第四十四話 リュシーの選んだ小さな棚
冬鈴令の施行準備が落ち着き始めた頃、リュシーが自分の部屋に小さな棚を置きたいと言った。
これまで部屋の家具は、私とハンナが慎重に選んできた。角が丸いもの。倒れにくいもの。埃が溜まりにくいもの。リュシーの体に負担が少ないもの。
娘が自分から家具を選びたいと言ったのは、初めてだった。
「何を置く棚?」
「いらっしゃいのもの」
「いらっしゃいのもの?」
「クララがきたときの布とか、エマにかした布のかわりとか、北のおはなとか。リュシーが、えらんだもの」
私は少し迷った。
棚が増えれば埃も増える。物が増えれば管理も必要になる。リュシーは疲れやすい。片づけが負担にならないか心配だった。
けれど、心配だけで止めるのは違う。
「条件を一緒に決めましょう」
「じょうけん」
「棚は低いもの。角を丸くする。置く物は多くしすぎない。掃除はハンナと一緒に。疲れたら休む」
リュシーは真剣に頷いた。
「リュシー、やる」
大工のトマスが小さな棚を作ってくれた。
木目の柔らかい、三段だけの棚。扉はない。リュシーが中を見渡せるように。
最初に置いたのは、北境から届いた押し花。
次に、エマから返ってきた冬鈴草刺繍の保温布。少し洗いざらしになっているが、リュシーはそれを大事そうに畳んだ。
その横に、クララが使った白い布の小さな端切れ。
そして、ギルベルトの下手な兎。
「それも、いらっしゃいのもの?」
私が聞くと、リュシーは考えた。
「おとうさま、れんしゅう、いらっしゃい」
その言い方に、胸が少し温かくなった。
部屋は、物を置く場所だ。
同時に、記憶をどう置くかを選ぶ場所でもある。
娘は、奪われた記憶だけでなく、自分が選んで開けた扉の記憶を棚に置こうとしている。
夜、リュシーは棚を見ながら言った。
「おかあさま」
「なあに」
「リュシーのへや、とられそうだった。でも、いま、いらっしゃいの棚、ある」
「ええ」
「へや、つよくなった?」
「そうね。強くなったと思う」
「リュシーも?」
私は娘の髪を撫でた。
「強くなった。でも、弱い日があってもいい」
「よわいひは?」
「棚を見て、休みましょう」
リュシーは満足そうに頷いた。
その棚は、冬鈴令には載らない。
けれど、私たちの家にとっては大切な小さな条文だった。
自分の部屋に、選んだ記憶を置いていい。
棚を置いた翌日、リュシーは自分で掃除をしようとして、すぐに疲れた。
小さな布で一段目を拭いただけで、椅子に座り込む。
「リュシー、できない?」
悔しそうな声だった。
「全部はできない。でも、一段目はできた」
「二段目は?」
「今日はハンナが手伝う。明日は一緒に」
リュシーは棚を見た。
「えらんだら、ぜんぶ、しなきゃ?」
「いいえ。選んだものを、大人と一緒に守っていい」
その言葉を聞いて、娘は少し安心したようだった。
自分で選ぶことは、全部一人で責任を負うことではない。
大人である私も、何度もそれを忘れる。
リュシーの小さな棚は、娘だけでなく私にも教えていた。
選ぶ。
助けてもらう。
疲れたら休む。
その三つは、同じ部屋に置いていい。
夕方、ハンナは二段目を拭きながら言った。
「リュシー様、棚の管理記録を作りましょうか」
「きろく?」
「はい。今日は一段目、明日は二段目。疲れた日はお休み、と」
リュシーは目を輝かせた。
記録は、大人に管理されるためだけのものではない。
自分のペースを知るためにも使える。
「えらんだら、ずっと一人でしないとだめ?」
「いいえ」
私はすぐに答えた。
「選んだものでも、手伝ってもらっていい。やめたくなったら相談していい。場所を変えてもいい」
リュシーは安心したように息を吐いた。
「じゃあ、棚、すき」
その言葉を聞いて、私はようやく自分の迷いがほどけるのを感じた。
選択とは、子どもに全責任を渡すことではない。大人が支える前提で、子どもが自分の気持ちを置く場所を持つことだ。
翌週、棚の一番下には空の箱が置かれた。
「これは?」
「まだ、きめてないもの」
リュシーは少し誇らしげに言った。
決めていないものを置く場所。
それもまた、娘の部屋に必要な余白だった。
空箱を置いてから、リュシーは以前よりよく考えるようになった。
ギルベルトが新しい木彫りを持ってきても、すぐには棚に置かない。手に持って眺め、机の上に一晩置き、翌朝になってから決める。
「今日は、まだ」
ギルベルトは最初、少し寂しそうにした。だが、文句は言わなかった。
「分かった。決めるまで、預ける」
リュシーは頷いた。
私はそのやり取りを見て、棚が単なる家具ではないことを知った。受け取ったものをすぐ許しや愛情の証にしなくていい。迷う時間も、断る余地も、子どもの部屋には必要なのだ。
その夜、娘は空箱を撫でて言った。
「ここ、まだ、っていう場所」
「とても大事な場所ね」
「おかあさまも、ある?」
私は少し考えた。
「私にも必要ね」
後日、私の机にも小さな空箱を置いた。返事を急がなくていい手紙のために。許すかどうか、助けるかどうか、会うかどうか。すぐに決められないものを、乱暴に心の中へ押し込まないために。




