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『僕が日常で壊れていくまで』  作者: こうた


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11/80

第11話 必要とされるということ

 日曜日の夕方。


 たかしは目を覚ました。


 時計を見る。


 午後五時。


 金曜日と土曜日をほとんど寝て過ごした。


 それでも疲れは取れていなかった。


 身体が重い。


 喉が渇く。


 頭も少し痛い。


 ベッドから起き上がるだけで、ため息が出た。


「……しんどいな」


 独り言。


 返事はない。


 部屋は静かだった。


 たかしは冷蔵庫を開けた。


 水を取り出す。


 一気に飲む。


 そして、冷蔵庫の奥にあるビールを見つけた。


 手を伸ばしかける。


 止めた。


「今日は……やめとこう」


 そう言って冷蔵庫を閉めた。


 少しだけ、自分を褒めた。


「今日は飲まない」


 そう決めた。


 しかし。


 スマートフォンが鳴った。


 まさとだった。


『たかし、今日いつもの店な』


 たかしは画面を見つめた。


 さっき決めたばかりだった。


 今日は飲まない。


 身体を休める。


 早く寝る。


 明日から仕事を頑張る。


 そう思っていた。


 でも。


 指は勝手に動いた。


『分かった』


 送信。


 たかしはスマートフォンを置いた。


「……またや」


 自分でも呆れた。


     *


 店へ向かう途中。


 駅のホームで、たかしは一人で立っていた。


 電車を待ちながら、周囲を見る。


 家族連れ。


 恋人同士。


 友達同士。


 笑いながら歩く人たち。


 たかしは目を逸らした。


 自分には、そのどれもない。


 家族はいない。


 恋人はいない。


 友達はいる。


 でも。


 友達と会うときは、いつも酒が必要だった。


「……俺って、一人なんかな」


 そんな考えが浮かんだ。


 すぐに打ち消した。


「いや、友達おるやん」


 五人。


 自分には五人の友達がいる。


 それだけで十分だ。


 そう思うことにした。


     *


 店に着く。


「おう、たかし!」


 まさとが笑っていた。


「お疲れ」


「疲れてるやん」


「ちょっとな」


「まあ飲もうや」


「うん」


 ビールが来る。


 乾杯。


 一口。


 二口。


 たかしは思った。


 やっぱり、酒を飲むと楽になる。


 頭の中がぼんやりする。


 不安が遠くなる。


 そして、まさとが話している。


 自分を必要としている。


 その感覚が、何より心地よかった。


     *


「たかし」


「ん?」


「俺さ」


「うん」


「最近、仕事で結構しんどくてな」


「そうなん?」


「スタッフが一人辞めてさ」


「大変やな」


「もう一人雇おうと思ってるけど、なかなかいい奴おらん」


「そうなんや」


「たかし、うちで働く?」


 たかしは笑った。


「俺、資格ないし」


「別にええやん」


「美容師できへんやろ」


「雑用でもええって」


「……ありがとう」


 その言葉だけで、たかしは嬉しくなった。


 仕事を失っても。


 ここには自分を必要としてくれる人がいる。


 そう思えた。


     *


 まさとは続けた。


「でも、たかしって昔から変わらんな」


「そう?」


「優しい」


「……」


「俺が学生の頃も、いつも奢ってくれたやん」


「まあな」


「俺ら、金なかったからな」


「懐かしいな」


「お前がおってよかったわ」


 たかしは笑った。


「俺も」


 その言葉を聞いた瞬間。


 胸の奥が温かくなった。


 やっぱり。


 自分は必要とされている。


 そう思った。


     *


 だが。


 会計になった。


「たかし、今日も頼むわ」


「うん」


 カードを出す。


 決済する。


 まさとは笑って、


「ありがとう」


 と言った。


 それだけ。


 たかしは何も言わなかった。


     *


 店を出た。


 まさとが言う。


「じゃあまた来週」


「うん」


 まさとは帰った。


 たかしも駅へ向かう。


 財布を見る。


 残金は少ない。


 それでも、さっきの言葉を思い出す。


 ――お前がおってよかったわ。


 たかしは笑った。


「……まあ、いいか」


 その言葉が、支払った金額よりも大切に思えた。


     *


 月曜日。


 ひろしから連絡が来た。


『今日飲もう』


 たかしは返信した。


『分かった』


 火曜日。


 なおと。


『今日行ける?』


『うん』


 水曜日。


 ながと。


『ちょっと聞いてほしいことある』


『分かった』


 木曜日。


 りょうた。


『今日頼むわ』


『うん』


 同じ一週間。


 同じ五人。


 同じ流れ。


 たかしは気づかないうちに、誘いが来る前から予定を空けるようになっていた。


 自分の予定ではなく。


 五人の予定を基準にして、一週間を組み立てていた。


     *


 ある火曜日。


 なおとと飲んでいるとき。


「たかし」


「ん?」


「お前、最近何か欲しいもんないの?」


「欲しいもの?」


「そう」


「別にないな」


「車とか」


「買えへんよ」


「家とか」


「無理やろ」


「女とか」


「……」


 なおとは笑った。


「女紹介するって言ってるやん」


「うん」


「そのうち紹介するって」


「楽しみにしてる」


「任せとけ」


 たかしは笑った。


 それだけが、未来の希望だった。


     *


 水曜日。


 ながととの飲み会。


 仕事の話になった。


「たかし、資格取らんの?」


「会社からも言われてる」


「じゃあ取ればええやん」


「勉強する時間がなくて」


「時間なんて作るもんやぞ」


「……そうやな」


「俺だって資格取るとき死ぬほど勉強したぞ」


「すごいな」


「努力したら人生変わるって」


「うん」


 たかしは頷いた。


 でも、心の中では思っていた。


 ――勉強する時間なんて、どこにあるんだろう。


 日曜日から木曜日まで飲んで。


 金曜日と土曜日は寝て。


 残った時間で仕事をする。


 それでも遅刻する。


 そんな生活で、いつ勉強するのか。


 言葉にはできなかった。


     *


 木曜日。


 りょうたと飲んでいた。


「たかし」


「ん?」


「俺、弁護士になって本当によかったわ」


「そうやな」


「大学の頃、俺が悩んでたとき、お前が飲みに連れてってくれたやん」


「覚えてるよ」


「あれ、嬉しかった」


「そう?」


「だから今でもお前とは飲みたいんよ」


「……」


 たかしは少し笑った。


「ありがとう」


「お前は俺の大事な友達やからな」


 その言葉に、たかしは救われた。


 財布の中身。


 借金。


 身体。


 仕事。


 そんなものより。


「大事な友達」


 その言葉のほうが大切だった。


     *


 その夜。


 会計。


 たかしが払う。


 その後、キャバクラ。


 さらに支払う。


 帰宅。


 財布を見る。


 ほとんど何も残っていない。


 たかしはベッドに座った。


 スマートフォンを開く。


 銀行口座を見る。


 残高は、想像していたより少なかった。


「……来月どうしよう」


 家賃。


 光熱費。


 借金返済。


 カード。


 食費。


 そして飲み代。


 どう考えても足りない。


     *


 たかしは初めて、友達の連絡先を眺めた。


 まさと。


 ひろし。


 なおと。


 ながと。


 りょうた。


 年収は二千万円を超える。


 家庭がある。


 家がある。


 車がある。


 子供がいる。


 そして。


 自分よりはるかに裕福だ。


 たかしはスマートフォンを握った。


「……何で俺が払ってるんやろ」


 初めて。


 その疑問を口にした。


     *


 翌日。


 たかしは会社を休んだ。


 身体が動かなかった。


 電話を入れる。


「すみません……体調が悪くて」


 電話を切る。


 布団に戻る。


 昼になっても起きられない。


 午後になっても。


 夕方になっても。


 ほとんど何も食べなかった。


 夜。


 スマートフォンを見る。


 五人から連絡はなかった。


 たかしは少し安心した。


 でも同時に。


 少し寂しかった。


 そして気づいた。


 自分が求めているのは。


 お金でも。


 酒でも。


 パチンコでも。


 キャバクラでもない。


 ただ。


 誰かに、


「お前がいてくれてよかった」


 と言ってもらいたいだけなのだ。


     *


 翌朝。


 会社へ行く。


 上司から呼ばれた。


「昨日、休んだな」


「はい」


「病院は行ったか?」


「……行ってません」


「体調管理してくれ」


「すみません」


「たかし」


「はい」


「次に同じことがあれば、契約更新は厳しいぞ」


「……はい」


 席に戻る。


 たかしはパソコンを開いた。


 画面を見る。


 仕事を始める。


 でも。


 頭の中には別のことが浮かんでいた。


 ――仕事を失ったら。


 ――友達はどうなる?


 その答えが怖かった。


 もし仕事がなくなったら。


 飲み代を払えなくなる。


 そうしたら。


 五人は自分を誘わなくなるかもしれない。


 そうなれば。


 自分には何も残らない。


 たかしは、そこで初めて理解した。


 自分が友達を失うことを恐れているのではない。


 友達を失った後の、


「何もない自分」


 を見ることを恐れているのだ。


     *


 その夜。


 たかしは一人で部屋にいた。


 酒を飲もうとした。


 でも、やめた。


 病院の言葉を思い出した。


 それでも手が震えた。


 飲みたい。


 いや。


 飲みたいわけではない。


 何かを忘れたい。


 不安を消したい。


 寂しさを消したい。


 たかしはソファに座った。


 そして、独り言のように言った。


「俺は優しいんじゃない」


 少し間を置く。


「嫌われるのが怖いだけや」


 その言葉を口にした瞬間。


 たかしは涙が出そうになった。


 でも泣かなかった。


 泣けば、自分が本当に弱い人間だと認めることになる気がした。


 だから。


 いつものように笑った。


「……大丈夫」


 誰もいない部屋で。


「俺には友達がおるから」


 そう言った。


 そして翌日。


 また一人から、飲みの誘いが届いた。


 たかしは迷うことなく、


『行く』


 と返信した。


 その一言が。


 たかし自身の人生を、また少しだけ友人たちのものにした。

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