第16話 変わらなければならない
日曜日の夜。
まさととの飲み会から帰ったたかしは、玄関で靴を脱いだ。
靴下を脱ぐ。
足の傷を見る。
前よりも赤くなっていた。
「……」
たかしは、しばらく黙っていた。
さすがに、おかしい。
一週間。
二週間。
絆創膏を貼っているのに、ほとんど治っていない。
むしろ、痛みが増している。
それでも、たかしは病院へ行かなかった。
怖かったからだ。
病院へ行って、何か悪いことを言われるのが怖い。
そして何より――。
生活を変えろと言われるのが怖かった。
酒を控えてください。
食事を見直してください。
運動してください。
睡眠を取ってください。
そんなことを言われるのが分かっていた。
でも、たかしにはできない。
日曜日から木曜日まで、友達から誘われる。
断ればいい。
頭では分かっていた。
けれど、断ると胸が苦しくなる。
友達を裏切るような気がする。
その日の夜。
たかしはスマートフォンを握りしめた。
連絡先を開く。
まさと。
ひろし。
なおと。
ながと。
りょうた。
高校時代から知っている名前。
自分の人生の大半を一緒に過ごしてきた人たち。
その五人を切るなんて、考えられなかった。
「……俺には、こいつらしかおらんしな」
そう呟いて、眠った。
翌朝。
目覚ましが鳴った。
身体が重い。
足が痛い。
それでも会社へ向かった。
昼休み。
上司から呼ばれた。
「たかしさん」
「はい」
「病院には行っていますか?」
「……まだです」
「一度、ちゃんと診てもらったほうがいいですよ」
「はい……」
「それと、勤務状況についてですが」
たかしは黙った。
「先週も遅刻がありましたよね」
「すみません」
「今後も同じ状態が続くなら、契約更新については厳しくなります」
「……分かりました」
「仕事を続けたいなら、生活を立て直してください」
その言葉が胸に刺さった。
生活を立て直す。
たかし自身も、それが必要だと思っていた。
仕事。
お金。
身体。
全部、少しずつおかしくなっている。
会社を出たあと、たかしは病院へ向かった。
受付で症状を伝える。
診察室で医師に足を見せた。
「いつからですか?」
「二週間くらい前です」
「痛みは?」
「あります」
「糖尿病の治療はされていますか?」
「……前に血糖値が高いと言われたことがあります」
「最近、生活はどうですか?」
たかしは黙った。
医師はカルテを見た。
「体重も増えていますね」
「はい……」
「食事やお酒は?」
「……酒は、結構飲みます」
「どれくらいですか?」
「週に……五日くらい」
医師の手が止まった。
「五日?」
「はい。友達と飲むだけなので」
「友達と?」
「五人いて……それぞれと週に一回ずつ」
医師は少し考えてから言った。
「結果的には、ほぼ毎日ということですね」
「……」
たかしは何も言えなかった。
「足の傷もあります。血糖値が高い状態が続いているなら、傷が治りにくくなることがあります」
「……はい」
「生活を変えないといけません」
やっぱりだった。
たかしは俯いた。
「酒も減らしてください。食事も見直してください。睡眠も必要です」
「……はい」
「それと、傷を放置しないことです。悪化したらすぐ来てください」
「分かりました」
病院を出た。
薬の袋を持って歩く。
外は晴れていた。
普通の日だった。
街を歩く人たちは、みんな普通に生活している。
仕事へ向かう人。
買い物をする人。
子どもを連れて歩く親。
恋人同士。
たかしはその光景を見ながら思った。
自分も、あんな生活がしたい。
仕事をして。
家に帰って。
好きな人と一緒に暮らして。
子どもがいて。
休日には家族で出掛ける。
そんな普通の生活。
まだ間に合う。
そう思った。
だから、その日の夜。
たかしは冷蔵庫を開けた。
ビールを取り出そうとして――止まった。
「……やめとこ」
ビールを戻した。
そして、簡単な食事を作った。
久しぶりに、酒を飲まない夜だった。
布団に入る。
少しだけ身体が軽い気がした。
「……これなら、変われるかもしれん」
そう思った。
翌日。
月曜日。
仕事へ向かった。
昼休み、ひろしから電話があった。
『たかし、今日どう?』
「今日?」
『月曜やん』
たかしは黙った。
「……今日はやめとこうかな」
『え?』
「病院行ってな。ちょっと身体が悪いみたいで」
『マジ?』
「うん」
『大丈夫なん?』
「たぶん大丈夫」
『ならよかったわ』
ひろしは少し黙った。
そして、
『じゃあ今日は無理せんとく?』
「うん」
『また今度な』
「……うん」
電話が切れた。
たかしは少し驚いた。
断れた。
しかも、ひろしは怒らなかった。
「……なんや」
たかしは笑った。
断っても、友達は離れていかない。
それが分かった。
なら、少しずつ変えられるかもしれない。
その日の夜。
たかしは早く寝た。
火曜日。
なおとから電話。
『今日どうする?』
「今日はやめとく」
『おう。身体大事にな』
「ありがとう」
電話は、それだけだった。
水曜日。
ながと。
『今日どうする?』
「ごめん。今週は休むわ」
『了解。また来週な』
木曜日。
りょうた。
『たかし、飲もうや』
「今週はやめとく」
『珍しいな』
「ちょっと身体を治そうと思って」
『そっか。無理すんなよ』
「ありがとう」
電話を切った。
五日間。
たかしは飲まなかった。
久しぶりだった。
仕事にも遅刻しなかった。
少しずつ身体が軽くなってきた。
足の傷も、ほんの少しだけ良くなった気がした。
たかしは思った。
――できるじゃないか。
自分は変われる。
まだ間に合う。
そう思った。
そして金曜日。
仕事帰り。
上司に呼ばれた。
「たかしさん」
「はい」
「今週は遅刻ありませんでしたね」
「はい」
「この調子でお願いします」
「分かりました」
たかしは嬉しかった。
まだ仕事もある。
身体も治せる。
酒も減らせる。
資格の勉強もできる。
女の子だって、そのうち紹介してもらえる。
全部、やり直せる。
そう思った。
しかし。
その夜。
スマートフォンにメッセージが届いた。
りょうたからだった。
『今度の日曜、みんなで集まらへん?』
たかしは画面を見つめた。
みんな。
その言葉に胸が動いた。
五人全員。
高校時代からの仲間。
久しぶりに全員で飲める。
断る理由はあった。
医師からも酒を控えるように言われた。
仕事も立て直さなければならない。
足も治さなければならない。
けれど――。
『久しぶりに全員で飲もうや』
その一文を見た瞬間。
たかしは、断れなくなった。
しばらく画面を見つめたあと。
返信した。
『うん。行く』
送信。
たかしはスマートフォンを置いた。
そして、小さく笑った。
「……一回くらいなら」
その言葉が。
再び、すべてを元に戻すことになるとは。
このときのたかしは、まだ知らなかった。




