第三十三話 毛布
目が覚めたとき、わたくしは寝台に伏せていた。
寝台の脇の椅子に腰かけたまま、上体だけを寝床の縁に預けて眠り込んでいたらしい。頬の下に、しわの寄った敷布の感触がある。腕がしびれて、匙を握っていた指が固まっていた。
──しまった。
跳ね起きようとして、肩に何かが乗っているのに気づいた。
毛布だった。
厚い、毛皮の裏地のついたもの。旦那様の寝台の足元にいつも畳まれている、あの毛布だ。
わたくしの肩から背にかけて、それはきちんと掛けられていた。裾を引きずらないように端が折り込まれている。几帳面な、寸分の狂いもない折り方だった。
息が、止まった。
顔を上げる。
寝台の上で、旦那様が、こちらを見ていた。
目が、開いていた。
熱で潤んだ、けれど確かに焦点の合った灰色の目が真っすぐにわたくしを見ている。
「……旦那様」
声が、掠れた。
「お目覚めに」
「……いつからだ」
低い、掠れきった声だった。
「え」
「いつから、そこにいる」
わたくしは答えに詰まった。三日と少し、と言えばこの方はきっと自分を責める。何時間か、と嘘をつけば、扉の外のゲルト様が黙っていない。
迷っているうちに、旦那様の目がわたくしの手元へ落ちた。
匙を握ったままの、固まった指へ。
それから、小卓の上の空の器の列へ。ひとつ、ふたつ、みっつ。下げる手も惜しんで、そのまま積み上げてしまった、三日ぶんの器。
旦那様はしばらく、それを見ていた。
やがて、目を閉じた。
「……馬鹿な女だ」
掠れた声には力がなかった。けれど言葉の中身とはまるで違う何かが、その掠れの底にあった。
「まあ。ひどい仰りようですこと」
わたくしは毛布を肩から外して、丁寧に畳んだ。
この毛布を、この人はどうやって掛けたのだろう。三日、熱にうなされて指一本動かすのもやっとだったはずの体で。寝台から手を伸ばし、足元の毛布を引き寄せて、眠っている女の肩へ。
裾を、折り込むところまで。
わたくしは畳んだ毛布の折り目に、そっと手を置いた。
言葉と、手つき。この方の本心は、いつだって手つきの側にある。
三日前、この方は「無理をするな」と言った。谷へ発つ妻に、そう言った。その口で嵐の三日を眠らずに走り回った人が、目覚めて最初にしたのが、眠り込んだ女に毛布を掛けることだった。
どちらが馬鹿な女なのか、いい勝負ではありませんこと。胸の中でそう言い返して、わたくしは少しだけ、泣きそうになった。
「旦那様」
「なんだ」
「お腹は、空いておられますか」
旦那様の眉が、わずかに寄った。それから心底不本意そうに、目を逸らした。
「……分からん」
「では、少しだけ」
わたくしは立ち上がった。立ち上がった拍子に、視界がまた、ぐらりと傾いだ。
寝台の縁を掴んで、堪える。
顔を上げると、旦那様がじっとわたくしを見ていた。
「おまえ」
「なんでも、ございませんわ」
「顔色が」
「湯気に当たりすぎたのですわ。厨房は暑うございますから」
わたくしは、にっこり笑ってみせた。三日、竈のそばになど行っていない。それを、この方は知っている。知っていて、それ以上は追及しなかった。
ただ、扉の外へ向かって、ひどく短く言った。
「ゲルト」
「はっ」
「……テアを、呼べ」
わたくしは、慌てた。
「旦那様、わたくしは」
「黙れ」
旦那様は目を閉じたまま、掠れた声で言った。
「俺の妻が、俺の寝台の脇で行き倒れるのを、この城の誰が許すと思っている」
──俺の、妻。
その言葉を、この方は初めて使った。
跡目の体裁だと言った人が。慣れる前に終わる暮らしと思え、と言った人が。
わたくしは何も言えず、ただ畳んだ毛布を胸に抱えていた。
扉の外で、ゲルト様が「はっ」と応じる声が、妙に嬉しそうに聞こえた。
テアが飛び込んできて、わたくしの顔を見るなり泣き出した。それから恐ろしい早さで白湯とパン粥を運んできて、有無を言わさずわたくしの前に置いた。
パン粥の湯気を見ていると、ハンナの顔が浮かんだ。あの人は、この三日、看病の膳とわたくしの膳と、両方を作り続けていたのだ。わたくしが手をつけないのを知りながら、毎回、必ず。
匙を取る。
自分の口へ運ぶ匙は、ずいぶん久しぶりだった。
ひと口飲み下すと、体の芯がじわりと温かくなった。ああ、これだ。これを、わたくしはこの三日、あの方に運び続けていたのだ。
寝台の上から、旦那様がじっと見ている。
食べ終えるまで、目を離さないつもりらしい。
──ずるい方だわ。
わたくしは匙を口に運びながら、うつむいて笑った。
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