第四十三話 北境へ届いた冬鈴令
北境へ送った冬鈴令の試行冊子に、返事が来た。
紙は少し湿っていて、端が折れている。山道を越えてきた手紙の匂いがした。
差出人はベルトラン副官と、雪見村の子どもたち。
『名前札を入口に置きました。最初、兵たちは笑いましたが、三日目には自分たちの寝床にも印をつけ始めました』
アルノルトがその一文を読んで、珍しく声を出して笑った。
「兵たちが?」
「ええ。兜、剣、干し肉、などと印を描いています」
リュシーは目を輝かせた。
「へいたいも、なふだ?」
「そうらしいわ」
続きには、真面目な記録があった。
避難所の入口に、濡れた靴を置く場所を分けた。
年上の子どもが小さい子の世話をした時は、必ず休む時間を入れた。
夜に咳をした子が「大丈夫」と言う前に、足、喉、息のどれがつらいかを聞くようにした。
その結果、医師へ知らせるのが早くなった。
最後に、子どもたちの言葉が並んでいた。
『ぼくの靴は、ぬれたら言う』
『妹の毛布が重い時は、重いと言っていい』
『兵隊さんも、寒いと言った』
リュシーはその文を何度も読んだ。
「兵隊さんも、さむい?」
「寒いでしょうね」
「いっていい?」
「言っていい」
アルノルトは手紙を見つめていた。
彼の領地で、彼の兵たちが、子ども向けの冊子から自分たちの寒さを言う方法を学んでいる。
「不思議ですね」
彼は言った。
「何が?」
「私はずっと、北境では強くあることを教えてきました。寒くても立つ。痛くても歩く。それが必要な時もあります。ですが、言わない強さだけでは人が壊れる」
「子どもが教えてくれましたね」
「はい」
リュシーはアルノルトの袖を引いた。
「アル父さまも、さむいって、いう?」
彼は真面目に答えた。
「言います」
「ほんと?」
「本当です。寒い時は寒いと言い、対策をします」
娘は満足そうに頷いた。
北境からは、乾いた冬鈴草の押し花も届いた。
寒い土地で育った小さな花。
リュシーはそれを自分の帳面に貼った。
「北にも、へや、ある」
「ええ」
「リュシー、いったことないけど」
「春になったら、体調を見て少しだけ行けるかもしれないわ」
娘は目を丸くした。
「リュシー、北?」
「無理はしない。行けるとしても短く、準備をして」
アルノルトがすぐに言った。
「行く場合は、帰還予定表を三枚作ります」
「三枚?」
「リュシー様用、ノエリア様用、私用です」
リュシーは笑った。
北境は遠い。
けれど、冬鈴令はもうそこへ届いている。
部屋は建物だけではない。
名前を聞く手順、寒いと言える札、濡れた靴を乾かす場所。それらが揃った時、避難所の隅にも小さな部屋が生まれる。
北境からの手紙には、もう一枚、奇妙な紙が入っていた。
兵たちの『寒いと言った記録』である。
『第三隊長、夜間巡回後、足先が痛いと申告。靴を乾燥。翌朝改善』
『若い兵、眠れない理由は寒さではなく、風音と判明。寝床移動』
『料理番、子どもに先に食べさせるため自分の食事を抜き、倒れかける。以後、料理番の食事時間を記録』
私は読みながら、思わず笑ってしまった。
子どもから始まった記録が、兵や料理番にまで広がっている。
アルノルトは少し恥ずかしそうだった。
「北境の者は、極端に真面目です」
「良いことです」
「兵の風音まで記録するとは」
「眠れない理由ですから」
リュシーはその紙を見て言った。
「へいたいも、こどもみたい?」
「人はみんな、眠れない時は少し子どもに戻るのかもしれません」
だからこそ、部屋がいる。
強い人にも、帰る場所と、寒いと言える紙がいる。
北境からの手紙には、もう一枚、小さな紙が入っていた。
兵士の一人が書いたものだ。字は荒く、ところどころ滲んでいる。
『名前札など子どもの遊びだと思っていた。だが、負傷兵を避難所へ運んだ時、札があったおかげで誰がどこに寝ているかすぐ分かった。夜間の見回りも早くなった。遊びではなかった』
アルノルトはその紙を長く見ていた。
「兵にも必要だったのですね」
「ええ」
名前を見える場所に置くこと。寒いと言うこと。靴を乾かすこと。
子どものために始めた手順は、大人を弱くするのではなく、倒れる前に助けるためのものでもあった。
リュシーは兵士の手紙に返事を書いた。
『さむいっていえて、えらいです』
その一文を見たアルノルトは、少し困ったように笑った。
数日後、北境では兵士用の簡易札まで作られたという追加報告が来た。
負傷者、発熱者、夜番明け、靴乾燥中。
札の言葉は無骨だったが、役に立った。夜番明けの兵を無理に雪かきへ出さずに済み、靴乾燥中の子を外へ走らせずに済んだ。
ベルトランは報告書に書いていた。
『北境では、我慢は美徳とされます。しかし、我慢の種類を分ける必要があると分かりました。守るための我慢と、言えないための我慢は違います』
私はその文を冬鈴令の北境補則案に引用した。
王都の制度が北へ届いただけではない。北から戻ってきた言葉が、制度をさらに強くする。
リュシーは補則案の端に、また小さな冬鈴草を描いた。
「北の花」
それはもう、王都の温室だけの花ではなかった。




