第十一話 雪の下の、小さな賭け
雪は敵ではないのかもしれない──馬車の中で芽生えたその思いつきを、わたくしは翌朝さっそく厨房へ持ち込んだ。
結果から言えば、ハンナの理解を得るまでに白湯が二杯ぶん要った。
「雪に、埋める?」
ハンナの声が裏返った。手にしていた蕪が、ごとりと台に転がる。
「勿体ないことをおっしゃいますな。せっかく蔵に入れた冬野菜を、わざわざ外へ出して凍らせるなんて」
「凍らせないの。雪に守らせるのよ」
わたくしは、菜園の隅から持ってきた蕪の泥を払いながら言った。
「土を薄く掛けて、その上にたっぷり雪をかぶせるの。雪の下は、外の風より、ずっとあたたかい。野菜は凍る一歩手前で、身を守ろうとして甘くなる。……ばあやの里では、そうやって冬の青いものをしのいでいたそうよ」
「はあ。雪があたたかい、ですか」
ハンナの顔には、はっきりと書いてあった。奥方様はときどき、おかしなことをおっしゃる。
けれど今回のおかしなことは、穢れには触れていない。膨らませもしないし、寝かせもしない。ただ埋めるだけ。だからハンナの反対は、信仰の怯えではなく、台所を預かる者の勿体ない、だけだった。それなら、交渉のしようがある。
「蕪を五つと、キャベツをふた玉だけ。駄目になったら、わたくしの手許金から弁償するわ」
「奥方様の手許金って、あなた……」
ハンナは呆れ果てた末に、根負けした。北向きの菜園の隅、雪の吹き溜まる一角に、わたくしとテアは小さな畝を作り、蕪とキャベツを並べて土を掛け、雪をこんもりとかぶせた。
「なんだか、お墓みたいですね」
テアが手袋の雪を払いながら言う。
「あら、逆よ。お布団。……春の来るお布団」
作業は思いのほか体があたたまった。テアと二人で雪を運んでは重ね、手袋の先が濡れて、吐く息ばかり白くなる。通りかかった下女のリタが目を丸くして見ていくので、春に甘い蕪が食べられるかもしれないのよと教えると、半信半疑の顔のまま雪をひと抱え運ぶのを手伝ってくれた。
埋めた場所に、枝で小さな印を立てた。掘り出すのは、冬が深くなってから。今はただ、雪に任せて待つだけだ。
待つといえば、もうひとつ、仕込みたいものがあった。
その午後、わたくしは厨房で、小鍋に乳を温めた。
重湯は、もう十分に役目を果たした。あの方の胃は、薄い一杯を受け止められるようになった。なら、次の一段──体を作るものを、そろそろ足していい頃だ。
「乳は薪、蜂蜜は焚き付け。……ばあやが、そう言っていたわ」
弱った体は、冷えた竈と同じ。いきなり太い薪をくべても、火はつかない。まず焚き付けで小さな火を起こし、細い薪から慣らしていく。乳のこくは細い薪、蜂蜜の甘みは焚き付け。合わせて、匙がすっと立たないくらいの、ゆるいとろみに炊く。
「テア、味を見てくれる?」
「はいっ、喜んで!」
試食係のテアは、ひと匙すくって目を丸くした。
「甘くて、やさしい……体の芯のほうから、ぽかぽかします」
「熱すぎない?」
「ちょうどいいです。ふうふうしなくていいくらい」
それが肝心だった。熱すぎれば弱った喉に障る。ぬるすぎれば、あの方の冷えた体に火が起きない。飲み込んだあと、胸の奥にほんのり残るあたたかさ。そこを狙って、湯気の立ち方を覚え込む。
念のため、ゲルト様にも新しい一杯を検めてもらった。銀の匙をくわえたゲルト様が思わず二匙目に手を伸ばしかけて、慌てて咳払いをしたのを、わたくしとテアは見なかったことにした。
鍋の中で、乳と蜂蜜の匂いが、まるくひとつになっていく。炒り麦の香ばしさとは違う、まるい、甘い匂い。この匂いなら、きっとあの方の鼻にも届く。
雪はそれから二度降って、畝の印の枝は半分まで埋まった。掘り出すのは冬の深まりを待ってから──そう決めていたのに、様子だけ、ほんの端だけ、と自分に言い訳をして、三日後の朝、わたくしは雪の畝の端をそっとひと掘りだけしてみた。
枝の印の下、雪と土の布団の中で、蕪は凍っていなかった。葉はまだ青く、身はみずみずしく張っている。泥を拭ってひと口囓ってみると、味は、まだただの蕪だった。
けれど、それでいい。確かめたかったのは、生きているかどうか。それだけだ。
甘みは、ここから雪が育てる。
「……いける」
声に出して、すぐに埋め戻した。本番は、冬のいちばん深いところ。雪に任せて、待つ。焦らない。醸すのも、埋けるのも、待つ仕事だ。
その夜、いつもの盆を支度しながら、わたくしはハンナに告げた。
「明日の晩から、器の中身が変わります」
重湯は今夜で卒業。明日は、乳と蜂蜜の一杯を。
あの方の三年ぶりの「あたたかいもの」は、どんな顔で迎えられるだろう。
重湯の白から、乳と蜂蜜の、やわらかな乳色へ。器の中の景色が変わる。それはあの方の三年が、一段のぼるということだ。
匙を磨く手が、我ながら、少し浮かれていた。
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