第三十九話 カミーユの標準からの手紙
カミーユ・ロシュ補佐から手紙が届いたのは、冬鈴令の草案が貴族院へ回る直前だった。
彼は職務停止中で、正式な発言権はない。手紙も、医務局の封筒ではなく個人名で届いた。
私は開ける前に少し迷った。
アルノルトが言った。
「読まなくてもよい」
「読みます。証拠になるかもしれません」
「あなたは本当に」
「何ですか」
「いえ。読み終えたら休んでください」
手紙は、思ったより短かった。
『ノエリア・ランキエール様。
私は今も、標準化は必要だと考えています。ですが、あなたが査問で示した記録を読み、私の標準には、拒否を聞く欄がなかったことを認めます。
二年前、リュシー様の診断書を見ました。私は、幼児の部屋より、既にある高保温室の効率的利用を優先しました。その判断が誤りであったことを、遅れて認めます。
謝罪が許しを求めるものになってはいけないことも、理解しています。
同封したのは、王立医務局で使われている標準記録票の原案です。冬鈴令に合わせて改めるなら、どこを変えるべきか、あなた方の意見を求めます。
この依頼自体が不適切であれば、破棄してください』
同封されていた記録票は、見慣れた冷たい紙だった。
患者番号。
年齢。
身分区分。
標準食。
標準寝具。
室温。
投薬。
面会回数。
空欄は少ない。
だが、名前を書く欄は小さい。本人の言葉を書く欄はない。安心物も、嫌なことも、眠れたかどうかの質もない。
私はしばらく紙を見つめた。
怒りはある。
二年前、彼が見た診断書。
結果として死んでいない、という言葉。
それは忘れられない。
でも、この標準票が変われば、他の部屋が変わるかもしれない。
私はミレーヌ、ルイーズ、医師会、子ども会議の代表と一緒に修正案を作った。
最初の欄を大きく変えた。
患者番号の前に、名前。
呼ばれたい名前。
自分の印。
安心する物。
嫌なこと。
寒い時の合図。
暑い時の合図。
言葉で言えない時の様子。
付き添いの大人。
付き添いの大人の休息。
面会を制限した場合の理由と代替。
子どもへの説明内容。
本人の返事。
記録票は長くなった。
だが、ミレーヌが工夫して、毎日書く項目と変化時に書く項目を分けた。ルイーズは安全欄を加えた。医師会は医療上の最低記録を整理した。
リュシーは、余白に小さな花を描いた。
「これは提出用ではなくて」
私が言うと、娘は真面目に答えた。
「こども、みるなら、はな」
結局、子ども向け控えには花の印を入れることになった。
カミーユへの返書は、短くした。
『修正案を同封します。標準化は必要です。ただし、標準が最初に聞くべきことは、番号ではなく名前です』
最後に、もう一文だけ加えた。
『リュシーは生きています。その事実を、過去の判断の免罪ではなく、今後の標準を変える理由にしてください』
封をした後、私は疲れて椅子にもたれた。
アルノルトが保温布を掛ける。
「休む約束です」
「はい」
怒りながらでも、紙は直せる。
許さなくても、制度は変えられる。
それを学ぶのは、簡単ではない。
けれど、子どもの部屋に入る冷えを止めるためなら、冷たい紙にも赤い線を引く。
修正した標準票を見たルイーズは、苦笑した。
「現場から悲鳴が出ますね」
「でしょうね」
「でも、全部を毎日書くわけではない。変化時に見る欄、初回だけ聞く欄、緊急時に省略できる欄。分ければ使えます」
彼女はもう、ただ標準に従う役人ではなかった。標準を現場で使える形に削り、必要なところは残す職人のようになっている。
「ロシュ補佐に、これを送るのは嫌ではありませんか」
「嫌です」
私は正直に答えた。
「でも、嫌だから送らないと、古い票がどこかで使われるかもしれない」
「そうですね」
嫌な相手にも、直した紙を送る。
それは許しではない。
子どもの部屋を守るための、実務だった。
返書を出した後、私はしばらく封筒を見ていた。
怒りはまだある。
封をしたからといって、収まるものではない。
ハンナが言った。
「奥様、怒ったままでもよろしいのでは」
「そうね」
「怒りを捨てなくても、返事は書けました」
私は頷いた。
穏やかな人間にならなければ制度を直せないわけではない。
怒ったまま、正確に線を引く。
母親の怒りを危険物のように扱う人たちへ、それを見せる必要もあるのだと思った。
返書を書いた後も、私はしばらく封をできなかった。
許したわけではない。
それでも、過ちをした人間が差し出した紙を、役に立つなら直して使う。そうしなければ、制度は怒りを抱えたまま前へ進めない。
アルノルトは封蝋を置きながら言った。
「許しと採用は別です」
「ええ」
私はその言葉で、ようやく封をした。
子ども会議に標準記録票を見せると、リュシーは真っ先に言った。
「字、ちいさい」
ミーナも頷いた。
「大人が急いでる字」
その感想は、予想以上に重要だった。急いで書くための紙は、急いで扱うための目を作る。名前欄が小さければ、名前を見る時間も小さくなる。
ルイーズは記録票を見直し、子ども本人が見る控えだけでなく、大人用の本票にも余白を増やした。
「これでは紙が増えます」
医務局の若い職員が言うと、ミレーヌは即答した。
「紙を惜しんで子どもの言葉を削るなら、最初から記録とは呼べません」
その言葉で、会議室は静かになった。




