第二十話 遠い醜聞
社交界の噂を書き連ねた文は、ゲルト様の王都の旧友──近衛にいるという騎士から届いたものだった。
早馬便の日は、城がすこし華やぐ。手紙を受け取った兵が廊下で頬をゆるめ、ヨーゼフが荷の目録を几帳面に検め、ハンナは配達人に温かい椀を持たせる。雪に閉ざされた月日の中で、外の世界の匂いがする唯一の日だからだ。
夕餉の席で、ゲルト様がその文を読み上げた。近頃はこうして、旦那様と、わたくしと、ゲルト様の三人で膳を囲むことが増えている。
「……『第二王子殿下の婚約披露の宴、王宮はじまって以来の不首尾に終わる』とのことです」
「不首尾?」
「膳が、ひどかったそうで」
ゲルト様は文面を目で追いながら、渋い顔をした。
「肉は筋張り、魚は生気なく、葡萄酒は名ばかりの若酒。招かれた諸侯が皆、口を揃えて申したそうです。……で、宴のあと、王宮の料理長が職を辞したと」
「料理長が? 宴の不出来の、責めを負って?」
「いえ。それが逆でございまして」
文によれば、こうだった。宴の食材の調達は、慣例を破って、とある商会がひとまとめに請け負った。新しい婚約者様の実家筋が、忠義のしるしにと安値で引き受けたのだという。ところが納められた品は、値相応にもほどがある代物だった。料理長は宴の前に何度も掛け合ったが、聞き入れられず──宴のあと、包丁を置いて、こう言い残したそうだ。
わたしの名で出せる膳は、材料が半分作るのです。その半分を金に替えた宴に、わたしの名は要りますまい。
「……その商会の名は」
尋ねたわたくしの声は、自分でも分かるほど平坦だった。
「ザルツ商会、とあります」
やはり。
帳簿の後ろの頁に書いた名前が、雪をこえて、また届いた。塩の頁の几帳面な字の列と、宴の筋張った肉とが、頭の中でひとつの像を結んでいく。あの家は、食べものを量りの上でしか見ていないのだ。命をつなぐものとしてでも、人を喜ばせるものとしてでもなく、ただ、差額の出る荷として。
「社交界では、こうも囁かれているそうです。……『グランツ様がいらした頃は、宴に瑕ひとつなかったものを』と」
ゲルト様は、そこで文から目を上げて、少し困ったようにわたくしを見た。
グランツ様。わたくしのことだ。
王子妃教育の一環で、宴の膳の差配は、いつのまにかわたくしの役目になっていた。料理長と季節の品を相談し、諸侯の好みと差し障りを帳面につけ、酒の順序を組む。地味で、誰にも気づかれない仕事。気づかれないのが、うまくいっている証だった。
いなくなって初めて、瑕になって初めて、名前が出る。
「……料理長は、良い方でしたわ」
わたくしは、それだけ言った。溜飲は、思ったほど下がらなかった。宴がしくじって痛むのは殿下の面目だけれど、貶められたのは膳であり、職を追われたのは、材料の半分を知る正直な職人だ。ざまあみろ、と笑うには、食べものが可哀想すぎた。
それにミレーヌ様は、と考えかけて、やめた。宴の差配がどれほどの目配りの積み重ねでできているか、あの方は知る機会がなかった。知らないままあの席に座らされて、実家は実家で娘の晴れの宴から差額を抜いた。……哀れむのは、まだ早い。けれど嗤う気にも、なれなかった。
黙って聞いていた旦那様が、器を置いて、ぽつりと言った。
「宴の膳は、家の鏡だ」
それだけだった。けれどその短い一言は、王都のきらびやかな広間と、この北の石造りの食堂とを、静かに天秤にかけていた。筋張った肉の宴と、蕪の軟菜の膳と。どちらの家が正しい鏡なのか、この方はもう、言葉にする気もないらしい。
食後、片付けの手を動かしながら、ハンナがぼそりと言った。
「材料の半分を金に替える、ねえ。……罰当たりな話でございますよ、まったく」
罰当たり。ハンナの物差しのその言葉が、今夜はまっすぐ、王都の宴に向けられていた。膨れたパンには怯えるこの人が、材料をごまかす宴には迷わず罰当たりと言う。この土地の信心の芯にあるのは、たぶん、食べものへの敬いなのだ。禁忌の形は歪んでいても、根は同じところから生えている。
その夜、わたくしは帳簿の後ろの頁に、二行目を書き足した。
ザルツの名、宴でも。材料の半分を、金に。
書き終えて、ふと窓の外に耳を澄ませた。
軒先で、こつん、と硬い音がした。氷柱の先が、ゆるんで落ちた音だった。
冬が、ほどけはじめている。
蔵の戸の向こうに置いてきた問いを──雪のさなかの青いものの謎を、取りに行ける季節が、近づいていた。
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