


 ながとは銀行に入り、難しい資格を次々に取得した。


 まさとは美容師として頭角を現し、独立した。


 気がつけば五人とも、周囲から「成功者」と呼ばれるようになっていた。


 年収も違った。


 二十代の頃は、少し違う程度だった。


 三十代に入ると、差が大きくなった。


 そして三十九歳になった頃には――


 五人とも、年収二千万円を超えていた。


 家を買っていた。


 車を何台も所有していた。


 子供がいた。


 休日には家族で旅行に行っていた。


 高級な店で食事をしていた。


 SNSを見れば、楽しそうな写真が並んでいた。


 それに対して、たかしは。


 年収三百万円ほど。


 資格はない。


 結婚していない。


 彼女もいない。


 子供もいない。


 そして、仕事も安定していなかった。


 遅刻。


 欠勤。


 無断ではないものの、理由の説明が曖昧な休み。


 それが何度も重なり、正社員から契約社員になっていた。


 本人も、それを気にしていた。


 だからこそ、五人と会うと安心した。


 少なくとも、昔の自分を知っている人間がいる。


 昔から変わらず、自分を友達として扱ってくれる。


 そう思っていた。


     *


「たかし、まだ独身なん?」


 ある日の飲み会で、ひろしが言った。


「うん」


「彼女は?」


「おらん」


「なんで?」


「なんでって……」


 たかしは苦笑した。


「出会いがないからかな」


「お前、家と会社の往復しかしてないやろ」


「まあな」


「そら彼女できんわ」


 みんなが笑った。


 たかしも笑った。


 でも、胸の奥が少し痛かった。


「まあ、俺らが紹介したるって」


 まさとが言った。


「そうそう」


 なおとも続けた。


「たかしに合いそうな子、探しとくわ」


「ほんま?」


 たかしの顔が明るくなった。


「ほんまほんま」


「いつ?」


「そのうちな」


「いつか絶対紹介するって」


 りょうたが言った。


「たかしはええ奴やから、彼女くらいすぐできるって」


「……ありがとう」


 たかしは嬉しかった。


 39歳。


 周囲では結婚している人間のほうが多い。


 同級生から年賀状が届けば、子供の写真が載っている。


 SNSを開けば、家族旅行の写真。


 たかしだけが、ずっと同じ場所にいるような気がしていた。


 だから、その「いつか」という言葉が、たかしには大切だった。


 いつか。


 そのうち。


 紹介してやる。


 その言葉があるだけで、まだ自分にも未来があると思えた。


     *


 ただ、五人は悪気なく言っていた。


 本当に、いつか紹介するつもりだった。


 だから、約束を破っているという感覚もなかった。


 仕事が忙しい。


 家庭がある。


 子供の学校がある。


 知り合いに独身女性はいる。


 でも、わざわざ紹介するタイミングがない。


 そんな程度だった。


 そして、たかしも強く催促しなかった。


「まだ彼女できへんの?」


 と聞かれれば、


「おらんわ」


 と笑う。


「じゃあ、今度紹介するわ」


「ほんま?」


「ほんまやって」


「楽しみにしてるわ」


 それだけ。


 その会話が何年も繰り返された。


 たかしは、その「今度」を信じ続けた。


     *


 そして、もうひとつ変わらなかったものがあった。


 飲み会だった。


 五人は成功しても、たかしとの付き合いをやめなかった。


 むしろ、飲みに誘う回数は増えていった。


「たかし、今日空いてる?」


「うん」


「飲もうや」


「ええよ」


 たかしは断らなかった。


 五人から見れば、それは単純な話だった。


 週に一回。


 友達と飲む。


 たったそれだけ。


 仕事の愚痴を言ったり、昔話をしたり、酒を飲んだりする。


 だから、誰も深刻に考えていなかった。


 ただ一つ。


 五人には、それぞれ別の休日があった。


 まさとは月曜日。


 ひろしは火曜日。


 なおとは水曜日。


 ながとは木曜日。


 りょうたは金曜日。


 だから、それぞれ前日の夜にたかしを誘った。


 日曜日。


「たかし、明日休みやから飲もうや」


 月曜日。


「たかし、今日飲める?」


 火曜日。


「たかし、今から行こうぜ」


 水曜日。


「今日ちょっと飲まへん?」


 木曜日。


「明日休みやねん。付き合ってくれよ」


 五人は、たかしが五日連続で飲んでいることを知らなかった。


 それぞれが、


 ――俺とは週一回。


 そう思っていた。


 たかし自身も、最初のうちは数えていなかった。


 日曜日に飲んだ。


 月曜日にも飲んだ。


 火曜日も。


 水曜日も。


 木曜日も。


 そして金曜日と土曜日になると、身体が動かなかった。


 昼まで寝る。


 起きても身体が重い。


 頭が痛い。


 仕事に行く。


 帰ってきたら、また寝る。


 それでも日曜日の夜になると、電話が鳴った。


「たかし、今日空いてる?」


「……うん」


「じゃあ行こうぜ」


「分かった」


 たかしは財布を持った。


     *


 ある日、たかしは帰宅してから、冷蔵庫を開けた。


 中には何もなかった。


 コンビニで買った水。


 賞味期限の近い卵。


 ビール。


 そして、少し古くなった野菜。


 たかしは冷蔵庫を閉めた。


 スマートフォンを見る。


 銀行口座の残高を確認する。


「……少ないな」


 給料日前だった。


 それでも、明日はひろしと飲む予定が入っている。


 断ればいい。


 たかし自身も、頭では分かっていた。


 でも、


「明日ちょっと金ないわ」


 と言うのが嫌だった。


 自分だけが貧しいような気がする。


 自分だけがみじめなような気がする。


 だから、たかしは財布の中身を確認した。


 一万円札。


 千円札。


 小銭。


「まあ……なんとかなるか」


 そう呟いた。


 そのとき、スマートフォンが鳴った。


 ひろしからだった。


『明日、いつもの店な』


 たかしは少し迷ってから返信した。


『分かった』


 送信した直後。


 ひろしから、もう一通来た。


『たかし、最近元気ないな。もっと頑張れよ』


 たかしは画面を見つめた。


 怒ることはなかった。


 むしろ、


 ――そうだな。


 と思った。


 自分がもっと頑張ればいい。


 資格を取ればいい。


 仕事を頑張ればいい。


 遅刻しなければいい。


 もっと収入を増やせばいい。


 そうすれば、五人みたいになれる。


 そうすれば、結婚もできる。


 家族も持てる。


 そうすれば――


 いつか、誰かを紹介してもらえる。


 たかしはスマートフォンを伏せた。


「俺も頑張らなきゃな」


 そう言って、眠った。


     *


 翌日。


 たかしは会社へ向かった。


 眠かった。


 身体が重かった。


 前日の酒が残っていた。


 それでも、仕事には行った。


 ただ、その日は十分ほど遅刻した。


「また遅刻か」


 上司に言われた。


「すみません」


「最近多いぞ」


「……はい」


 たかしは頭を下げた。


 上司が去ったあと、同僚が小さな声で言った。


「昨日も飲んでたん?」


「うん……」


「ほどほどにしときや」


「分かってる」


 たかしは笑った。


 けれど、心の中では違うことを考えていた。


 ――今日はちゃんとしよう。


 今日は早く帰ろう。


 今日は飲まない。


 そう決めていた。


 午後六時。


 仕事が終わった。


 たかしは会社を出た。


 家へ帰ろうとした。


 その瞬間。


 スマートフォンが鳴った。


 ひろしだった。


「もしもし」


『たかし? 今どこ?』


「会社出たとこ」


『今日飲もうぜ』


「……」


 たかしは黙った。


 今日は断ろう。


 そう思った。


 でも、


『なんか予定あんの?』


 その一言で、言葉が止まった。


「いや……」


『じゃあいいじゃん』


「……うん」


『いつもの店な』


「分かった」


 電話が切れた。


 たかしはしばらく、その場に立っていた。


 そして、小さく息を吐いた。


「……まあ、週一回やしな」


 その言葉は、誰に言うでもなく、たかし自身への言い訳だった。


 このときのたかしは、まだ知らなかった。


 五人全員が同じ言葉を口にすることを。


 そして、その「週一回」が五つ重なったとき、自分の一週間がほとんど消えてしまうことを。


 たかしにとっては、


 五人との友情だった。


 五人にとっては、


 それぞれ週一回の飲み会だった。


 だから誰も気づかなかった。


 たかしの人生から、少しずつ何かが削られていることに。


 時間が。


 お金が。


 体力が。


 仕事が。


 そして――


 未来が。


 それでも、たかしは笑っていた。


「友達がおるだけ、俺は幸せや」


 そう思っていた。


 その言葉を、たかしが後悔する日が来ることを。


 このときのたかしは、まだ知らなかった。

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