第十七話 雪道のなんでもない話
雪下の蕪の株を、来年は村の畑でも──その思いつきを、わたくしはゲルト様に話してみた。
「畝の作り方さえ覚えれば、村でもできるはずなの。畑の隅と、雪と、藁があればいい。冬の半ばに、青いものと甘いものが手に入る」
「なるほど。……であれば、川向こうの村がよろしいでしょう。あそこの村長は新しもの好きですゆえ」
話は早かった。翌日、晴れ間を待って、わたくしたちは橇でその村へ向かうことになった。
橇に乗るのは、生まれて初めてだった。毛皮にくるまって滑り出すと、蹄と橇板の音のほかには何もない白い世界が、ゆっくり後ろへ流れていく。寒いけれど、嫌いになれない静けさだった。
橇の上は、話すことのほかにすることがない。
はじめは蕪の話をしていた。畝の深さ、藁の量、掘り出しの時期。それが尽きると、兵の話になった。冬の見回りの兵は、凍った乾パンと塩肉の欠片で昼を済ませるのだという。
「まあ。……それなら、湯だけ沸かせれば、道はありますわ。乾パンは砕いて煮れば、粥になりますの。塩肉を裂いて入れれば、出汁も塩気も出る。詰所に鍋がひとつあれば」
「乾パンが、粥に」
ゲルト様は目を丸くして、それから真顔で懐の手帳を出した。この方も、帳面の人なのだ。
「冬の見回りは体の芯が冷えるのがいちばんの敵にございます。温かい椀が出るとなれば、兵どもは喜びましょう。……いや、それがしが喜びます」
帰ったら詰所の当番に炊き方を教える段取りまで、ゲルト様はその場で手帳に書きつけた。裂き方はこう、香草はこの分量、火加減は蟹の泡──わたくしの言うことを一言も落とすまいとする筆の速さに、この方の仕事ぶりが見えた。
大真面目にそう言うので、わたくしは笑ってしまった。北へ来る道中、猟師小屋でテアに作った、あの一杯。あれがまさか、砦の兵の昼餉になるなんて。
橇が川沿いの道に出た。凍った川面が、鈍色の空を映して光っている。
しばらく行くと、ゲルト様がふと、なんでもない口調で言った。
「この道は、奥方様がいらした日に、閣下と検分した道です」
「検分?」
「輿入れの行列が通れるかどうか。前の晩に雪が来ましたゆえ。……閣下が自ら橇を出されて、夜のうちに」
わたくしは、ゲルト様の横顔を見た。
「旦那様が、ご自分で?」
「医者には、止められておりましたがな」
ゲルト様は雪原の先を見たまま、淡々と続けた。
「あの頃の閣下は、階段で息が切れるお体でした。医者は寝ていろと言い、それがしも止めました。ですが閣下は、道を検めて、翌日は石段の上でお待ちになった。……北の当主が城の中で花嫁を迎えるのは、礼を欠く、と。それだけおっしゃって」
石段の上の、幽鬼のような姿を思い出す。
風に髪を揺らして、立っているのがやっとに見えた、あの方。あれは、やっとどころではなかったのだ。前の晩に夜通し道を検めて、医者に止められて、それでも、外で。
「……存じませんでした」
「閣下は、そういうお方です」
ゲルト様はそれきり、その話をやめた。恩に着せる調子は、欠片もなかった。橇の話題は次の村の犬の話に移り、わたくしは相槌を打ちながら、胸の中で、初日の石段を何度も上り直していた。
構うな、と言った人。長くは生きん、と言った人。その同じ人が、息の切れる体で夜の雪道を検め、寒風の石段に立って、追われてきた花嫁に礼を尽くした。
言葉と手つきが、あの方の中では最初から、別々のことを言っていたのだ。
気づいてしまえば、思い当たることばかりだった。構うなと言いながら、敷居の内側に椅子が置かれていたこと。無駄なことをと言いながら、器は几帳面に返されていたこと。あの方の本心は、いつも言葉の外の、手つきの側にある。
わたくしは今ごろになって、それに気づいた。
村に着くと、子どもらが橇を珍しがって集まってきた。その中に、唇の端の切れた子がひとりいた。この村にも、いるのだ。わたくしは持ってきた雪下の蕪の薄切りを、そっとその手に載せてやった。齧った瞬間の、あの目の丸くなりよう。甘い、と叫んで駆けていった背中が、井戸端の女たちをこちらへ呼んでくる呼び水になった。
新しもの好きだという村長は、雪下の蕪の話に身を乗り出した。畑の隅に、さっそく試しの畝をひとつ作ることが決まり、帰りの橇には、村の女たちが持たせてくれた凍み餅のような保存の菓子が載った。
帰り道、雪はまた降りはじめていた。
城が見えてくる。石段の上には、今日は誰もいない。
けれどわたくしはもう、あの石段を、ただの石段として見ることができなくなっていた。
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