↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『僕が日常で壊れていくまで』  作者: こうた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/80

第10話 五人の中の一人

 日曜日の夜。


 たかしは、まさとの待つ居酒屋へ向かっていた。


 歩くたびに、身体が重い。


 最近、少し歩いただけでも息が上がる。


 以前履いていたズボンも、きつくなっていた。


 それでも、たかしは店へ向かった。


 断れなかった。


 いや。


 正確には、一度断ろうとした。


 それでも行くことを選んだ。


 だからこそ、たかし自身にも言い訳ができなかった。


「……俺が行くって言ったんや」


 小さく呟く。


 誰かに連れてこられたわけではない。


 自分で家を出た。


 自分で店へ向かっている。


 自分で財布を持っている。


 だから。


 全部、自分の責任なのだ。


     *


 店に入ると、まさとが手を上げた。


「おう、たかし!」


「お疲れ」


「遅かったやん」


「ごめん」


「まあ座れって」


 席につく。


 ビールが運ばれてくる。


「乾杯!」


「乾杯」


 たかしはグラスを持った。


 そして一口飲んだ。


 その瞬間。


 身体の力が抜けた。


 嫌なことを考えなくて済む。


 会社のこと。


 借金のこと。


 病院のこと。


 将来のこと。


 全部、少し遠くなる。


「……やっぱり酒って楽やな」


 思わず呟いた。


「何?」


「いや、何でもない」


     *


 まさとは楽しそうに話していた。


 新しい店の話。


 スタッフの話。


 売上の話。


 客の話。


 たかしは頷く。


「すごいな」


「まあな」


「俺には無理やわ」


「たかしもやればええやん」


「俺には資格もないし」


「資格なんて取ればええやろ」


「……」


「やる気やって」


 まただった。


 たかしはグラスを握った。


「そうやな」


 笑った。


 それ以上は言わなかった。


     *


 しばらくして。


 まさとが突然言った。


「そういや、たかし」


「ん?」


「お前、最近太った?」


「……やっぱり?」


「腹すごいやん」


「最近ちょっとな」


「酒飲みすぎちゃう?」


「……かもな」


「健康には気をつけろよ」


「うん」


 まさとは笑った。


「俺らももう若くないしな」


「そうやな」


 まさとはビールを飲んだ。


 そして、何気なく言った。


「まあ、俺は週一回しか飲まんけどな」


 たかしは一瞬、固まった。


「……うん」


 そうだった。


 まさとにとっては週一回。


 それは間違っていない。


 たかしと会うのは週一回だけ。


 まさとは知らない。


 明日はひろし。


 明後日はなおと。


 その次はながと。


 さらに、その次はりょうた。


 五人は互いに、それを知らない。


     *


 まさとが言った。


「たかしも週一回くらいなら、そんな飲みすぎちゃうやろ」


「……そうやな」


 たかしは笑った。


 嘘ではない。


 でも。


 本当でもなかった。


     *


 その夜。


 店を出る。


「たかし、今日はありがとうな」


「うん」


「また来週な」


「うん」


 まさとは帰っていった。


 たかしは一人になった。


 そして、スマートフォンを見る。


 明日の夜。


 ひろしから予定が入っている。


 たかしは画面を見ながら思った。


 ――まさとは、俺が明日も飲みに行くことを知らない。


 当然だ。


 教えていない。


 たかし自身も言わない。


 だから、誰も悪いと思っていない。


     *


 月曜日。


 ひろしとの飲み会。


「たかし、今日も頼むわ」


「うん」


 火曜日。


 なおと。


「たかし、パチンコ行こうぜ」


「……分かった」


 水曜日。


 ながと。


「最近ストレス溜まっててな」


「そうなん?」


「聞いてくれよ」


「うん」


 木曜日。


 りょうた。


「今日、キャバクラ行こうぜ」


「……分かった」


 五人とも。


 自分がたかしにとって、その週の何回目の飲み会なのか知らない。


     *


 木曜日の夜。


 りょうたと二人で飲んでいた。


「たかし」


「ん?」


「お前って、ほんま昔から変わらんな」


「そう?」


「優しい」


「……」


「俺が大学生の頃、よく奢ってくれたやん」


「そうやったな」


「覚えてる?」


「覚えてるよ」


「あの頃、俺ら金なかったからな」


「うん」


「たかしだけ働いてたもんな」


 たかしは笑った。


「そうやった」


「今は俺らのほうが稼いでるけどな」


「そうやな」


「でも、たかしが奢ってくれるから楽やわ」


 冗談のように言った。


 たかしも笑った。


「何で俺なんやろな」


「え?」


「いや……何でもない」


     *


 りょうたは続けた。


「でもさ」


「うん」


「俺らも、たかしのこと嫌いじゃないからな」


「……うん」


「だから女紹介するって言ってるやろ」


 たかしは顔を上げた。


「本当に?」


「本当やって」


「いつ?」


「そのうち」


「……そっか」


 たかしは笑った。


 その言葉だけで、また救われた気がした。


     *


 その後、キャバクラへ向かった。


 店内は明るい。


 女の子たちが笑っている。


 りょうたは慣れた様子で席についた。


 たかしは隣に座った女性と話した。


「お仕事何されてるんですか?」


「普通の会社員です」


「そうなんですね」


「はい」


「彼女は?」


「いないです」


「えー」


 女性は笑った。


「優しそうなのに」


 また、その言葉。


 たかしは苦笑した。


「ありがとうございます」


「結婚したいとか思わないんですか?」


「したいです」


「じゃあ、いい人見つけないと」


「……そうですね」


 たかしは少しだけ寂しそうに笑った。


 結婚。


 子供。


 家庭。


 ずっと欲しかったもの。


 でも、今の自分には遠すぎる。


     *


 店を出る。


 りょうたが言った。


「たかし、今日はありがとう」


「うん」


「女の子、いい子やったやろ?」


「うん」


「そのうち紹介するから」


「本当に頼むで」


「任せとけ」


 たかしは笑った。


 その笑顔を見て、りょうたも笑った。


 そして二人は別れた。


     *


 帰宅したたかしは、財布を開いた。


 中には小銭しか残っていない。


 銀行口座を確認する。


 残高は、わずかだった。


 スマートフォンを見る。


 クレジットカードの利用額。


 今月の請求。


 借金。


 どれも減っていない。


 むしろ増えている。


「……どうしよう」


 初めて、声に出した。


 誰にも聞かれない部屋。


 だから、言えた。


「俺……どうするんやろ」


     *


 翌朝。


 たかしは目覚ましを止めた。


 身体が動かない。


 昨日の酒が残っている。


 喉が渇いている。


 頭が痛い。


 それでも仕事へ行かなければならない。


 時計を見る。


 午前八時十五分。


「……遅刻や」


 慌てて起き上がる。


 会社へ連絡する。


 また遅刻。


 上司の顔が浮かぶ。


 契約更新。


 勤務態度。


 正社員ではない。


 たかしは急いで家を出た。


     *


 その日の夕方。


 会社で上司に呼ばれた。


「また遅刻だな」


「すみません」


「体調管理も仕事のうちだ」


「はい」


「このまま続くと、本当に契約更新できないぞ」


「……はい」


「分かったか?」


「分かりました」


 席に戻る。


 たかしは椅子に座った。


 パソコンを見る。


 仕事が溜まっている。


 頭が回らない。


 身体も重い。


 それでも。


 スマートフォンを見る。


 ながとからメッセージが届いていた。


『今日、飲める?』


 今日は水曜日。


 たかしは画面を見つめた。


 行きたくない。


 本当に行きたくない。


 でも。


 断ったら。


 嫌われるかもしれない。


 女の子を紹介してもらえなくなるかもしれない。


 友達でなくなるかもしれない。


 その恐怖が、また勝った。


『行く』


 返信した。


     *


 その夜。


 ながとが言った。


「たかし、最近疲れてる?」


「そう?」


「顔色悪いぞ」


「ちょっと寝不足で」


「ちゃんと休めよ」


「うん」


 ながとはビールを飲んだ。


「俺らも仕事大変やからな」


「そうやな」


「週一回くらい、こうやって飲まんとやってられんわ」


 たかしは笑った。


「……そうやな」


 また同じ言葉。


 週一回。


 ながとにとっては週一回。


 たかしにとっては、その夜が今週四回目の飲み会だった。


     *


 帰宅した。


 たかしは靴を脱ぐことさえ面倒だった。


 玄関に座り込む。


 そして、ふと気づいた。


 自分の部屋に、ほとんど物がない。


 必要最低限の家具。


 古いテレビ。


 安いテーブル。


 冷蔵庫。


 ベッド。


 それだけ。


 友達には家族がいる。


 妻がいて。


 子供がいて。


 家があって。


 帰れば「おかえり」と言ってくれる人がいる。


 たかしにはいない。


 帰っても。


「ただいま」


 と言う相手がいない。


「……俺も家族欲しいな」


 小さな声だった。


     *


 その瞬間。


 スマートフォンが鳴った。


 りょうたからだった。


『たかし、木曜よろしくな』


 たかしは笑った。


「……明日か」


 五日目。


 最後の飲み会。


 そして金曜日と土曜日は休み。


 たかしはベッドに横になった。


 疲れ切っていた。


 身体は限界だった。


 それでも。


 明日が終われば休める。


 そう思った。


     *


 木曜日。


 りょうたと飲んだ。


 酒を飲んだ。


 パチンコへ行った。


 負けた。


 キャバクラへ行った。


 払った。


 帰宅した。


 午前二時。


 たかしはベッドに倒れ込んだ。


 金曜日。


 会社へ行った。


 身体が重かった。


 土曜日。


 一日中寝た。


 そして。


 日曜日。


 夕方。


 スマートフォンが鳴った。


 まさとだった。


『たかし、今日飲もうぜ』


 たかしは画面を見た。


 五日間が終わったばかりなのに。


 また始まる。


 たかしは目を閉じた。


 そして、


『分かった』


 と送った。


 その瞬間。


 たかしは自分の一週間が、また誰かのために消えていくことを理解した。


 それでも、断らなかった。


 なぜなら。


 たかしにとって、


「誘われること」


そのものが、


「自分はまだ必要とされている」


という証明になっていたからだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。