表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旦那様は今日もよく食べる〜「何も食べられない」辺境伯と重湯から始める白い結婚〜  作者: P作


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/63

第十話 塩の樽は命の数

 村を見て回りたい、と願い出たとき、旦那様の返事は一言だった。


「ゲルトを付ける」


 駄目だ、でも、好きにしろ、でもなく。危ないから供を付ける、という返事を、わたくしはありがたく頂戴した。奥向きは好きにするがいい、と初日におっしゃった言葉は、どうやら本当だったらしい。


 まずは足元からと、粉雪から三日後、ハンナに誘われて、わたくしは初めて城の地下の食料庫に降りた。


 石段を降りるほどに空気が冷えて、乾いた塩と木の匂いが濃くなっていく。


 燭台の火に浮かび上がったのは、樽、樽、樽の列だった。天井の低い石室の奥まで、整然と、静かに。教会の並んだ長椅子を思わせる眺めだった。


「手前の列が、塩漬けの豚。奥が塩漬けの羊。壁際の細い樽は、川魚の塩蔵でございます」


 ハンナは帳面を片手に、樽のひとつひとつを叩いて回る。こん、こん、と返る音の高さで、中身の詰まり具合が分かるのだという。


「城で冬を越すのは、兵と使用人を合わせて百と七人。ひと冬に要る塩漬けが、豚の樽で三十、羊で十二。乾パンの俵が四十。……今年は、豚があとふた樽足りません」


「足りないと、どうなるの」


「春先に、皆の椀が浅くなります」


 ハンナの答えは短かった。浅くなった椀の意味を、この人は何度も見てきたのだろう。


 樽の列の最後に、ひときわ厳重に錠の掛かった小部屋があった。ハンナが鍵を開けると、白い塊を詰めた壺が、棚にずらりと並んでいた。


「塩、でございます」


 声まで、少し改まっていた。


「北では、塩は銀と同じ扱いでございますよ。塩がなければ肉も魚も冬を越せない。塩の壺が空く年は、人が減る年でございます」


 王都の台所で、塩は味付けのものだった。この土地では違う。塩は、時を止めるためのものだ。夏の肉を冬まで、秋の魚を春まで運ぶための、たったひとつの舟。


 翌日、その舟の値打ちを、わたくしは中庭で見ることになった。


 王都から、冬前最後の塩の荷が着いたのだ。


 幌をかけた荷馬車が三台。城の男たちが総出で、壺をひとつずつ、赤子でも抱くように運んでいく。荷の検めに立ち会ったゲルト様の顔は、砦の武器庫を検めるときと同じ顔だった。


 城壁の上から兵たちが荷馬車を見下ろし、下働きの子どもらは井戸の陰から白い壺の列を数えていた。祭りの行列でも来たかのような眺めだったけれど、誰の顔にも浮かんでいるのは浮かれた色ではなく安堵だった。


「塩の道は、北の血の道にございますゆえ」


 ゲルト様は帳面に壺の数を書きつけながら、そう言った。


「今年は、また少し値が上がりましてな。……まあ、王都の商人の言い値で買うほかございません。塩ばかりは」


 言い値、という言葉が、小さな棘のように耳に残った。


 午後は、ゲルト様の村回りに同行させてもらった。城から近い、川沿いの村。どの家の軒下にも、塩漬け肉の塊が吊るされ、戸口には塩蔵魚の樽が置かれている。城の食料庫と同じ風景が、貧しい規模で、家ごとに繰り返されていた。


 ちょうど、秋の豚を潰したばかりの家があった。男たちが肉を切り分け、女たちが塩を揉み込んでいく。幼い子までが樽の脇に立って、肉の層と塩の層を交互に重ねる手元を、真剣な目で覚えようとしていた。この土地では、塩の仕事は遊びより先に覚えるものらしい。


 村長の家で、白湯をいただいた。


「王都では、魔石とやらで、生の肉のまま冬を越せるそうでございますなあ」


 村長は歯の抜けた口で、羨むでもなく言った。


「わしらには手の届かん話で。北の冬は、昔から塩だけが頼りでございます」


 囲炉裏の端で、村長の孫だという女の子が、乾パンをしゃぶっていた。頬は赤いのに、唇の端が切れて、指のささくれが目立つ。前世の病棟なら、青いものが足りていませんね、と食事表を書き直すところだ。冬の後半、村の子たちの体が何で軋むのか、目に見えるようだった。塩辛いものと乾パンだけで越す冬が、あの小さな体から何を奪っていくか、前世のわたくしは知っている。


 帰り道、馬車の窓から、雪をかぶり始めた畑を眺めた。


 塩は、確かに命綱だ。この土地の冬は、塩の樽の数でできている。


 けれど、塩は守るだけだ。腐らせない代わりに、何も足してはくれない。青いもの、甘いもの、命を作るもの──それらは樽の中にはない。春が遠のくほど、人の体は塩と乾パンだけで軋んでいく。あの女の子の切れた唇のように。


 樽の数を増やすことなら、お金の話だ。けれど樽の中身を変えることは、たぶん、この土地の暮らしそのものの話になる。


 馬車が城門をくぐる頃、日の落ちた雪原が、青白くどこまでも続いていた。


 降り積もっては解けない、北の雪。すべてを埋めて、すべてを閉ざす冬の白。


 ふと、前世の冬の景色が重なった。雪深い山あいの畑で祖母が笑っていた記憶がある。雪の下で野菜は凍らないんだよと言って、真っ白な畑から緑の葉を掘り出してみせた冬があった。


 ……いいえ。


 わたくしは窓に手をついて、目を凝らした。


 閉ざすだけかしら、この白は。


 雪は、敵ではないのかもしれない。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

続きが気になったら、評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ