第九話 王宮夜会の正式依頼
王宮の封蝋を見るのは、これで二度目だった。
私はお父様の書斎の扉を開けて、王宮のお盆を両手で持ったまま、お入りした。
書斎の机の上には、お父様あての書状が、もうお開きになっていた。
「お父様」
「お入り」
お父様は、机のお席にお座りでいらした。家令と侍従が、お父様のお背中の後ろ側で、わずかに距離を取って控えている。私が席につくのを、待っていらしたお姿だった。
「クラリス。お前のお手元の封蝋は、お前ご自身でお開きなさい」
「はい」
私は、お父様の机のお向かいに、お腰を下ろした。
お盆のうえの封筒を、机の上にお置きした。王宮の家紋を中央に押し当てた、しっかりとした封蝋だった。お手紙ではなく、ご公務の書面の重みを持つお封の押し方だった。
机のうえに、お父様のほうの書面と、私のほうの封筒。
お父様は、ご自分のお書面を、私のほうへ少しおずらしになった。
「先に、私あてのほうから、お読みなさい」
私は、お父様の書面を、両手でお持ちした。
「ヴァランス侯爵閣下、
平素より、王宮の催事へのご献身、誠にありがとうございます。
このたび、王宮にて催します春期の正式夜会、夏期の宮内お茶会、秋期の感謝祭夜会、冬期の新年儀礼夜会の四度の大きな催事につき、王宮の側で、席次案、贈答記録の整理、来賓動線の設計を担う臨時の運営担当を、新たにお頼みする運びとなりました。
つきましては、これまでご当家のお声がかりにて、私的にお助けくださっていらしたヴァランス侯爵令嬢クラリス殿に、王宮の正式な臨時運営担当として、ご公務にてご就任を頂戴したく、書面をもってお願い申し上げます。
ご公務の内容は別紙のとおり。お席は王宮事務方の所属となり、お席ごとに、規定の謝礼条項を申し上げます。
王宮の側からのお願いとして、当家の王太子よりお差配のもと、王宮事務方にて準備いたしました。何卒、よろしくご検討くださいませ。
ご令嬢のご公務ご就任のご決定は、ご令嬢ご自身のお書面をもって、お返しいただければと存じます。
王宮事務方 王宮侍従長」
書面のいちばん下に、王宮事務方のお印のほか、王太子殿下のお名のご署名が、はっきりとお書きされていた。
私は、書面を膝の上で広げたまま、お父様のお顔を見上げた。
「お父様」
「うん」
「これは、王宮の事務方のご公務として、私が、王宮夜会の運営担当としてのお席を頂戴する、というお話でございますね」
「ああ」
「臨時、と書かれてはおりますが、年に四度、長期に渡って、ご公務をお預かりすることになります」
「そうだな」
お父様は、机のうえの紅茶のカップを、お手で軽くおずらしになった。
「お前のお手元の封のほうも、お開けなさい」
「はい」
私は、私あての封筒を、爪の端で開いた。
封筒のなかには、二枚の紙が入っていた。
一枚目は、お父様あての書面と同じ文面が、私あての形にお書き直されたお書面。
二枚目は、別の小さなお紙だった。
王宮の正式な紙ではなく、王宮のお手紙用のお紙。封筒の中に、お別に入れてあった。
私は、まず一枚目のご公務書面のほうが、お父様あての書面とほぼ同じ内容であることを確かめてから、二枚目の小さな紙を、机の上に開いた。
そこには、別のお手で、短く、お書きされていた。
「クラリス嬢へ
ご公務書面は、王宮の事務方を通じて、正式な手続きとして送られました。
別紙にて、もうひとつだけ、お伝え申し上げます。
ご公務の謝礼条項は、王宮事務方の規定の額を、ご無理のないようにお決め申し上げました。お席ごとのお務めに対して、相応のお礼を、必ずお支払いいたします。これは、王宮の側の責務でございます。
ご公務のお席の段取りに関しまして、王宮事務方の窓口は王宮侍従長でございますが、実務的な調整のお話は、私が窓口を務めさせていただきたく存じます。お席のお務めに無理のない範囲を、ご相談しながらお決めしたく存じます。
ご公務の受諾、ご辞退、いずれのお返事でも、王宮としてお受け申し上げます。ご公務のお務めは、ご令嬢のご決定に対して、こちらから何かをお求め申し上げるたぐいのものではございません。
ご無理のないお返事を、お願い申し上げます。
ライナス・グレオール」
王宮夜会の控えの紙に、これまで残されてきたのと、ほぼ同じ筆跡だった。
最後のご署名は、王宮の控えの覚書にあった「L.G.」ではなく、お名前を、はっきりと、お書きになっていらした。
私は、その別紙を、ゆっくりと机の上に戻した。
お父様は、私の顔の動きを、見ていらした。
「お父様」
「うん」
「ご公務書面のほうに、謝礼条項が含まれております」
「はい」
「ライナス殿下から、お別のお手紙にて、その謝礼条項を『ご無理のないようにお決め申し上げました』とのお言葉を、頂戴しております」
「ほう」
「ご公務のお席の段取りは、王宮の侍従長様が窓口で、実務のご相談は、ライナス殿下ご自身がお務めくださる、というお書きでございます」
お父様は、わずかに、お顎を引いて、軽くお頷きになった。
「クラリス」
「はい」
「この書面の意味、お前にはお分かりか」
「お父様」
「お前が、年に四度、王宮の夜会と茶会の運営を、ご公務として、お務めする。お前のお席は、王宮事務方の所属となる。お前は、王宮の事務方の臨時職員として、王宮にお席を持つことになる」
私は、深く頷いた。
「お父様」
「うん」
「これは、王宮が、私の三年の手伝いを、お見ていらした、ということ、でございますね」
「そういうことだ」
お父様は、ご自分の机の引き出しから、もう一枚、お紙をお取り出した。
「先日、王宮の侍従長様が、家令を通じて、私あてに非公式の覚書を残していらした」
「私あての書面と、お父様あての書面のほかに、もうひとつ、ということでございますか」
「ああ。ご公務のご準備の段取りで、王宮としては、ローズリー伯爵夫人とベルナール伯爵夫人から、お前のお仕事を改めて推挙するお声を頂戴した、と書かれていた」
私は、深く目を瞬かせた。
「ベルナール伯爵夫人の、先日のお茶会のあとに、王宮の侍従長様あてに、ご連絡をくださったのですね」
「ローズリー伯爵夫人もな。お二人とも、別々の書面でご連絡くださったそうだ」
お父様は、その覚書を、机の上にお戻しになった。
「王宮としては、お前への正式なご公務のお頼みを、こちらのほうから先に、社交界の側へ広めないように、慎重に進めていらした。お声がけは、王宮の事務方からのお書面が、最初のお伝えになる、というかたちだ」
「お父様」
「うん」
「私は、お受けすることに決めております」
私の声は、思ったよりもまっすぐに、お父様のほうへ届いた。
お父様は、わずかに、お目を細められた。
「即答だな」
「はい」
「お前の三年は、お前自身のご公務として、王宮で正式にお務めになる価値があった、と、王宮もお見ていらっしゃる。それを、お前は、お受けする」
「はい」
「お返事の書面は、私のほうで体裁を整える。お前は、ご公務の中身の確認だけ、もう一度、お読みなさい」
「はい」
お父様は、家令にお声をかけて、王宮へのお返しの書面の準備をお始めるよう、お言いつけになった。
家令が下がったあと、お父様は、机のうえに開いたままだったライナス殿下のお別のお手紙のほうへ、視線をお向けになった。
「クラリス」
「はい」
「殿下のお手紙のお書きを、私のほうへもお見せなさい」
私は、躊躇なく、ライナス殿下のお手紙を、お父様の側にお寄せした。
お父様は、お手紙をお読みになりながら、わずかに、お目を伏せられた。
それから、お読みになり終えたあと、お手紙を私のほうへお戻しになった。
「クラリス」
「はい」
「殿下は、お前のお仕事に、深く敬意を払っていらっしゃる」
「はい」
「謝礼条項を、ご無理のないようにお決め申し上げた、というお書きは、王宮の臨時職員のお席に、慣例より優しいお額をお決めくださった、ということだろう。けれど、それ以上の意味も、あるかもしれない」
「お父様」
「お父様としては、お前のお返事を、王宮のご公務だけのお返事として、お父様の側で代筆させていただく」
私は、お父様のお顔を、見上げた。
お父様は、ふだんよりも、わずかにお声を低くなさった。
「もう一通、ライナス殿下あてのお返事を、お前ご自身でお書きになりなさい」
「私自身で、でございますか」
「ああ。ご公務のお書面と、ライナス殿下からのお手紙は、別のお話だ。お前は、ご公務のお書面には、お父様の代筆でお返しになる。けれど、ライナス殿下のお手紙のほうには、お前ご自身のお手で、お返しになりなさい」
私は、お父様のお顔を、しばらく、ご覧していた。
お父様は、お父様らしい、わずかに無骨なお顔のままでいらした。けれど、お声の奥に、長い時間お見送り続けてきた、父の方の温度があった。
「お父様」
「うん」
「お父様は、これを、王宮からのお話だけのお話とは、お見ていらっしゃらないのでございますね」
「ヴァランス家のことを心配する父としては、なんとも申し上げにくい」
お父様は、わずかに、お微笑になった。
「ただ、お前のご公務の段取りで、実務のご相談を、第二王子殿下ご自身が窓口を務めてくださる、というのは、王宮の事務方の慣例から見ても、過分でいらっしゃる」
「過分、でございますか」
「臨時職員のご公務の窓口は、本来、王宮侍従長で十分だ。第二王子殿下が、ご自分から窓口にお立ちになる、というのは、ご公務の重みからすれば、お重すぎる」
「お父様」
「殿下は、お前のお仕事を、ご公務の枠を超えて、お見ていらっしゃるのだろう。私の側からも、それだけは申し上げておく」
私は、ライナス殿下のお手紙を、両手のうえに、もう一度お載せした。
紙の右下のお名前のご署名。
ライナス・グレオール。
控えの間で、卓越しに、私のほうへゆっくりと紙をお寄せくださった殿下のお手が、もう一度、私の中に戻ってきた。
「お父様」
「うん」
「私、書斎で、お返事を書かせていただいてもよろしいでしょうか」
「ああ」
「お父様の側のご公務のお返しと、ご一緒に、王宮へお送りいただいてもよろしいでしょうか」
「いいや」
お父様は、ゆっくりと、首をお振りになった。
「ご公務のお返事は、私のほうから、王宮事務方の窓口、つまりは王宮侍従長様へ、こちらの家令の手を経て、お返しする。ご公務のお返事に、第二王子殿下のお名は出さない」
「はい」
「お前のお書きになるライナス殿下あてのお手紙のほうは、ご公務の便とは別の便で、別途、お前ご自身のお名でお送りなさい」
「別の便で、でございますか」
「ご公務の手続きと、お前のお手紙とを、別の流れにする。お前は、ご公務でも、お手紙でも、お一人前の方として、お振る舞いになりなさい」
私は、深く頷いた。
「お父様、ありがとうございます」
「ヴァランス家の名で、お前を王宮へ送り出すお気持ちは、私にもある。ただ、ご公務として送り出すのと、ヴァランス家のひとりの令嬢として送り出すのと、それは、別の流れだ」
「はい」
「お前は、お前ご自身のお席で、王宮に立つ。ヴァランス家の名は、お前のうしろに、私が、私のお書面でお預けする」
お父様のお声は、いつもより、低かった。
「お父様」
「うん」
「ありがとうございます」
私は、お父様の机の前で、深く頭を下げた。
それから、私は、書斎へお戻りした。
ヴァランス家の書斎の卓の前で、お返しのお書面を、二通、書いた。
王宮事務方あてのご公務のお返しのお書面は、お父様の体裁で書かれるお書面のお手伝いとして、私の側からの「ご公務のお務めを、謹んでお受け申し上げる」というお書きの一段だけを、お父様のお書面のなかに織り込んでいただくよう、家令にお伝えした。
そして、もう一通。
私の机のうえに、まっさらな便箋を、一枚、置いた。
私の家のお手紙用の便箋は、ヴァランス家の家紋を、左上に小さく押した、白い紙だった。家紋は、お母様が婚姻のおりにお父様にお持ちになった、ヴァランス家の母系の紋を、お父様が家の手紙用に小さく作らせてくださったもの。
私は、その便箋に、お墨を、ゆっくりとお置きした。
「ライナス殿下
お書面、たしかに頂戴いたしました。
王宮事務方のご公務のお頼みを、謹んでお受け申し上げます。お返しは、家のお父様より、王宮の事務方を通じて、お正式にお出し申し上げます。
お別のお手紙、誠にありがとうございます。
ご公務の謝礼条項、ご無理のないようにお決め申し上げてくださったとのこと、ヴァランス家の側からのお礼を、まずはお伝え申し上げます。
ご公務のお席の段取りで、実務のご相談を、殿下ご自身が窓口をお務めくださる旨、お受け申し上げます。
ご公務のお席のおかげで、私の三年が、王宮の側からも、お見ていらっしゃったことを、改めて存じ上げました。
控えの間で頂戴したご公務の御紙のうち、二年前の春の御紙の一枚は、私の三年のうちで、私自身でも、長く意味の分からなかった一枚でございました。
あの紙が、別の方ではなく、殿下ご自身のお手によって、私の仕事への返しとして書かれていたこと、控えの間で初めて存じ上げました。
殿下のお続けくださっていたお返しのおかげで、私は、私の三年が、お一人で続けてきた三年ではなかったことを、知ることができました。
ご公務のお務めのお話は、これからご相談しながら、お決めし申し上げたく存じます。
クラリス・ヴァランス」
書き終えてから、私は、便箋を、もう一度、上から下まで、目で追った。
書き直すところは、なかった。
封蝋は、ヴァランス家の家のお手紙用の小さなお印で、ひとつだけ、押した。
家令を呼んで、お書面と封筒を、別の使いで、王宮の宛先別の窓口へお届けいただくよう、お預けした。
家令は、わずかにお眉を上げて、深くお頷きになった。
「お嬢様」
「ありがとう」
「お顔の色が、午前のお召しのお話を伺っていたときより、すこしお落ち着きでいらっしゃいます」
家令のお声は、ふだんの落ち着いたお声だった。けれど、その朝、二度目に頂戴した同じお言葉だった。
私は、軽くお笑いした。
「家令。今朝は、家令にずいぶんとお見ていただいているのね」
「お嬢様のお顔のお色を見るのは、私の長いお務めでございます」
家令は、深く礼をして、書斎をお出になった。
書斎の窓の外で、午後の光が、ようやく、雲のあいだから、まっすぐにヴァランス家の庭に落ち始めていた。
私は、書斎の机のうえに、王宮の二通のお書面の控えを、両方とも揃えて置いた。
ご公務のお書面の控え。
ライナス殿下からのお別のお手紙の、もとのお書面。
ふたつのお書面の角を、私は、自分のお手で、丁寧に揃え直した。
王宮夜会の控えの間で、ご自分のお手で頂戴した紙の角を、私が揃えていらしたあの夜のお気持ちが、今、書斎で、もう一度戻ってきていた。
王宮の側で、私は、ヴァランス家の婚約者の手伝い、ではなく、ご公務のお席のひとりとして、お招きを頂戴した。
それが、ご公務のお書面のお正面の意味だった。
そして、お別のお手紙の側で、私は、お一人前の女性として、お手紙を頂戴した。
それが、もうひとつの意味だった。
私は、書斎の窓辺で、しばらく、お庭のお光を見ていた。
家令の足音が、廊下のいちばん遠いところで、ゆっくりと、王宮へのお使いをお出かけしていく音がした。
書斎の机の上の私の手紙は、もう、王宮へ向かって、家の門を出ていた。
私は、机のうえの、二通の控えの紙のあいだに、軽く、指を置いた。
王宮のご公務の封蝋と、ライナス殿下のお名のご署名。
ふたつの書面が、これからの私の席の、別々の道として、机のうえに静かに並んでいた。
私は、ようやく、机のお席に、深くお腰を下ろした。
夕方の書斎は、思っていたよりも、静かだった。




