第12話 友情の値段
金曜日の朝。
たかしは目を覚ました。
時計を見る。
午前十時。
仕事は休みだった。
本来なら、ゆっくり眠れることが嬉しいはずだった。
しかし。
身体が重い。
頭もぼんやりする。
喉が渇いている。
ベッドから起き上がるまでに、しばらく時間がかかった。
「……疲れた」
誰に言うでもなく呟く。
金曜日と土曜日。
この二日間だけが、たかし自身の時間だった。
けれど。
実際には違った。
金曜日は、五日間の疲れを取るために眠る。
土曜日も、ほとんど寝ている。
そして日曜日になると、また飲み会が始まる。
自分のための時間など、ほとんどなかった。
*
たかしは財布を開いた。
中には数千円。
銀行口座を確認する。
残高は少ない。
クレジットカードの請求額を見る。
目を疑った。
「……こんなに使ったんか」
飲み代。
キャバクラ。
パチンコ。
交通費。
細かい買い物。
それらが積み重なっている。
たかしはスマートフォンを置いた。
そして、机の上に置いてあった借金の返済予定表を見る。
借金総額は二千万円を超えている。
それを毎月少しずつ返している。
だが。
減っている感覚がない。
むしろ、増えているように感じる。
「……いつ終わるんやろ」
答えは出ない。
*
たかしは電卓を取り出した。
今月の給料。
家賃。
光熱費。
食費。
返済。
そして飲み代。
数字を一つずつ入力していく。
最後に残った金額を見る。
「……無理やろ、これ」
明らかに足りない。
来月も同じ生活をすれば、また借りなければならない。
たかしは頭を抱えた。
そこで。
ある考えが浮かんだ。
「飲み会……減らしたらええやん」
簡単なことだった。
週五回。
これを週一回にする。
それだけで、かなりのお金が浮く。
たかしは紙に書いた。
飲み会を週一回にする。
丸をつける。
そして少し笑った。
「これならできる」
そう思った。
*
その日の午後。
スマートフォンが鳴った。
ひろしだった。
『たかし、月曜な』
たかしは画面を見た。
そして。
返事をしなかった。
初めてだった。
既読をつけない。
しばらくして、もう一度メッセージが来た。
『どうした?』
たかしはスマートフォンを伏せた。
心臓が速くなる。
返信しなければ。
でも。
返信したら、飲みに行くことになる。
たかしは深呼吸した。
そして。
『月曜、ちょっと予定があって』
送った。
送信ボタンを押した瞬間。
手が震えた。
*
数分後。
『何の予定?』
返信。
たかしは固まった。
『ちょっと用事』
『飲みに行けんの?』
『うん』
しばらく返信がなかった。
たかしはスマートフォンを何度も確認した。
そして。
『分かった。また今度な』
それだけだった。
たかしは胸を撫で下ろした。
「……断れた」
小さく笑った。
たった一回。
それだけだった。
でも。
自分で選べた。
その感覚が嬉しかった。
*
ところが。
その日の夜。
りょうたから電話が来た。
「もしもし」
『たかし?』
「うん」
『今週、木曜いける?』
たかしは黙った。
「……木曜?」
『そう』
「うん……」
『大丈夫?』
「……大丈夫」
『じゃあ決まりな』
「うん」
電話を切る。
たかしは苦笑した。
「……週一回」
そう呟いた。
自分の中では、これでいい。
木曜日だけ。
そう思った。
*
月曜日。
ひろしから連絡が来た。
『今日飲みない?』
たかしは断った。
火曜日。
なおとから。
『今日パチンコ行こうぜ』
「ごめん、今日は無理」
断った。
水曜日。
ながと。
『今日、仕事の愚痴聞いてくれよ』
「ごめん。今日は休む」
断った。
たかしは少しずつ、自分の時間を取り戻していた。
*
しかし。
五人は、それぞれ別々に考えていた。
ひろしは、
「たかし、最近付き合い悪いな」
と思った。
なおとは、
「何か怒ってるんかな?」
と思った。
ながとは、
「仕事が忙しいんやろ」
と思った。
りょうたは、
「木曜は来るから大丈夫やろ」
と思った。
誰も。
たかしが週五回誘われているとは知らない。
そして誰も。
自分以外の四人からも、たかしが誘われていることを知らなかった。
*
木曜日。
りょうたとの飲み会。
「最近どう?」
「まあまあ」
「仕事は?」
「普通」
「体調は?」
「……ちょっと悪い」
「ちゃんと休めよ」
「うん」
たかしは酒を飲んだ。
そして、少しだけ思った。
――これくらいならいい。
週一回。
りょうたとの飲みだけ。
これなら身体も大丈夫。
お金も何とかなる。
そう思っていた。
*
ところが。
飲み会の途中。
りょうたが言った。
「なあ、たかし」
「ん?」
「今度、俺の嫁の友達紹介しようか?」
たかしの顔が明るくなった。
「え?」
「独身の子おるんよ」
「ほんま?」
「うん」
「どんな人?」
「まだ詳しくは知らんけど、いい子らしいで」
たかしは笑った。
「ありがとう」
「まあ、そのうちな」
「うん」
その瞬間。
たかしの心の中にあった「週一回だけ」という決意が、少し揺らいだ。
この友達との関係を壊したくない。
紹介してもらえるかもしれない。
結婚できるかもしれない。
家庭を持てるかもしれない。
そう考えると。
多少のお金くらい。
多少の体調不良くらい。
我慢できる気がした。
*
その後。
「キャバクラ行こうぜ」
と誘われた。
たかしは少し迷った。
「今日は……」
「一時間だけ」
「……」
「たかし、頼むわ」
たかしは頷いた。
「分かった」
キャバクラへ行く。
そして会計。
たかしが払った。
*
帰宅。
財布を見る。
今週、節約するつもりだった。
でも。
木曜日だけで、かなりの金額を使った。
たかしはベッドに座った。
「……まあ、週一回やし」
自分に言い聞かせる。
「これくらいなら大丈夫」
そう言った。
そして眠った。
*
翌朝。
スマートフォンを見る。
ひろしからメッセージ。
『昨日、飲んだ?』
たかしは不思議に思った。
『うん』
『誰と?』
たかしは少し考えた。
『りょうた』
『へえ』
それだけだった。
たかしは気づかなかった。
ひろしは、自分以外の友人と飲みに行っていることを初めて知った。
そして同じ頃。
りょうたは知らない。
ひろしが月曜日にたかしを誘っていることを。
なおとも知らない。
ながとも知らない。
五人は、それぞれ。
「自分とたかしが週一回飲んでいる」
と思っている。
だから。
誰も悪いことをしているつもりがない。
*
日曜日。
まさとから連絡が来た。
『今日どうする?』
たかしは画面を見た。
先週までなら、
『行く』
と即答していた。
今週は違った。
少し迷った。
そして、
『今日はやめとく』
と送った。
まさとから返信。
『珍しいな』
『ちょっと身体休めようと思って』
『そっか。無理すんなよ』
たかしは画面を見つめた。
意外だった。
怒られなかった。
責められなかった。
むしろ心配された。
たかしは少し安心した。
「……断っても大丈夫なんや」
初めてそう思った。
*
その夜。
たかしは一人で夕食を食べた。
酒は飲まなかった。
テレビを見る。
静かだった。
あまりにも静かだった。
最初は心地よかった。
でも。
時間が経つにつれて、寂しさが増していった。
午後九時。
誰からも連絡がない。
午後十時。
まだない。
午後十一時。
スマートフォンを何度も確認する。
「……誰か連絡してくれへんかな」
そんなことを思っている自分に気づく。
たかしは苦笑した。
そして、理解した。
自分は酒が欲しいのではない。
友達に必要とされている感覚が欲しいのだ。
だから。
誘われると断れない。
誘われないと不安になる。
*
月曜日の朝。
たかしは少しだけ元気だった。
久しぶりに身体が軽い。
睡眠も取れた。
会社へ行く。
遅刻しなかった。
仕事も少しだけ順調だった。
昼休み。
たかしはコンビニで弁当を買った。
そして思った。
「これを続けたら、少しは変われるかもしれない」
借金を減らせる。
体重も減らせる。
仕事も続けられる。
もしかしたら。
女の子を紹介してもらって。
結婚して。
家庭を持てるかもしれない。
小さな希望だった。
*
その日の夜。
スマートフォンが鳴った。
なおとだった。
『たかし、今日飲もうぜ』
たかしは画面を見た。
今日は月曜日。
本来なら、ひろしの日だ。
でも、ひろしからは誘われていない。
なおとは知らない。
たかしは一瞬迷った。
そして。
『今日はやめとく』
と送った。
なおとから、
『了解。また今度な』
と返ってきた。
たかしはスマートフォンを置いた。
そして笑った。
「……断れた」
また一つ。
自分の人生を取り戻せた気がした。
だが。
たかしはまだ知らなかった。
自分が「断ること」を覚え始めたことで。
五人の中に、少しずつ違う感情が生まれ始めていることを。
そして。
それが後に、たかしをさらに追い詰めることになることを。




